rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

家は広ければ良いわけではない

多くの人はより広い家に住むことを好む

世の中の多くの人は、今よりもより良い生活がしたいと願いながら日々一生懸命生きている。その願望の一つに、今よりも大きくて広い家に住みたいという願いを持っている人もかなり多いのではないだろうか。より大きくて広い家に住むためには、多くの家賃や住宅ローンを支払う必要があり、自身の収入と理想の住居を天秤にかけながら、あれやこれやと思いを巡らせていることだろう。

ただ、自身を振り返ってもらいたいのだが、それが本当に自分にとって必要なことなのか、自分が心の底から自分が求めていることなのかを深く考えたことがあるだろうか。

広い家は落ち着かない

ここで私個人の話をする。

私は、実家に住んでいた時に一人だけになると、どうも落ち着かない感覚に陥ることが多くあった。その正体が何なのか、実家に住んでいるときは良く分からなかったのだが、一人暮らしで狭い家に住むようになって分かってきた。それは簡単に言うと、「自分の目が行き届かない場所への不安」である。

実家のリビングで一人テレビを見ていても、自分の部屋に籠って何か作業をしていても、何らかの物音がすると不審者が侵入してきたのではないかと心配し、木刀を持って玄関まで気配を殺して忍び足で確認しに行ったりしていた。実際に不審者に侵入されていたことは一度もなかったが、このように自分の中で勝手にいらぬ幻想を作り上げて心配してしまうことがよくあった。

現在は一人暮らしで狭い家なので、家の中の大半の部分が自分の意識の中に入っており、実家で感じたような妙な不安を感じることはほとんどない。

広い家に拘る必要があるか考えてみよう

最初の話に戻るが、広い家に住むことこそが本当に人生をハッピーにしてくれるのか、よく考えた方が良い。人間という生き物は脳が発達しており、それが文明や便利な生活を作ることに役立っている反面、実際には起こりえないような妄想や幻想を抱いて自らを苦しめてしまうという皮肉な側面も持つ生き物である。家に対してそのような被害妄想を持ってしまうと、逆に不幸になってしまう。

例えば、ロシアという国の国土は広いし多くの国と国境を接していて、それらの国々との間で紛争の火種がなかなか無くならない国である。似たように、家が広ければ広いほど、気にかけなければならない箇所が増え、それが自分たちに対して肉体的にも精神的にも負担となってしまうこともある。

私自身が最近思うのは、「独房でも路上生活よりはマシ」ということである。独房は少し極端ではあるが、雨風をしのげて最低限生活に必要なスペースがあればそれで満足、ぐらいの気持ちでいる方が慎ましく生きて幸せを感じられるのではないだろうか。

 

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