rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

「『自分の時間を取り戻そう』(2016)ちきりん」を読んで

世の中では忙しく動き回っている人がとても多い。正社員として仕事をしながら家事をこなすワーキングマザー、会社である程度の立場になって仕事詰めの毎日を送る人、周囲に期待に応えるために、とにかく何でもかんでも頑張ってしまう人などがいっぱいいる。でも、それが原因で自分の本当にやりたいことや興味のある分野に対して時間が使えないのであれば本末転倒だ。本書はこのような状況に少しでも心当たりがある人には是非読んでほしい一冊だ。

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少ないインプットでより大きな成果を目指そう

本書の一番のテーマは「生産性」。同じ成果を上げるためにどれだけ少ないインプット量でそれが達成できたか、がとにかく重要だと説いている。学生であれば、勉強時間(インプット量)をあげたらテストの点数(成果)が上がるのは当たり前(まあそう単純でない場合もあるけど)。サラリーマンであれば、残業して長時間働けば捌ける仕事も多くなる。このように、インプット量を高めて成果を上げたことを賛美する日本人独特の風潮に疑問を投げかける。

一見、子供が長い時間勉強していたら、「たくさん勉強していて偉い」と褒めてあげたくなるが、この考えは苦労=美徳と考える日本人の前時代的な考え方である。本来は、いかに少ない勉強時間でテストの点数を高くできたか、という視点で評価しなければならない。この考え方こそ、生産性を主軸にした考え方だ。勉強や仕事に限らず、全ての物事に対して「アウトプット÷インプット」の割合の高さという観点で見ると、おのずとやるべきことが見えてくる。つまり、不要な作業を徹底的に排除し、やるべきことを可能な限り自動化して自分が手を動かす作業を極限まで減らすことが必要になる。

生産性は残業しないための考え方としても重要

特に会社で働くサラリーマンにとって、生産性はとても切実な問題となる。少ない時間でより多くの成果を上げれば残業せずに済むし、集中して短時間で仕事を切り上げることで生活にメリハリも出てくる。これを実現するためには、仕事に順位をつけることが重要だ。今日必ず終わらせなければならないこと、今日できれば良いなと思うこと、いつやってもいいもの、という具合に。だから、今日必ず終わらせなければならない仕事さえ終われば、その日はいつでも帰れる状態にしておき、次に優先度が高いものから先行して着手する。全ての仕事を完璧にこなそうとすると、とても時間が足りないのだ。私は前職で完璧主義な上司の下で苦しんだが、まさにこのいい意味での「手を抜く」という発想がなかったのだ。マジメすぎがバカを見るということを痛いほど思い知らされた。

かといって生産性だけを基準にするのも寂しいもの

とはいえ、生産性という観点だけで世の中全てを割り切ってしまうのも味気ないものだ。一見無駄だと思うようなことでもやってみたら意外と楽しかったり、多くのことを学べたりすることもあるからだ。合理性やスピード重視して工夫すれば、仕事や生活の生産性は格段に向上するだろう。だが、今までのように無駄だと思われていた作業から偶然得られるアイデアや、新しい発見なども同時に失ってしまうのではないかと思う。それはとても勿体ないことだと思う。
可能な限り無駄をなくして生産性を高めるというのは確かにとても大切なことだ。それは仕事であっても日常生活であっても変わらない。だが、今まで生まれた革新的なサービスの中には、無駄が多かったからこそ生まれたものがたくさんある。今後、そのようなサービスによって無駄が少なくなった世の中において、さらに生産性を向上する需要が高まるのかは疑問だ。その頃になったら、敢えて無駄を楽しむためのビジネスすらも生まれるかもしれない。人間というのはないものねだりな生き物なのだ。

 

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定時退社して自分だけの時間を過ごすために

最近はよく電車で本を読んでいる

最近は通勤電車でよくビジネス本や自己啓発本を読んでいる。明確に理由があって読んでいるわけではないのだが、通勤中割と手持ち無沙汰になることが多いので3カ月ぐらい前から毎日通勤電車で本を読んでいる。ちなみに本はほとんど書店で新品のものを購入し、読み終わったものはヤフオクブックオフで売り、家に本が溜まりすぎないようにしている。
通勤に時間がかからない場合は帰ってから家で読めば良いという考えもあるだろう。でも、家に帰ると他の誘惑が多くなかなか本を読む気にならない。先月は2週間ほど地方出張に行っていて毎日徒歩15分圏内の職場に通勤していたが、定時で帰ってホテルに着いてもテレビを見始めてしまうと、本を読む気にはならなかった。
反対に毎日1時間ぐらい電車で通勤しているときはとにかく本を読むようにしているし、それが苦しいとも思わない。少し前まで残業が多かった時は電車の中で何か生産的な時間を過ごすということを考えすらしなかった。

定時に帰ると色々な余力ができる

時間や体力に余裕ができると精神的にも余裕が出てきて、いろいろなことにトライしてみようと思えるようになる。今はほぼ毎日定時退社しているが、定時退社をし始めて気付いたことがいくつかある。まず、定時退社している人は意外と多い。自分が残業していた時は周りの人たちもほとんど残業しているとばかり思い込んでいた。しかし、電車の帰宅ラッシュは大体18時ぐらいがピークというデータもあり、定時退社は少数派ではない。定時退社する同志は会社を越えて世の中に多数存在するというのは心強い。
そして、定時退社すると電車の中で本を読む人が圧倒的に多いということにも気が付いた。やはり18時ぐらいの電車では、紙の書籍にせよkindleにせよ、結構な数の人が本を読んでいる。ちょっと残業して夜遅くなると本を読む人の数はグッと減り、代わりに酔っ払ったやかましいジジイの集団に遭遇することが多くなる。

スキマ時間にできることを真剣に考えてみよう

私がたまたま通勤電車で本を読むという時間の使い方を覚えたように、やりたいと思ったことを空き時間を有効活用して少しでもできれば人生はより豊かなものになる。それが、今の私の場合はたまたま本を読むことだが、ゲームでも株でもFXでも勉強でも、自分が楽しいと思うことならなんでもいい。そんな当たり前のことを忘れかけていた。現状で時間を作れないと決めつけてしまうと典型的な思考停止状態に陥ってしまう。もう一度自分の生活を見直し、やらなくて良いこと、しなくてもいい残業をバッサリ切り捨てることで自分の時間は捻出できる。
人生で唯一万人に平等に与えられているのが時間である。これは私の考えだが、人生で最も大切なのは金でも人脈でも信用でもなく、時間だと思う。「お金で若さはかえないわー」というリトルミイの名言が頭にちらつくのだ。
今を真剣に生きるために、自分が本当にやりたいことや楽しいことに多くの時間を使えるようにしよう。

 

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迷いを振り払い、転職という決断をした

迷いと決断。私の今までの短い人生の中で迷いと決断を思い出した時、まず真っ先に浮かんだのは昨年行った退職&転職活動である。そもそも、退職するまでにかなりの時間を迷いに費やし、時間を無駄にしてしまった感は拭えないと今でも感じる。まあ、今でこそそこそこホワイトな会社に転職できて本当に良かったと思っている。

新卒の就職活動に失敗

はっきり言おう。私は新卒のときの就活に失敗した。当時はそれを認めたくなくて周囲の反対も押し切って中小SIerに入社した。正直、もうこれ以上就活を続けたくないというのが本音だった。新卒の就活に失敗したらもう人生おしまいだと本気でその当時は思っていた。だから、さっさと内定出た会社に入社してしまう方が良いと考えていた。

でも、入社後に味わったのは中小SIerという働き方に対するギャップだけ。立場の弱い下請け仕事ばかり押し付けられ、システムエンジニアとして働く誇りや自社への愛社精神などどこ吹く風状態だった。毎日嫌な仕事をこなすだけの日々。今考えるとぞっとするほど。いずれもうちょっといい会社に転職してやり直さなければとは思っていた。でも、周囲は石の上にも三年とか、とにかく嫌でも頑張っていればそのうち楽しくなる、とか言っていてそれを信じて3年間嫌々ながら前の会社で働いた。

一方的な契約切りをきっかけに転職に踏み切った

内心で嫌々やっていることというのは大体周囲の人にばれてしまうものである。何事にも受け身になってしまうのだから当然と言えば当然なのかもしれない。やる気のない態度や勤務態度などを理由に、私は常駐先の会社から突然契約打ち切りを告げられ、この瞬間に会社を辞めて転職することを決断した。この時は迷わなかった。むしろ、それまでなんで辞めるという決断をしなかったのかが今となってはよくわからない。ブラック企業が仕掛ける巧妙な罠にハマってしまっていたのだと思う。

人間はきっかけがないと現状維持から抜け出せない

前職も別に3年間続ける必要などなかったと今になって思う。その3年間の中でも辞めようとか転職しようとか考えたことはあったけど、具体的にいつまでに何をするとか、どういった行動を起こすとかを本気で考えてはいなかった。やっていたことといえば、転職サイトに登録していたことぐらい。それで満足して毎日を適当にやり過ごす日々を送っていた。もしも、契約打ち切りというイベントがなければ私は今でも前の会社でダラダラと働き続けていたかもしれない。そう考えるとゾッとする。転職しやすい機会を逃してブラック企業に生涯を潰されていたかもしれない。

何かきっかけがあればそれを機に本気で動くことはできるが、それがない場合に現状を変えるというのは本当に難しいと思う。悩んで決断できないまま結局現状維持にとどまるケースが如何に多いことか。それは、会社や仕事の愚痴をこぼしながらも日々残業しながら歯を食いしばって働くサラリーマンたちの姿を見れば一目瞭然だ。

現状維持は楽だ。だけどそれが嫌なのに変えるための行動をしなければ本当に何も変わらない。だから、今の現状に対して何か悩んでいることとか本当はやりたいことがあるのに、できない理由を列挙してやらないでいる自分がいるかどうか、もう一度自分に問うてみると良いだろう。

現状が嫌ならばもうそんなものはやめてしまえばいい。やめた後のことはどうにでもなる。そんなことはやめた後に考えれば良い。やめるという行為を行うことが一番大切なのである。決断は思い切りよく生きて行こう。

今更ながらヤフオクでモノを売ってみた感想

不用品の販売といえばヤフオクかメルカリである。両者ともオークションサイトではあるが、販売といっても差し支えないだろう。ちょっと前はメルカリで現金が販売されていたことが物議を醸した。

自分にはオークションサイトなど無縁と思っていたのもついこの間まで。サラリーマン生活を嫌がりいろいろな副業に手を出し始める矢先、一番とっつきやすかったのが不用品の販売である。

やる前に何かを考えてウジウジしていても何も始まらない。それは最近読んでいる自己啓発本でも散々言われている。だからとりあえず見切り発車でヤフオクでモノを売ってみることにした。基本的には自分のいらないものを売るのだから、家の中がきれいになって少々の小遣いも手に入り、一石二鳥だと思っている。不用品販売はネットビジネスの入り口といっても過言ではないのかもしれない。

出品方法

ちょっと前まではヤフオクプレミアム会員にならないと出品ができなかったらしいが、今はプレミアム会員にならなくても出品ができる。ただし、どこかのサイトで読んだがプレミアム会員のように複数出品や自動出品などができないということらしい。まあ私は今プレミアム会員ではないが普通に出品できているし、それで特に売り上げが上がらないということもないのでプレミアム会員になることは考えていない。月額400円ちょっとを毎月の売り上げで回収して利益になるのであれば会員になる価値があるだろう。

初めてネットで商売をするというだけあって少々身構えていたが、やることはいたってシンプルだった。商品の写真を撮って簡単な紹介文を添え、値段を設定して配送方法とカテゴリを指定して出品ボタンを押すぐらいである。そのあとは入札してくれる人が現れるのを待つのみだ。

入札から発送

入札されるとスマホアプリに通知が来る。「あなたの出品した○○が入札されました」という具合だ。だからすぐに入札されたのが分かる。

その後は相手の支払いが完了するまでこちらからは商品は発送せず、支払い完了したら発送すればOKである。なお、支払い完了から発送まで少々時間が空いてしまう場合は、落札者に対して発送予定日時などをメッセージで添えるのが良いと思う。相手の立場からしたら安心できるだろう。発送は郵便局やコンビニで商品のQRコードをスキャンして出てきたレシートをレジに持っていけば簡単に終わる。

身構えていたのがバカバカしくなるぐらい簡単である。

稼ぎの手段としてはお手軽でおすすめ

ヤフオクでの販売はかなりお手軽なので、不用品が多くて捨てられないという方はぜひ何も考えずにやってみるべきだ。はたから見ればガラクタにしか見えないものが、とんでもない高値で入札されまくっているケースもたまに見る。一攫千金まではいかないが、価値の分かる人には評価される可能性がある。

出品、梱包、発送と少々手間がかかることはあるが、自分の力で商売をしているという感覚を養うことができる。私はこの感覚は本当に大切だと思う。受け取った相手がどうすれば少しでも気持ちよく思えるか、そんなことを考えるのも自分が商売をしているという当事者意識を持てるからこそ。雇われの身ではなかなかこの感覚は味わえない。

 

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褒められることの副作用を知る ~『「承認欲求」の呪縛』を読んで~

人間であれば誰でも承認欲求を持っていると思う。人間は社会性を持った生き物であるため、組織の中で生きていく上で承認欲求を持つようになったのだろう。

承認という言葉はなかなか良い響きだ。少なくとも悪い感じはしない。私も否認されるよりは承認される方が当然気持ちがいい。当然だろう。承認すること、とりわけ相手の良いところを褒めてやることというのは一見するとメリットがかなり大きいと思える。私自身も褒められた方がやる気が出るし、今のご時世デスクにモノをを叩きつけて部下を叱りつける上司など時代遅れも甚だしい。だから褒めることにはメリットばかりあると思っていた。

褒められなければならないという呪縛

しかし、この本を読み考え方が変わった。もちろん褒めることを否定するつもりはない。ただ、そのやり方は注意しなければならない。相手を褒めることで必要以上に期待をかけてしまい、そのプレッシャーに押しつぶされるケースがとても多いというのである。私はあまりいろいろな人に褒められたことが少ないからあまり実感は湧かなかったが、褒めらることを目的にして無理をしてしまう「呪縛」には心当たりがあった。

例えば会社での生活。日本人はまだまだ残業好きである。働き方改革で残業時間を減らす流れがあるが定時後にすぐに帰る人はいまだに少ないと感じる。そんな状況だからやっぱり会社の評価も残業している人を高く評価しがちになる。つまり、残業をすることが会社からの承認につながる。すると、承認されるためには自分の業務が残っていなくて帰れる状態なのにも関わらず、他の人を手伝ったりして残業するという事態が発生する。これでは残業が減るわけがない。

他の選択肢があるということを知っている強み

人生において会社というコミュニティの重要度が高いためこのようになる。逆に言えば自分にとってさして重要度が高くない組織に属していればこの考えはなくなる。だったら会社というコミュニティの重要度を下げれば良いのである。それを達成するには副業をやるのが一番手っ取り早いと思う。

最近私は基本的に残業をやらない働き方のスタイルにシフトし始めている。最低限自分のやるべきことを定時までに片づけ、時間になったらさっさと帰る。以前はそれができなかった。なぜなら、会社にしがみつかないと将来お先真っ暗だと思っていたから。だからやりたくもない残業をし、無意識のうちに周りに良い印象を与えようとしていた。だが今は違う。いろいろな人のブログを読み漁り、ビジネス本や自己啓発本の数々を読むなかで、会社で働くという生き方は人生の一つの選択肢にすぎないということに気が付いたから。それは私の生活の中で会社というコミュニティの重要度が下がったことを意味する。

こうなると、別に会社に媚を売る必要もなくなるので、周囲からの視線なんか気にせず堂々と振る舞うことができるようになる。実際に気持ちも前よりかなり楽になったような気がする。

呪縛から逃れるために他の居場所をつくろう

これは会社に限った話ではない。学校のいじめで自殺が絶えないのも、すべては狭いコミュニティでそれが日々の生活において最重要になっていることが原因である。要するに”重い”のである。オモエモン並みに重い。そしてそのコミュニティに自分の居場所がなくなったとき、人は逃げ場を失って自殺という道を選んでしまう。大失恋とよく似ている。

だから、いつでも退避できる他の居場所を作っておくというのはリスクヘッジになるし、心の拠り所にもなる。一つのものに拘ることも良いことではあるけれど、それが否定されてしまったときに受けるダメージは計り知れない。だから僕たちは上手に社会の中に複数の居場所を求め、それに依存しすぎることもなく生きていくことが必要だと感じた。

 

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資格を取ることにあまり意味がないと思う理由

ちょっと前に勉強を始めると宣言しました。

rk-baryo.hatenablog.com

社会人としてこのままじゃマズイ、何か勉強を始めなければ!、と思いながらこの1カ月間いろいろなことを考えたような気がする。

大抵の場合、勉強というと資格勉強をイメージする人が多いかもしれない。私も例外ではなく、まずは専門のIT分野における資格を漁っていた。その中でもやはりメジャーなのが基本情報技術者試験であった。IT系の会社であれば、学生の時に既に基本情報を取得した、なんて話はザラに聞くもの。大体出身は理系の情報系が半数弱ぐらいを占めているから当然と言えば当然だろう。

でも私は文系出身で会社に入って初めての研修でITの専門に触れた身分であり、情報系やIT系の資格とは無縁であった。もうサラリーマンとなって数年経つが、仕事において望むような成果が残せていないのは、多くの情報系学部出身者が保有している基本情報試験の資格を持っておらず、その知識が不足しているせいではないかと考えていた。1カ月ちょい前ぐらいまでは割と真面目にそう考えていた。でもそれはたぶん違うと今になって思う。

資格勉強で挫折

私は自分の考えた仮説に沿って、とりあえず基本情報試験の知識を付けて合格しようと勉強を始めた。この資格を取れば今までと見える景色が変わるのかもしれない、そんな淡い期待を持って勉強を始めた。

しかし、勉強開始30分で挫折した。挫折の理由は単純だ。その勉強はあまりにもつまらなすぎたのだ。コンピューターの作りとか、二進数や八進数と十進数の違いだとか、マネジメントスキルとか、そんなテキストばった知識ばかりが羅列されていて、とてもつまらなかった。そんな細かいことはどうでもいい。私が身に着けたいのは実務で役立つプログラミングの技術なんだ!ってことに気が付いた。基本情報テキストはもう使わない、ブックオフで売ってしまおうと思う。

資格はただの装飾物でしかない

基本情報のテキストには私が本当に身に着けたい知識なんてほとんど記載されていなかった。学校で教わる「つまらない教科書学習」と何ら変わりがない。それでもなお、資格の試験は人気を博している。なぜか?それは転職活動の面接や会社内での評価にプラスに働くからという理由に終着する。

面接をする人間と相対する時間は長くてもせいぜい1時間ぐらいだろう。でも1時間で面接者の人間性や仕事の能力を全て判断することはできない。そこで役立つのが資格という肩書だ。この資格を持っているのであれば大丈夫だ!と資格を基準にその人を評価する。実際に求めている能力を本人が有しているかどうかはさておき、資格があれば問題ないと判断する。非常に雑な評価だと思う。そんなクソみたいな評価をもらうための勉強に割く時間などないのだ。

もちろん、すべての資格が無意味だと言っているわけではない。簿記検定とかは資格だけど、合格目指して勉強するとダイレクトに実務の力にも反映されるし、そういう資格は評価されるべきだと思う。でも、やっぱりあまり有用でない資格というのは世の中に蔓延っていると思う。

そして、例えば基本情報なんかは私は無駄だと思ってしまうけれど、決して万人がそう思うわけではないことも理解している。ある人にとってはとても有用で大切な知識になり得るかもしれない。大事なのは、「皆が持っている資格だから。。」とかいう主体性を欠いた理由で資格勉強をしてはいけないということだ。あくまで自分基準で考えて本当に必要なものであればやればいいし、周りが持っていても自分には必要ないと思うのであれば勉強する時間が無駄なのでやらない、という選択肢をとるという判断をできなければならないと思う。

 

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セブンイレブンの社長交代劇を生んだオーナーが起こした革命を見習いたい

大阪のセブンイレブンでオーナーが24時間営業を辞めて時短営業することを決断し、実行した。このニュースは少し前からあったものだが、この問題を受けてなんとセブンイレブンの社長が交代することが決まった。

www3.nhk.or.jp

私はこのニュースを見たとき思わず、「これはすごいことが起こった!革命だ!」と一人で叫んでしまうほど衝撃を受けた。一人の労働者の勇気ある主張と行動が、セブンイレブンという巨大な企業の組織を動かしたことは本当にすごいことだと思ったからだ。

普通の人であれば契約違反による罰金やその後の生活に不自由が生じることを懸念し、他の店舗の足並みから外れることは敬遠するものである。でも、このオーナーは自分で考えて判断し、他店と違うことをしっかり実行した。たった一人で大きな組織に立ち向かうその勇気に最大限の称賛を送りたいと思うし、組織に服従せざるを得ない状況にある多くの人間にとって希望となるニュースだったと思う。

最近よく思うし当ブログにも少し書いたと思うが、”自分を主張する”ということが如何に大切か、そして当然のことながら主張しないと相手には何も伝わらない、ということを思い知らされる。

 

多くの人は色々な組織やコミュニティに属しながら毎日生活しているはずだ。サラリーマンなら会社、学生なら学校、パートやアルバイトも勤め先があるし、ニートや無職ですら家庭や地域という何らかのコミュニティー的なものに属している。

組織というのは優れたものである。一人がカバーできないところをみんなの力でカバーする、みんなで一緒に力を合わせて何か一つの目標に向かっていく、などは決して一人ではできないことが組織ならできる。だが、そんな生活を続けるうちに自分自身が組織に埋もれてしまっていないだろうか、ということをよく考えてみたい。

みんながこう言うから自分としてなんとなく違和感があるけどみんなの意見に合わせた、人と違うことはなんだか言い辛い、とか。気持ちは分からなくもないけれど、最終的に行動を決定するのは自分一人でなければならないと私は思う。組織に埋もれるうちに、自分の行動は自分で決めるというそんな当たり前のことができなくなってしまった人が本当に多いと感じている。もちろん私もこれまでそうだった。仕事においてホウレンソウ(報告連絡相談)をしっかりしろ(つまりお前に決定権はないと言われているも同然)、と新人研修で習うぐらいだから当然なのかもしれない。

私は組織に従うという姿勢から徐々に脱却したい。自分が最終的に一番ハッピーになるための行動って何なのかをしっかり考えて行動したい。もしそれが組織全体の方針や考えと異なるようであれば、たとえ自分一人でも全力で反対の意を表明し、自分の意見を主張できる人間になりたい。そして組織の中で苦しむ人が一人でも多くその志を持ち行動することができれば、世の中はきっと面白い方向に変わっていく。

今回のニュースから私はそんなことを感じた。

 

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組織の同調圧力に屈しないために考えたいこと

私は仕事が好きではありません。いや、正確に言うと仕事が嫌いなのではなく、会社という組織の中で仕事をするのがどうも好きになれません。今やっているシステムエンジニアという仕事自体をそこまで嫌いなわけではないのです。仕様を考えたりプログラミングを作ったりするのは大変なこともあるけれど、むしろ好きな方です。でも、それらが会社という組織の中でのチームプレーの一つとして割り振られることは大変なストレスです。思い返すと、小学生の頃からチームスポーツは本当に苦手でした。だから小学生までやっていたサッカーを辞め、中学から陸上競技に転向したのです。

大縄跳び競争の記事が興味深かった

以下の記事は、ネットサーフィンをしていてたまたま見つけた記事です。

www.itmedia.co.jp

小学生の頃、多くの人が経験したであろうクラス対抗の大縄跳び。でも、あれをやっていて疑問に思った人も多いはずです。「こんなことやりたくないのになぜやらなければならないのか」と。また、私が中学生の頃にクラス対抗合唱選手権という行事があり、クラス一丸となって合唱を練習し、コンクール当日の優秀賞を目指すという今考えるとクソみたいな行事に教師を含めみんなが血眼になっていました。当然やりたくない人はたくさんいて、そいつらも巻き込んで全員の心を一つにしてこそ美徳という考えを皆が持っており、だれも疑ってはいなかったのです。そしてこれらは結局、彼らが社会人になった時に社畜となる下地を作っているということです。

苦労=努力ではない

多くの人が勘違いしていますが、苦労=努力ではありません。結論から言うと、「如何に苦労せずに成果を出すかを考えて行動すること=努力」だと私は思っています。

同調圧力が顕著になると、「みんな残業してるんだからお前も残業しろ」とかの「みんながやっているんだからお前も・・」みたいな意味不明な思想が蔓延(はびこ)ってきます。そういう奴らの価値観の根底には、皆と同様という同調圧力に加えて苦労すること=努力することという勘違いがあります。企業戦士として働いてきた人はとにかく長時間働き、それを組織皆で行うことを美しいと思う感性があるのかもしれません。丁稚奉公や滅私奉公という言葉がそれを代表しています。

努力というのは素晴らしいことです。どんなに才能あふれるスポーツ選手でも努力なしに五輪で活躍することはできません。でも、社畜根性が行っている努力は苦労をするということが目的となってしまった努力であり、努力の方向が間違っていると言わざるを得ません。

自分を大事にするなら空気なんて読まず主張しよう

日本人が大好きな言葉に「空気を読む」というものがあります。数年前までは当たり前のように思っていましたが、最近はこれを非常にアホらしく思っています。幼少期からの教育が、全ての個性を殺して飼いならし、将来会社員という名の社畜根性を育てるための壮大な罠だったことに最近気が付いてきたからです。

組織の中に組み込まれてしまうとどうしても自分の存在意義が分からなくなってしまいます。そして、周りの目が気になって自分の本心を主張することに抵抗を感じてしまうことも多くあります。私も未だにそういうこと結構ありますし、付き合い残業を完全に逃れるというのも現実問題としてなかなか難しいです。でも、少しずつでも良いのでそのマインドセットを改めていきたいと思っています。会議の場では自分の思っていることはためらわずに提案してみたり、思ったことは積極的に発信し、交渉するという術をもう少し身に着けていくことが必要です。休みたいのなら積極的に上司に交渉するとかです。大事なのは、自分を主張しないと相手は絶対にこちらを理解してくれないということを認識することです。当たり前のことですが、大事なことです。主張しないでいるのは、「言わなくても察しろ」という精神と一緒で愚の骨頂です。言っても無駄だと思って主張しないのは勿体ないのです。まずは自分の意見を怖がらずに主張することからはじめましょう。案外状況が改善するかもしれません。

 

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残業を減らすために必要な考え方

管理者の指示には意味がない

働き方改革の一環で、世の中全体で残業を減らす動きが広がっています。ただ、「残業をできるだけ減らしましょう」と表面上は言っていても、その前には「仕事が終わっているのであれば」という枕詞が隠されています。つまり、仕事はサッサと終わらせて可能な限り残業はしないようにしましょうということです。それはド正論で反論の余地が全くありません。

しかし最近、どう考えても終わらない量の仕事を振られ、それに対して「できるだけ残業しないようにしてください」という無茶を言われることがあまりにも多いと感じています。残業しないでくださいと指示を出すのは大体人事部か、人事部などに指示を受けた上司や部長である場合がほとんどです。つまり、指示者は部長=プロジェクトの管理者であり、実際に現場でフロント作業員として働く人間でない場合が圧倒的に多いのです。

指示を出すのは簡単です。社員の勤怠表を見てあまりにも残業が多いようであれば「調整してください」と一言指示をすれば良いだけですから。ですが、管理者は現場で実際にどのような作業が発生しているのかを正確に把握しているわけではないので、そこでフロント作業員の認識との間に大きなギャップが生まれてしまいます。フロント作業員としては作業が終わるまで帰宅するわけにもいかず、残業が増えてしまうのは当たり前の状況なのです。管理者がどんなに残業を減らせと指示をしても何の意味もありません。

妥協して諦める精神も必要だと思う

残業が減らないことを大きな視点で捉えると、日本人特有の”ザ・諦めない精神”が大きな要因としてあるように思います。ちなみに私はこの精神論が大嫌いです。

私たちは学生の頃、よく部活で「最後まで絶対に諦めるな、いつでも全力でいけ」と常日頃言われてきました。「もうだめだ」→「まだやれる」の発想こそ頑張るということの真骨頂であると某アスリートが言っていました。この考え方も時には必要であると思いますが、なんでもかんでもこの考え方で取り組むとエラいことになります。仕事においては、全てを完璧にこなすまで寝る間も惜しんで仕事をする社畜の鑑が完成します。残業時間なんて全く気にせずに働き続けるのです。

仕事はもちろん完璧にこなす必要があるのですが、所詮人間のやることなので完璧なんて無理だと個人的には思っています。そして時間をかければそれなりに成果物の質も上がりますが、やはり限度というものはあります。そして、私の少ない経験上ではありますが、毎日長時間残業せざるを得ないような状況に陥っている時点で、最終的にその仕事はうまくいかないというケースがほとんどでした。それらは結局、後に仕切り直しになっています。

どうせ後でやり直しになるのであれば、意味のない長時間残業をしてひたすら”頑張っているフリ”をして疲弊するよりも、早い段階で諦めをつけてどのように仕切り直すのかの段取りをしっかり立てていく方がよっぽど効率的だと思うのです。ダメだと思ったらサッと諦めて次の手段に切り替えるのです。このような意識改革が多くの日本人に浸透しない限り、働き方改革とは名ばかりで内容の伴わないものになってしまうと思います。

 

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思ったらすぐ行動をすることが後悔を最小にする場合もある

今でも時々ありますが、ちょっと前の私の考え方に「これはすぐできるから後でやろう」というものがありました。日常生活のちょっとしたことや仕事でも無意識にこの考えで行動することが多くありました。

例えば仕事上でExcelフォーマットを少し修正するような小さなことを依頼されます。一応期限は切られているものの、すぐにできるからわざわざ今やっている作業を止めてまでやろうとは思わず、期限ギリギリで取り掛かれば終わるだろう、と考えます。メモを取っておけばまあやること自体を忘れることはありません。

しかし、期限が近づいていざその仕事にとりかかろうとすると、緊急で違う仕事の対応依頼が舞い込んできます。緊急ですのでどうしてもそちらを対応せざるを得なくなります。その結果、やろうと思っていた簡単なExcelの修正の仕事ができず、その仕事の期限を守れず他の仕事にも埋もれてしまいパニックモードになるという手痛い失敗をします。

今できることは今やろう

上記の失敗は私の経験談なのですが、このようなことがあった時から、日常生活でも仕事でも今取り掛かれることはサッサっと取り掛かって完了させておく、というスタイルをとるようにしています。もちろん、目の前にあるすべてを前倒して行うのは無理なので、今できる簡単なことほど前倒しして終わらせておくということが重要です。

とはいえ考えてから行動することも必要

今できることは今やることはとても重要な考え方なのですが、何もかも思いついたらすぐ行動するとこれもまた大きな失敗につながるケースもあるから厄介です。

とりあえず勉強したいから思いつく限り書籍を買ってみたものの、後で調べてみると自分の目標に近づくためにはその書籍の内容がほとんど役に立たないことが分かり、買ったものが結局無駄になってしまう、なんてこともよくありました。こういう場合には、事前にどんなことが必要かをある程度リサーチしたうえで、購入するという行動を起こした方が良いということが分かります。仕事においても、なんでも事前にやっておけば間違いないという場合だけではありません。事前にやったものの、その内容が後から見たら間違っていたため結果やり直しになったりすることも何度かありました。

将来発生する事象を予測してそれに応じた行動をとるのは非常に難しいことではあります。事前にどういった行動をとっておくと将来自分がよりハッピーになれるか、現時点でいろいろなことを予測して行動できるようになりたいと思っています。

 

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