rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

資格を取ることにあまり意味がないと思う理由

ちょっと前に勉強を始めると宣言しました。

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社会人としてこのままじゃマズイ、何か勉強を始めなければ!、と思いながらこの1カ月間いろいろなことを考えたような気がする。

大抵の場合、勉強というと資格勉強をイメージする人が多いかもしれない。私も例外ではなく、まずは専門のIT分野における資格を漁っていた。その中でもやはりメジャーなのが基本情報技術者試験であった。IT系の会社であれば、学生の時に既に基本情報を取得した、なんて話はザラに聞くもの。大体出身は理系の情報系が半数弱ぐらいを占めているから当然と言えば当然だろう。

でも私は文系出身で会社に入って初めての研修でITの専門に触れた身分であり、情報系やIT系の資格とは無縁であった。もうサラリーマンとなって数年経つが、仕事において望むような成果が残せていないのは、多くの情報系学部出身者が保有している基本情報試験の資格を持っておらず、その知識が不足しているせいではないかと考えていた。1カ月ちょい前ぐらいまでは割と真面目にそう考えていた。でもそれはたぶん違うと今になって思う。

資格勉強で挫折

私は自分の考えた仮説に沿って、とりあえず基本情報試験の知識を付けて合格しようと勉強を始めた。この資格を取れば今までと見える景色が変わるのかもしれない、そんな淡い期待を持って勉強を始めた。

しかし、勉強開始30分で挫折した。挫折の理由は単純だ。その勉強はあまりにもつまらなすぎたのだ。コンピューターの作りとか、二進数や八進数と十進数の違いだとか、マネジメントスキルとか、そんなテキストばった知識ばかりが羅列されていて、とてもつまらなかった。そんな細かいことはどうでもいい。私が身に着けたいのは実務で役立つプログラミングの技術なんだ!ってことに気が付いた。基本情報テキストはもう使わない、ブックオフで売ってしまおうと思う。

資格はただの装飾物でしかない

基本情報のテキストには私が本当に身に着けたい知識なんてほとんど記載されていなかった。学校で教わる「つまらない教科書学習」と何ら変わりがない。それでもなお、資格の試験は人気を博している。なぜか?それは転職活動の面接や会社内での評価にプラスに働くからという理由に終着する。

面接をする人間と相対する時間は長くてもせいぜい1時間ぐらいだろう。でも1時間で面接者の人間性や仕事の能力を全て判断することはできない。そこで役立つのが資格という肩書だ。この資格を持っているのであれば大丈夫だ!と資格を基準にその人を評価する。実際に求めている能力を本人が有しているかどうかはさておき、資格があれば問題ないと判断する。非常に雑な評価だと思う。そんなクソみたいな評価をもらうための勉強に割く時間などないのだ。

もちろん、すべての資格が無意味だと言っているわけではない。簿記検定とかは資格だけど、合格目指して勉強するとダイレクトに実務の力にも反映されるし、そういう資格は評価されるべきだと思う。でも、やっぱりあまり有用でない資格というのは世の中に蔓延っていると思う。

そして、例えば基本情報なんかは私は無駄だと思ってしまうけれど、決して万人がそう思うわけではないことも理解している。ある人にとってはとても有用で大切な知識になり得るかもしれない。大事なのは、「皆が持っている資格だから。。」とかいう主体性を欠いた理由で資格勉強をしてはいけないということだ。あくまで自分基準で考えて本当に必要なものであればやればいいし、周りが持っていても自分には必要ないと思うのであれば勉強する時間が無駄なのでやらない、という選択肢をとるという判断をできなければならないと思う。

 

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