rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

出会いと別れの3月に思うこと

この気持ちは何だろう

例年であればあまり思わないことだが、今年の3月はやけに侘しくもの悲しく感じる。その理由は、今まで一緒の組織で働いてきた仲間が2人も転職していなくなってしまうからだ。

テレワーク中心の働き方だったので毎日顔を合わせているわけではない。だからそこまで寂しさを感じるのも変な話だと思うが、いざいなくなるという事実を目の前にすると、今まで関わった思い出や一緒にやった仕事を思い出し、ふと切なさを感じる今日この頃である。姿こそ見えないけれど、仕事を通じて心のどこかではいつもつながっていたのかもしれない。

今まで別れなどは散々経験してきた。幼稚園の卒園式、小中高の卒業式、部活での3年生を送る会、壮行会、全てをかなぐり捨てた前職の退職、、挙げればきりがない。もちろん、学生の頃の卒業式でもそれなりに寂しさを感じたし、実際に涙を流している人も多くいた。だが、今回の同僚の退職は少し別の感情を生み出しているように思える。その気持ちが何なのか良く分からず、2人の退職を聞いたその日から今日まで色々なことを考えていた。そして今もぼんやりとして言葉にはできない感情が心の中に漂う。

この気持ちは何だろう。

それぞれの夢へ向かうため

そのうちの一人は、自分の市場価値を上げてもっと厳しい環境でハードワークに挑戦したい、という理由でコンサル会社に転職を決めた。確かに、うちの会社の労働環境は正直生ぬるいところはあると思う。彼は新卒5年目でコロナ禍と共にテレワーク全盛の中で入社してきた世代だ。毎日出社して仕事をするという働き方を知らない世代であり、そのような働き方に憧れを持つのも一つの考え方だと思う。ずっと家に閉じ込められて、何がどう評価されているのか分からない会社で居心地が悪かったのかもしれない。そして、自分の市場価値をもっと上げたい、という言葉は私の心に強く突き刺さった。今の環境に胡坐をかいてしまっている自分への叱咤激励に聞こえたから。自身ももっと価値を上げる努力をしなければ、と思うきっかけになった。

もう一人は、将来フリーランスのウェブエンジニアになりたい、ということで少しウェブ業界寄りの会社に転職するという。一緒に働いてきた同僚がこのようなことを考えていたのも全く知らず、自分は同僚のことなんて何も分かっていなかったんだなと思った。自分の好きなことややりたいことを見つけて、それに向けて前向きに転職ができるのが本当に羨ましいし、見ていて眩しく輝いて見える。

自分のキャリアは?

社会人としての私の働き方の夢は、リモートワークで在宅勤務やワーケーションをすることだった。それに向けて今の会社で少しでも力をつけて、どこかまた別の場所でその働き方を実現したいと考えていた。しかし、コロナ騒動で願ってもいない形でその夢が叶ってしまった。期待よりもはるかに早く自分の働き方の理想が実現できてしまったということだ。

在宅勤務は悪くないし、今の会社に不満は特にない。6年前にこの会社に転職してきたことはやはり成功だったと思っている。だが、同僚が夢を追いかけて退職していく姿を見て自分の中の怠惰さや甘えに気付かされている。現状不満はないし、前の会社みたいに理不尽なパワハラと暴力的な業務に支配される生活に戻りたいとは思わない。それでも、出ていく2人の同僚の姿がどうしても眩しく見えてしまう。

この気持ちは何だろう。

 

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