rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

ヒゲ脱毛をやるべきか

ヒゲ脱毛をしていた頃

私はコロナになる前の2019年の夏~冬あたりにヒゲ脱毛に通っていたことがある。ヒゲ脱毛をしようと思った理由としては、美肌になるということ、友人がヒゲ脱毛を始めたということで自分も始めてみようと思ったから、ということがある。

3週間から1カ月に一回ぐらい脱毛サロンに通ってレーザーで口周りのヒゲの毛根を焼いてもらう療法となる。私はもともとヒゲが濃い方ではないが、それでも鼻下やアゴなどをレーザー照射するとそれなりに痛かったと記憶している。一回30分ぐらいの治療を10回ぐらい繰り返してようやくヒゲの毛根がなくなり、キレイさっぱりヒゲ脱毛されるということになる。そのため、治療期間も数カ月~1年ぐらいはかかる。

ちなみに私の場合、通っていたサロンがそもそも医療脱毛でなく効果が強力でなかったことや、プランの途中でコロナになってしまいサロンが閉店してしまったため、キレイにヒゲ脱毛できない状態で終わってしまった。その後特に別のサロンに通うこともなく、鼻下の真ん中部分だけヒゲが生えずツルツルという何とも中途半端な状態で今日まで過ごしてきた。

ヒゲ脱毛ってやるべきなのか

サロンに通っていた頃の私は特に明確な信念もなく脱毛サロンに課金していた。完全にヒゲがなくなってしまう恐怖感から、アゴのヒゲだけは残すようにお願いしたりしたこともあった。今はまだ若くてヒゲが似合う顔ではないから、ヒゲはなくても良いと思っていたが、いつかヒゲを蓄えてみたいと思った時、その選択肢が取れないのもなんだか寂しいことのように思えたのである。

ただ、最近になってまたヒゲ脱毛を再開したいと思うようになった。コロナが終わって外出しやすくなったのも理由の一つだが、やはり毎日の髭剃りが非常に面倒くさいのが理由である。そして、ヒゲがない方が圧倒的に自分の顔が良く見える。将来ヒゲをはやしたいときには確かに寂しく感じるかもしれないが、結局そんな将来は一生来ないのかもしれないとも感じ始めている。

私は人と会うことも外出することも多くないし、ヒゲ自体がそもそも少ないのでヒゲ剃りは週に2~3回ぐらいしかやらない。それでも、ヒゲを剃ったあとのスッキリ感や顔がシュッとする感覚は良いものがある。

もし、皆さんが現在毎日ヒゲを剃っているのであれば、きっと将来もヒゲを蓄えることはほぼないと考えても良いだろう。だから、明確にヒゲを伸ばしたい願望や具体的なイメージがないのであれば、思い切ってヒゲ脱毛に課金しても良いのではないだろうか。

 

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家は広ければ良いわけではない

多くの人はより広い家に住むことを好む

世の中の多くの人は、今よりもより良い生活がしたいと願いながら日々一生懸命生きている。その願望の一つに、今よりも大きくて広い家に住みたいという願いを持っている人もかなり多いのではないだろうか。より大きくて広い家に住むためには、多くの家賃や住宅ローンを支払う必要があり、自身の収入と理想の住居を天秤にかけながら、あれやこれやと思いを巡らせていることだろう。

ただ、自身を振り返ってもらいたいのだが、それが本当に自分にとって必要なことなのか、自分が心の底から自分が求めていることなのかを深く考えたことがあるだろうか。

広い家は落ち着かない

ここで私個人の話をする。

私は、実家に住んでいた時に一人だけになると、どうも落ち着かない感覚に陥ることが多くあった。その正体が何なのか、実家に住んでいるときは良く分からなかったのだが、一人暮らしで狭い家に住むようになって分かってきた。それは簡単に言うと、「自分の目が行き届かない場所への不安」である。

実家のリビングで一人テレビを見ていても、自分の部屋に籠って何か作業をしていても、何らかの物音がすると不審者が侵入してきたのではないかと心配し、木刀を持って玄関まで気配を殺して忍び足で確認しに行ったりしていた。実際に不審者に侵入されていたことは一度もなかったが、このように自分の中で勝手にいらぬ幻想を作り上げて心配してしまうことがよくあった。

現在は一人暮らしで狭い家なので、家の中の大半の部分が自分の意識の中に入っており、実家で感じたような妙な不安を感じることはほとんどない。

広い家に拘る必要があるか考えてみよう

最初の話に戻るが、広い家に住むことこそが本当に人生をハッピーにしてくれるのか、よく考えた方が良い。人間という生き物は脳が発達しており、それが文明や便利な生活を作ることに役立っている反面、実際には起こりえないような妄想や幻想を抱いて自らを苦しめてしまうという皮肉な側面も持つ生き物である。家に対してそのような被害妄想を持ってしまうと、逆に不幸になってしまう。

例えば、ロシアという国の国土は広いし多くの国と国境を接していて、それらの国々との間で紛争の火種がなかなか無くならない国である。似たように、家が広ければ広いほど、気にかけなければならない箇所が増え、それが自分たちに対して肉体的にも精神的にも負担となってしまうこともある。

私自身が最近思うのは、「独房でも路上生活よりはマシ」ということである。独房は少し極端ではあるが、雨風をしのげて最低限生活に必要なスペースがあればそれで満足、ぐらいの気持ちでいる方が慎ましく生きて幸せを感じられるのではないだろうか。

 

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2022年の振り返り日記

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

今年も気が付けばまた12月の年末となってしまった。年を取るにつれ、月日の流れが加速しているような気がする。今年も特に具体的な目標を立てたわけではなかった。とにかく毎日健康に過ごして日常の当たり前を幸せに感じる、そういう生き方をひたむきに続けていくという意識で過ごしてきた。ただ、そんな中でも細かく思うことは色々あるので、思うことを書いてみたい。

仕事方面

今年も引き続きテレワーク中心の日々であった。年次的にも若手から中堅へ移行しているところであるが、自分自身でチームを率いて何かを率先して進めていくという行動がやや欠けていたかなと思っている。私自身は作業を黙々とこなすことが得意で、それをやり始めるとなかなか周りが見えなくなってしまうクセがある。また、人と話すよりもものを作ったりする作業の方が好きなので、人とコミュニケーションをとるのが面倒と思ってしまうことも多い。

だが、社会人生活を重ねるにつれて、自分の得意なこと以外にも積極的に関わっていかなければならないと思っている。来年はそのことを意識しつつ、徐々にではあるが他のメンバーに影響を与えるような動きができるようになりたいと思っている。

日常生活方面

まず健康面について言うと、現在は若干喉の痛みを患っているが比較的健康的に過ごすことができたと思う。発熱で寝込むこともなかったし、体調不良で仕事を休むこともなかったと記憶している。ワールドカップ観戦などで睡眠時間が削れてしまい、翌日頭痛や眠気で苦しむことはあったが、そこはご愛嬌ということにしても良いのかなと思っている。来年も睡眠と食事第一で健康的に過ごしていくことを目標としたい。

次に人間関係面では、定期的に会う友人とは良好な関係を保つことができているし、コロナ禍を経て数年ぶりに会う友人とも良いコミュニケーションを取ることができた。この数少ない友人関係は大切にして今後も過ごしていきたいと思う。

出会いや恋愛面では特に何もなく独り身でいる。今年は特にいい感じの出会いもなかったし、自分自身も特にそれを望んでいるわけではない。結婚願望も相変わらず全くないのだが、どこかで良い出会いがあればそのチャンスは積極的にモノにしていきたいとも思っている。その過程で結婚願望なども出てくるかもしれないし、積極的な姿勢で動いていれば人生はどう転ぶか分からないものである。

レーニング方面

今年も何度か肩を痛めて満足にトレーニングできない時期があったが、少しずつ腕を太くしたり、バーベル種目の重量を上げることはできている。Twitter上の人やユーチューバーと比べて自分の才能の無さに絶望しがちだが、こればかりは自分のペースで過去の自分を越えていくという気持ちで根気よく続けていくしかないと思っている。来年も怪我に気を付けて、地道に努力を積み重ねていくしかないだろう。

その他

今年は久しぶりに泊まり有りの旅行に行った。青ヶ島を目指したが天候不良により八丈島まででの足止めとなってしまった。来年の挑戦で青ヶ島に到達できることを願っている。また、一人旅の方もぼちぼち再開していきたい。訪問したいところは色々出てきているので、まずは沖縄の波照間と与那国、そして北海道の最北と最東にはもう一度行きたいと思っている。

最後に、皆様にとっても良い2023年になることを願っている。良いお年をお迎えください。

 

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良い睡眠のためにはできるだけ昼寝を控えるべき理由

昼寝が必ずしも良くない理由

最近は前とほぼ変わらず在宅勤務が中心であり、一日の睡眠時間は大体7~7.5時間ぐらいの日が多くなっている。本当は8時間毎日寝たいのだが、メリハリなく夜にだらけてしまうことなども多く、そこまでの時間は確保できていない。そのため、昼間や夕方ぐらいに眠くなってしまうことが多く、仕事の合間に10-20分ぐらい仮眠を取ることもしばしばある。

そのような昼寝は20分程度少し意識を失う「うたた寝」程度であれば問題ないのだが、ついつい深い眠りに入って30分以上眠ってしまうと、ほぼ確実にその夜に上手く入眠できなくなることに気が付いた。昼寝の後の目覚めは素晴らしく良いのだが、夜寝る時間になってもまだまだ目が冴えてしまい、全く眠れなくなってしまう。その結果、寝付くまでに3時間ぐらいかかり、翌朝もある程度早起きなので結果的に睡眠不足の一日を過ごすという悪循環に陥ってしまう。

夜しっかり寝ることの大切さ

これを回避するためにまず考えるべきことは、昼寝をしなくても済むように夜にしっかり寝ておくことがある。十分な睡眠時間を確保していても昼間に眠くなってしまうのはある程度仕方ないことなのかもしれないが、昼間に猛烈な眠気が襲ってくるということはやはり夜の睡眠時間が不足しているのが一因になっていると思う。

自分自身は7時間程度の睡眠で不足ないと思っていたが、実際は少し足りていないのかもしれないと思い始めている。実際に、出社する日の前日は在宅の日より1時間早起きではあるが前日はいつもより2時間近く早く布団に入るようにしており、その結果出社日は眠くならずに集中して一日過ごすことができる。

在宅勤務は通勤時間が少ない分色々な時間が確保できて良いと思われるかもしれないが、その心の余裕が怠惰につながるケースが多く、よほど自分を律する心が強くなければメリハリの利いた生活ができなくなってしまうという難しさがあると感じる。

昼間にどうしても眠くなってしまい昼寝をしたくなった場合、「昼寝をする」という意識ではなく、少し意識がまどろむ程度の「うたた寝をする」ぐらいの意識を持っておくと良いのかもしれない。

 

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捨てられないTシャツ

今週のお題「二軍のTシャツ」

朱鷺のイラストTシャツ

暑い季節になるとほぼTシャツ短パンで過ごすことが多い。かつては旅行に行くたびにご当地Tシャツを集めていたのをよく思い出す。体のサイズが大きくなったり、特に白いTシャツは比較的短期間で汚れがついてしまうため、数年と持たないようなものも多くあるが、そのようなTシャツでもなかなか捨てられないTシャツというのは確かに存在する。

私が保有しているTシャツの中で捨てられないTシャツ代表は、新潟県佐渡島のコンビニで購入した朱鷺の絵柄がプリントされたTシャツである。このTシャツはポリエステルのような白地にかわいらしい朱鷺のイラスト(リアルではないやつ、ネット上では画像が見つからなかった)がプリントされたものであり、5年ほど前に購入した。首都圏ではもちろん、佐渡島以外の地域でもなかなか購入できないと思われ、現地に赴いた自分への土産物としてはそれなりに価値があるものだと思っている。購入した翌日から着用し、そのまま自宅に帰ってきたのをよく覚えている。その時からこのTシャツはお気に入りの一着となった。

ただ時間が経つにつれ、白地ということもあって少し汚れが目立つようになるのと同時に、その時よりも自分の体も一回り大きくなり少し窮屈になった。そのため、現在このTシャツを着て外に出かけることはほぼなく、冬場の肌着や部屋着に成り下がっている。他にもTシャツは色々持っており、このTシャツを処分してしまうことは簡単なのだが、そう簡単に捨てられないのが人情というものだなと感じている。

Tシャツについて個人的な嗜好を語る

Tシャツは基本的にオーバーサイズで着用するのが個人的な好みである。ピチピチのTシャツが好きという人もおられるかもしれないが、個人的には筋肉アピールしているように見えてしまって気持ちが悪い。また、ダボダボサイズぐらいの方が動作するときのストレスも遥かに軽減される。

素材としては綿よりもポリエステルの方が風通しがよく涼しいので好みである。昔は白いTシャツを集めることに拘っていた時期もあったが、現在はなるべく白を避けた淡めだけれども汚れが目立ちにくそうなポリエステルのシャツが一番好みである。涼しく風通しが良いこと、熱を吸収しにくい薄め基調の色でありながら汚れも目立ちにくそうな配色であること、サイズにゆとりがあることが選定の条件である。

今後新しくTシャツを購入するときは、代わりに古くあったものを捨てるなり違う使い方をするなり、少し工夫できるようになりたいと思っている。

 

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インターネット中毒の解毒方法

実家でネット閲覧時間が減った

暇な時間があるとついPCやスマホを開いてインスタグラムやツイッターブラウジングしてしまう人は多いと思う。私もツイッターを見始めるとやめられなくなってしまうことがある。また、特にPCを開くとどうしてもYoutubeを見始めてしまい、関連動画の中から面白そうな動画を次々に閲覧してしまう自分に嫌気がさすこともある。

話は変わり、ゴールデンウイーク中に実家に引きこもっていた私はあることに気が付いた。一人暮らしの自分の家よりも実家にいるほうがネットをブラウジングする時間が少ないということだ。日常生活でも同様にネットとの距離感を保てれば、深夜まで無駄に動画を見ながら時間を潰すということも少なくなるのではないかと思う。

ネット環境が悪いことの思わぬメリット

実家のPCはスペックが悪く、本体の起動にもブラウザの起動にもかなり時間がかかる。PCのスペックが良いに越したことはないと思っていた私ではあるが、スペックが良いと次々に新しい情報が目の前に現れるため、どうしても閲覧する情報量は多くなってしまうし、不要な情報を無駄に閲覧してしまう機会も増えるだろう。その点、スペックが悪いとブラウジングするのに時間もかかりストレスなので、さっさとPCの前から離れて違うことをしようと考えるようになる。

タブレット保有しているのだが、これまた10年ほど前に購入したものでブラウザがうまく動かなかったり、動画のスクロールもやりにくかったりする。しかし、それが多くの情報に触れることを絶妙に阻んでおり、ダラダラとネットサーフィンをせずに済んでいる。結果として、本来見たかった情報だけサクッと閲覧し、他の情報は見ないということが容易になるように感じる。

ネットに脳をハッキングされることを防ぐ

情報を取捨選択し、適切な情報量でスパッと切り替えられるタイプの人間であればネット環境の良し悪しは関係ないのだろうが、私みたいにそのような切り替えが難しいタイプの人間がいるということもまた事実である。自分がネット中毒だと自覚している人がどれほどいるのかは不明だが、現代人でも特に若い年代の人は8割近くがネットやスマホ中毒なのではないだろうか。電車に乗れば若年層ほどほとんどスマホを弄っている光景を見ると、これはある種、スマホに脳をハッキングされているのではないかとすら思うほどである。私は残念ながら自分がネット中毒になりかけていることに薄々気づいていたので、どうにかしたいと思っていた。

もしも自分が少しでもネット中毒になりかけていると自覚があって治したいと思っているのであれば、あえてネット環境を少し不便にしてみるということが何かの解決策になるかもしれない。

 

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物件探しとロケーションについて

今週のお題「好きな街」

一人暮らしを始めるまではどのような家に住みたいとか、ここだけは譲れないポイントがあるというようなこだわりを特に持っていなかった。というよりも興味もなかったし自分にはあまり関係のないことだと思っていた。しかし、いざ一人暮らしをしようと思って色々な物件を見ていると、自分がどのような住環境を好むのか、絶対に外せないポイントは何なのかを見極め、懐具合と相談しながら物件を決める必要が出てきた。

住むなら最寄り駅まで歩ける距離が良い

物件を探すにあたり、まずはロケーションをどこにするのかを決めなければいけない。首都圏ならば東京なのか千葉なのか埼玉なのか神奈川なのか、関西圏であれば大阪なのか京都なのか兵庫なのか、というまずはざっくりした具合にだ。

ロケーションを決めるときに考慮すべき要素として一般的には、自分の職場からどのぐらいの距離なのか、駅から近いのか、騒音はどの程度なのか、スーパーやコンビニが近くにあるのかどうか、家賃の相場、自分の趣味や楽しみを定期的に行える施設がそれなりに近くにあるのかどうか、など挙げ始めると多くある。

私は首都圏住みだが、これらの要素の中で特に重視したのは、家賃が安いことと最寄り駅まで歩いて苦にならない距離であるという、誰もが第一条件としそうな要素である。

コロナ渦で外出が減ったとはいえ、やはり外出するときには駅から電車に乗るのが通常の移動手段となるため、家から駅まで行くのが億劫という心理的な負担は大きい。もちろん駅近物件は家賃もそれなりに高いが、外出頻度がそこそこ高いという人は多少家賃が高くてもなるべく駅に近い物件に住むことをおすすめする。

東京の東側は家賃が安い

個人的な肌感覚でしかないが、首都圏以外から上京して初めて都内で一人暮らしをする人は新宿より西側の地域を好む傾向があるように思える。路線でいうと中央線、東急線小田急線、西武新宿線あたりの人気が非常に高いように感じる。これらの路線の街は都内に職場に近いだけではなく、華やかで明るくハイカラで安全で住みやすいというイメージがあるというのは何となく分かる。同じ家賃8万円で荻窪ワンルームに住むのと亀有の1LDKに住むのはどちらが良いか、という話に近いのかもしれない。

私の周りにいる上京してきた人たちを見ていると、20代などの若いうちは特に東京の西側を好む傾向にあるが、年齢が上がるにつれて東側に住む人も増えているように見える。職場が遠すぎるのであれば仕方がないが、墨田区葛飾区など、居住地としてあまり人気のない東京23区は意外に家賃が安くて思ったよりも便利な場所もあるので、新宿や渋谷の近辺ばかり見るのではなく、下町情緒あふれる東側の東京にも目を向けてみるとよいかもしれない。

 

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メガネのメリット、レーシック本当に必要かを考える

メガネは邪魔

私は中学卒業~高校生になるぐらいの時期に一気に視力が落ちてしまった。それまで普通に見えていた教室の黒板の文字が見えづらくなり、当初はこれが視力低下の症状だと気付かず、何とかやり過ごしていた。しかし、授業についていくにも支障が出てきたため視力検査をしてみると、両目とも視力0.2しかないことが判明した。自分はずっと目が良いと思っていたためこの事実はかなりショックだったし、今後ずっとメガネを付けて生きていかなければならないというのは当時の自分を全否定するような出来事だと思っていた。

そうして日常生活でもメガネをかけて生活するようになったのだが、運動して顔に汗をかくとメガネにも汗が付くし、マスクをするとどうしてもメガネが曇りやすくなるし、雨の日はレンズが濡れて視界が遮られるため、ずっとメガネで過ごすのは苦痛だった。そこで大学生になってある程度自分でお金を稼げるようになった時にコンタクトレンズを購入することにした。基本的には毎日使い捨てで定期的に買いたさなければいけないのだが、運動するときやちょっとした外出の時にメガネよりも邪魔にならないのは魅力的だったし、購入して良かったと思っている。

レーシック手術を受ける前に考えていること

そんな感じでもう10年弱コンタクトとメガネを使い分ける日々を送っているのだが、最近コンタクトをつけるのも面倒に感じている。何しろ消耗品なので定期的に買いたさねばならず、お金も時間もかかるのでメンテナンスも楽ではない。だったらいっそのことレーシック手術を受けて視力を回復させてしまえば良いかもと考えてみた。しかし、実行しようとはまだ思っていない。手術が嫌いなのはもちろんとして、レーシック手術をして視力回復すると、もうメガネをかけることがなくなり、今までメガネをかけることで受けていた恩恵が享受できなくなる可能性があるとも考えている。

メガネをかけることにより享受できる恩恵とは以下のようなものがあると思っている。

  • 玉ねぎを切っても目があまり痛くならない
  • 小さい虫や雨粒が直接目に入らない
  • メガネを外せば目を背けたくなる光景をバッチリ見ずに済む

水泳のゴーグルほどではないが、メガネがバリアとなって玉ねぎの攻撃を多少和らげることができる。また、羽虫がや雨粒が直接目に入ることを防いでくれる効果もある。加えてあまり見たくない光景や人の細かい表情などはメガネを外していると視力が悪いため見えない。そのため、敢えて周りを気にせず集中したいときは、メガネを外すとパフォーマンスが上がるようなこともあり、単純にクリアに見えていればヨシ!とも言い切れない側面があると感じている。

基本的にはメガネは邪魔なものなので付けない方が良いと思っているが、メガネにより微々たるメリットではあるが享受していたものもあると思っている。そのため、視力回復という必要不可欠でもないものに対し、自分の体にメスを入れるようなことを安易に行って良いものか、たまに自問自答する日々を送っている。

 

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冬を見据えたグッズの購入を考えておく

春に冬を意識するのは難しい

昨年春から一人暮らしをし始めて約一年弱経過した。

春夏秋冬を通年で経験する中、まさに光陰矢の如しとは言ったもので月日の流れが信じられないほど早いものである。春に越してくるときには、扇風機の購入にあくせくしたり、エアコンの取り付けが梅雨までに終わるのかどうかなど、その辺りのタイミングを見極めながら引越し作業を進めていたことを思い出す。

日本では新生活は春に始まることが多いので、そのちょっと先の夏を見据えて必要な家具家電を揃えていくことに意識が行きがちではある。だが、夏を過ぎれば季節はあっという間に冬に向かい、部屋の中も芯まで冷えるようになる。そしてこのタイミングになって初めて冬用に必要なものを探し始めるようになる。そのため、意識が向きづらい冬の生活においてどのようなものが必要かということも認識したうえで、春からの新生活の準備を進められると良いと思っている。

タツ

冬場にあるとありがたいのがコタツである。新生活にあたり、ダイニング用のテーブルなどを新しく購入する方は多いと思うが、そのダイニングテーブルが冬場にコタツとして使えたらなお良いかも、と想像しながら買い物をしている方はどれだけいらっしゃるだろうか。コタツ機能がないと、夏場はテーブルとして役に立ったけれど、冬場にコタツとして使えず足元が寒い思いをする羽目になることも考えられる。

特に新居に和室があるという方は、コタツ機能付きのテーブルの購入を積極的に考えてみても良いかもしれない。

石油ストーブ

部屋の間取りや広さにもよるが、石油ストーブがあると冬場も寒さに困ることがほぼなくなる。1Rの部屋ならともかく、1Kや1DK以上の間取りの部屋になるとエアコン一台の暖房が他の部屋に届かないこともあり、出力を上げると電気代が無駄にかかってしまうこともあるだろう。しかし、石油ストーブはエアコンよりも威力があるため、部屋を全体的にかなり暖かくすることができる印象がある。

また、停電になった際も関係なく稼働させることができるため、災害時に役立つといったメリットもあると思う。反面、近所で灯油を補給できるガソリンスタンドや燃料店のようなお店がないと使い続けるのが難しいため、住む場所の近くにこれらのお店があるようであれば石油ストーブの購入も検討して良いと思う。

まとめ

今回は、とかく春の引越しではなかなか意識しない冬の生活を見据えて買いそろえたいものとして、コタツと石油ストーブを取り上げた。私自身はコタツは夏前に既に準備できていたのだが、石油ストーブはいざ寒い季節になってから欲しくなって購入することとなった。他にも、風呂のタイルが冷たいのでそれを緩和するマットとか、台所作業の時に手が冷たくならないようにゴム手袋を購入するなど、住み続ける中で季節が変わると色々と気になることが出てくるものだ。

1年以上新居で暮らしていく予定があるのであれば、最初のうちに把握し得る必要なものをあらかた購入してしまっても損はないと思うので、1年も生活しないかもしれない、などとは考えず、オールシーズン快適に生活するためのグッズについては真剣に考えてみるべきだと思う。

 

今週のお題「買いそろえたもの」

 

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2021年の振り返りとか

コロナ禍での幕開け

2021年は前年に続いてコロナ禍でのスタートとなった。感染状況は第三派の真っ只中、日々新規の感染者数を更新する勢いでコロナウイルスが広がっている状況で2021年は幕を開けた。年越しコンサートで例年なら地味な衣装を身にまとっているアーティストが今年に限ってはなぜか皆カラフルな衣装をしていたのが印象的だった。きっと2021年こそは良い年になりますようにという願いを込めたメッセージなのかもしれないと思ったし、私自身も明るい一年になって欲しいと思ったことをよく覚えている。

念願の一人暮らしへ

5月の連休過ぎから念願だった一人暮らしをはじめた。このタイミングでどうしてというようなことを色々な人から言われたが、特に明確な理由などはなく、今が一人暮らしをしたいタイミングだったから、ということに尽きる。30歳も手前になり、将来の身の振り方などを考えるとどうしても今のうちに一人で生活をやりくりするスキルを身に付けたいと思っていた。準備も面倒だしお金もかかるし実家にいても何不自由なく生活していけるから今までは行動に移せなかったが、コロナ禍でも生活も少しずつ安定してきたのでこの機に思い切って実行することにした。

準備の段階でも実際に新居に住み始めてからも今まで知らなかった生活に必要なあれこれや家事スキルのコツなどが色々あることも知り、実家に居続けたら分からないようなことを多く発見できた。一人暮らしをはじめてから半年ちょっと経過し、実家と比べて不自由なことややりにくいことなども多々あるのだが、自分一人で生活を切り盛りしていく楽しさを噛みしめながら生活できているので辛くはない。今年一人暮らしをはじめて本当に良かったと思っている。

東京五輪

今となっては懐かしい思い出になってしまった感もあるが、今年は夏の五輪開催について揺れ動いた年だった。そもそも開催しない方が良いのではないかという意見も多くあったし、その意見に対して反論するのは難しいとも感じていた。命が一番大事だと言われればそれ以上は何も言えないし、至極真っ当な正論であると思う。

ただ、やはり人間はただ生きているだけの動物とは少し違うとも思っている。音楽を聞いて感動したり、本を読んで涙を流したり、ドラマを見て主人公に感情移入して自分と照らし合わせてみたり、など豊かな感情と感性を持つ生き物が人間だと思う。だから、これらのエンターテインメントや芸術に関するイベントも人間にとっては必要な刺激であると思うし、可能な限りこういう行事は開催されるべきという意見もありだと思っていた。

結果的に東京五輪は無観客で開催されたが、テレビを通して多くの人たちに希望や感動を与えてくれたと思うし、様々な問題はあったものの開催して良かったと言えるのではないかと個人的には思っている。

来年へ

とにかく毎日健康に慎ましく生活する、ということに尽きる。

具体的な目標を立てるのも良いが、まずは一年通して自分のケアをしっかりすること、体調をほぼ万全に保つことが何よりも大切だと思う。その思いは一人暮らしをするようになってより強く実感している。

具体的な目標は特に考えていないが、過去の自分を少しでも超えられるよう、今取り組んでいる色々なものに対して真摯に向き合うことを目標としたい。

 

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