rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

組織の同調圧力に屈しないために考えたいこと

私は仕事が好きではありません。いや、正確に言うと仕事が嫌いなのではなく、会社という組織の中で仕事をするのがどうも好きになれません。今やっているシステムエンジニアという仕事自体をそこまで嫌いなわけではないのです。仕様を考えたりプログラミングを作ったりするのは大変なこともあるけれど、むしろ好きな方です。でも、それらが会社という組織の中でのチームプレーの一つとして割り振られることは大変なストレスです。思い返すと、小学生の頃からチームスポーツは本当に苦手でした。だから小学生までやっていたサッカーを辞め、中学から陸上競技に転向したのです。

大縄跳び競争の記事が興味深かった

以下の記事は、ネットサーフィンをしていてたまたま見つけた記事です。

www.itmedia.co.jp

小学生の頃、多くの人が経験したであろうクラス対抗の大縄跳び。でも、あれをやっていて疑問に思った人も多いはずです。「こんなことやりたくないのになぜやらなければならないのか」と。また、私が中学生の頃にクラス対抗合唱選手権という行事があり、クラス一丸となって合唱を練習し、コンクール当日の優秀賞を目指すという今考えるとクソみたいな行事に教師を含めみんなが血眼になっていました。当然やりたくない人はたくさんいて、そいつらも巻き込んで全員の心を一つにしてこそ美徳という考えを皆が持っており、だれも疑ってはいなかったのです。そしてこれらは結局、彼らが社会人になった時に社畜となる下地を作っているということです。

苦労=努力ではない

多くの人が勘違いしていますが、苦労=努力ではありません。結論から言うと、「如何に苦労せずに成果を出すかを考えて行動すること=努力」だと私は思っています。

同調圧力が顕著になると、「みんな残業してるんだからお前も残業しろ」とかの「みんながやっているんだからお前も・・」みたいな意味不明な思想が蔓延(はびこ)ってきます。そういう奴らの価値観の根底には、皆と同様という同調圧力に加えて苦労すること=努力することという勘違いがあります。企業戦士として働いてきた人はとにかく長時間働き、それを組織皆で行うことを美しいと思う感性があるのかもしれません。丁稚奉公や滅私奉公という言葉がそれを代表しています。

努力というのは素晴らしいことです。どんなに才能あふれるスポーツ選手でも努力なしに五輪で活躍することはできません。でも、社畜根性が行っている努力は苦労をするということが目的となってしまった努力であり、努力の方向が間違っていると言わざるを得ません。

自分を大事にするなら空気なんて読まず主張しよう

日本人が大好きな言葉に「空気を読む」というものがあります。数年前までは当たり前のように思っていましたが、最近はこれを非常にアホらしく思っています。幼少期からの教育が、全ての個性を殺して飼いならし、将来会社員という名の社畜根性を育てるための壮大な罠だったことに最近気が付いてきたからです。

組織の中に組み込まれてしまうとどうしても自分の存在意義が分からなくなってしまいます。そして、周りの目が気になって自分の本心を主張することに抵抗を感じてしまうことも多くあります。私も未だにそういうこと結構ありますし、付き合い残業を完全に逃れるというのも現実問題としてなかなか難しいです。でも、少しずつでも良いのでそのマインドセットを改めていきたいと思っています。会議の場では自分の思っていることはためらわずに提案してみたり、思ったことは積極的に発信し、交渉するという術をもう少し身に着けていくことが必要です。休みたいのなら積極的に上司に交渉するとかです。大事なのは、自分を主張しないと相手は絶対にこちらを理解してくれないということを認識することです。当たり前のことですが、大事なことです。主張しないでいるのは、「言わなくても察しろ」という精神と一緒で愚の骨頂です。言っても無駄だと思って主張しないのは勿体ないのです。まずは自分の意見を怖がらずに主張することからはじめましょう。案外状況が改善するかもしれません。

 

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