rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

フリーランスや自営業が苦境に陥っている現況と自粛厨について私が思うこと

お題「#おうち時間

今年のお正月以来のブログ更新となる。

新型ウイルスが猛威を振るっている状況は相変わらず続いているが、皆さまの親族や友人の方は大丈夫でしょうか。私自身は3月頭からほぼ在宅勤務中心になり、4月頭に一回出社したのを最後に全て在宅勤務となっている。自身に関して言えば、たまたま在宅勤務ができる会社業種で本当に運が良かったとしか言いようがない。

さて、昨今のウイルスの猛威に加え自粛ムードが長引くにつれ、フリーランスや自営業の方々が経営の危機に瀕しているという報道を耳にしない日はない。特にイベント業や飲食業などには客足が遠のいていることから、致命的な打撃を受けていることは皆さまも重々承知しているはずだ。

私は当ブログにおいて、自身の経験から働き方や会社というものの存在意義について自分なりの意見を述べることを行ってきた。そして、現況の厳しい状況を目の当たりにし、過去の自分に対して思うことや今だからこそ主張すべきことがあると感じている。

フリーランスは簡単ではない

会社員として生きていくことに途方もなく嫌気がさしていた頃、私はとにかく会社という奴隷のような組織から抜け出し、自分の力だけでお金を稼いで生きていきたいと本気で思っていた。しかし、今となってはその考えは少々浅はかだったと言わざるを得ない。なぜなら、フリーランスになったら誰も自分のことは守ってくれないから。

先日Twitter上で見たあるフリーランスの人のお話。その人が契約していた仕事が前日になってドタキャンされ、キャンセル料も払われなかった挙句そのことを指摘すると逆ギレされ説教されるという、甚だ胸糞悪いLINE上でのやり取りを見た。私はこれを見て、ああ、フリーランスも楽じゃないなと痛感し、同時に過去フリーランスを夢見た自分自身を恥じた。むやみやたらに自分が持っていないものに妄想を抱くのは厳に慎むべきだと。

普段からこんなことばかりではないだろう。しかし、人間は自身が追い詰められて精神的に余裕がなくなった時に本性が出るものだ。所詮自分が一緒に仕事を進めようとしていた相手はこの程度なのか、そう思ってしまうと何とも虚しく感じることだろう。場合によってはもう誰も信用できなくなってしまうかもしれない。

自粛厨や一律な他人への強要は良くない

早くも今年の流行語になりそうな予感がする「自粛」というパワーワード。3月以降何度この言葉を聞いたことか。そんな中でやはり現れたのは自粛厨という、自粛を他人にも強要する同調圧力をかける人たちである。

同調圧力は私が最も嫌いな言葉の一つであるが、今回の件に関しては単純にこの同調圧力に対して批判ばかりはできない。なぜなら自粛をしていればウイルスの感染拡大は少なくとも大幅に減らすことができるから。

でも、相手の立場も懐状況も何も考えず一方通行で自粛!自粛!と叫ぶ奴らはやっぱりおかしいと思う。自粛を唱える奴がどういう奴なのかは分からないけど、ウイルス根絶を最優先にしているあたり、さして自身の生活には苦が生じていない人が大半ではなかろうか。そんな奴らがフリーランスや自営業の切羽詰まった経営状況や生活苦を想像することができるとは到底思えない。とにかく自粛すれば良いという自分の正義を他人に押し付け、ちょっとでも営業する店や外出移動する人々を徹底的に叩き潰し、したり顔をしているのだろう。

冷静になって考えたいこと

既に当ブログで何度も言っていることになるが、私は自分と他人は別の考えを持っていて100%分かり合えるなどということはあり得ないと考えている。例えそれが家族、恋人、どんなに親しい友人であってもだ。でも、30%しか理解できなかった相手のことを60%の理解度に高めることはできると思う。今回の自粛厨は自分の意見を相手に100%押し付けようとしているからおかしなことになるのだろうと私は思う。

自戒も含めてだが、こんな時だからこそ相手の立場や相手の価値観に寄り添った考えを持つようにして欲しいし、自分自身も改めてその部分が欠落していないかを省みないとならないと感じている。それができれば、自分の考えを相手に押し付けたり行き過ぎた価値観や正義を振りかざすことはなくなるだろうし、そんなことはできなくなると思うのだ。

 

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週初めの憂鬱を取っ払うために行うべきことを考えてみた

サラリーマンにとって、月曜日は悪魔のような日です。体のリズムが狂った休日明けにどんよりした空気が漂う満員電車に乗り、行きたくない職場に行き、会いたくない人に会い、面白いと思えないような仕事をやらなければならないからです。

やりたくないことはやらないというのが一番手っ取り早いのですが、定職に就かずに収入を得てそれなりの生活水準で満足な暮らしをするというのはなかなか難しいことです。ですので、私たちは何らかの職に就いて、どこかしらに不満を持ちながら日々仕事をしています。

そんな社会の歯車の”ワーカー”である私たちが休日明けに少しでも気分を明るくして職場に向かうにはどうすれば良いのか考えてみました。

 

前日の深酒はNG

まず、いくら翌日が憂鬱でその気分を紛らわしたいからと言って、お酒をいっぱい飲んで酔っ払い過ぎるのは非常によろしくありません。結果として、翌日の朝起床時に前日の夜の自分を殴りたい気分になります。私の場合、ちょっと飲みすぎたな、という日に限って布団に入っても動機が収まらず、なかなか寝付けないことが多いです。そのくせ、翌日起きると全然快眠感がなくてメチャクチャ眠いというパターンです。ただ、お酒の量を抑えたり禁酒すると、飲みすぎた日に比べて快眠感を得られるようになります。寝る前のお酒の量はほどほどにしておくと良いです。

サザエさんは見ても見なくてもどちらでも良い

巷で話題になっている”サザエさん症候群”というものがあります。日曜日の夕方にサザエさんを見ると、翌日から始まる仕事を思い出して嫌な気分になる、というものです。ただ、サザエさんはサラリーマンを陥れるために制作されているものではなく、サザエさんに罪はありません。要は受け取る側の気持ちの問題なのです。だから、サザエさんを見てどうしても気分が優れなくなるのであれば見なければ良いし、気にならないなら見ても良いのです。当たり前のことしか言っていませんが、世間の声よりも自分の気持ちと心に従って行動しましょう。

いつもより1時間早く寝る

毎日決まった時間に寝起きすることができれば理想ですが、休日と平日だとやはり生活リズムが多少異なるという方が大半だと思います。例えば私なら平日は朝6時15分ごろ起床してすぐに朝食を食べて7時過ぎに家を出る、という暮らしですが、休日は大体9時30分から10時ぐらいに起床してそこから朝食をとります。平日と休日の起床時間に3時間以上ズレがあるので、月曜日にいきなり早く起きると体にかなりの負担が掛かっている感じもします。ですので、体内時計を平日仕様に戻すために、前日はいつもの平日よりも1時間ほど早く寝るのが良いと感じています。また、夜に早く布団に入っても寝付けるために、その日の朝もできる限り早めに起きておく、そして起きられるように前日早く寝る、と繰り返していけば好循環となります。まあ、言うは易く行うは難し ではあります。

寝る前のネットやスマホサーフィンの時間はほどほどに

よく言われるのが、寝る1時間前にはネットやスマホを見ないようにすると良く眠れるというもの。しかし、PCでこうやってブログも書くし、ネットサーフィンもするし、ベッドに入ればスマホTwitterや他のSNSをチェックするという方は結構多いと思います。ですので、1時間前に全てシャットアウトというは現実的に難しい面もあります。そこで現実的な案として、寝る直前にスマホを見ても良いので、見る時間を今までの半分程度に抑える、ということをするだけでもかなり効果はあると思います。私も寝る前のスマホいじりの時間が短い日ほど、そのあと寝付くまでに苦しまなくて済むことが多いです。目に入るブルーライトは可能な限りカットしましょう。

0655のだじゃソングで不安を一蹴する

後はこの曲を聞いて一週間の不安を吹き飛ばしましょう。英語やフランス語の勉強もできますよ。曜日だけですが。

www.youtube.com

ちなみにこの0655と2355という番組ですが、私はこれを見ると憂鬱な気分が少しだけ楽になるので、個人的にはオススメです。

 

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休みの日にこそ疲れが出てしまうから

こんにちは、rk-baryoです。久しぶりに挨拶をしました。

今日は久しぶりに平日の昼間に家でゆっくりしています。転職してようやく初めての有休です。朝は久しぶりに10時近くまで寝ていました。そんなわけで今日は10時間ぐらい寝ていたのですが、今昼間でも結構眠気があります。今までの睡眠不足が祟っているのかもしれません。

休みの時ほど疲れを感じるのはなぜ

不思議ですね。平日は大体5時間ぐらいしか睡眠時間を確保できていないにも関わらず仕事に集中している昼間眠くなることはあまりありません。まあ朝はとてもしんどいですけれど。

恐らく、仕事しているときはやはりある程度の緊張感やプレッシャーがあり、常に気が張っている状態なのでしょう。その状態ではある意味、疲れを感じる神経が麻痺してしまっている状態なのかもしれません。しかし、そんな状態が続いた中でたまに休みの日があると、気が緩むと同時に神経の麻痺が解かれ、蓄積した疲労感が出てくるのだと思います。

長時間労働が原因で突然死してしまうタイミングとして、激務の中に時たまある休みの日に多いというようなことも聞いたことがあります。

今の自分の体が若干重い感じがして、このことを思い出して自分も気を付けなければならないと改めて感じています。

休むことも仕事であるという意識を持って生きたい

仕事によっては一週間で一日も休めないで連勤になってしまうような方も多くいらっしゃると思います。ただ、休みが取れた日はやはりできるだけ体を休めてあげるというのがとても大切になるのだと感じています。

私自身は休日によく動きまわるタイプなので、精神的な楽しさや安らぎを得ることはあっても実際に体が完全に休まるということがあまりなかったかもしれません。その状態で今日の完全休暇日を迎えた結果、いろいろな疲労の蓄積を感じています。

体調不良を装うズル休みもありだと思う

ちょっと体調が悪いなとか、疲れを感じているなら体調不良を装って仕事を一日休むという手もありだと思います。熱やせきやくしゃみが出ていなくても疲労を感じているのであればそれは立派な体調不良なのですから。

自分自身があまり体調を崩すタイプではないので体調不良を理由に休むことはあまりないのですが、これからはもう少し定期的に体調不良という名の疲労という理由で、仕事を休むことを積極的に考えたいと思いました。

 

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仕事に命かけるのはある意味正しいことだと思うけど

「仕事に命かけるなんてことはしたくない。自分の人生は仕事のためにあるわけではない。だから私はもっと自由に生きたいんだ」

 

前職を辞めてニートになる時、私はこんなことを考えていました。そして、今も同じようなことを考えています。また、ニートの期間、たった3ヶ月でしたがその間に旅行に行ったり平日に家でダラダララジオを聴きながら過ごしたりして楽しんでいました。普段毎日仕事をしていたら絶対に経験できないようなことをして人生の選択肢はいっぱいあるということも再認識しました。その考えはもちろん今でも心の中にありますし、自由に生きていけたら人生どんなに楽しいだろうと常に思っています。

 

しかし、現実どうでしょうか。今はサラリーマンとして働いていますが、会社と自宅を往復する毎日、会社に縛り付けられてがんじがらめになることを余儀なくされる日々を送っています。

本当はそんなことしたくないのです。毎日ダラダラ過ごしてそれなり生活水準で生活することができたらどんなに素敵だろうと思います。しかし現実問題として、そうすると生きていけないから毎日あくせくして働かざるを得ないのです。

 

自由に生きたいと思う人は多くいます。そしてそれを実現している人も中にはいます。正社員という形で責任が重い仕事をせず、たまにアルバイトをして後は家でのんびり過ごして生きている人、旅に生きる人、地方や離島で質素に暮らす人などは自分が選んだ自由な生き方を実現している人です。うらやましいですね。

 

ただ、こういう生活が実現できる人は往々にして実家が資産家である場合が多いものです。資産家とまでいかずとも、ある程度は貯金で生活が事足りてしまうレベルの人たちであるということですね。こういう家庭のもとであれば、自分が本当にやりたいことをとことん追求して何度でも失敗&やりなおしをするという人生を歩めると思います。

 

しかし、実際にそれだけの経済的な余裕がある家庭はそう多くはないと思います。大体の人は自由な生き方なんて見つける前に「とりあえず」稼ぐためにサラリーマンや労働者にならざるを得ないと思うのです。それは、生きるために致し方のないことなのです。もちろん私もその一人です。実家は決して裕福ではありませんから。

 

だから、自分の生活を成り立たせるために仕事を毎日する、というのはある意味当たり前であり、避けては通れないものだと思います。ただ、そう考えると自分の人生というはいったい何のためにあるのか、そう考えてはモヤっとした思いがめぐり、毎日ため息をつきながら仕方なく仕事に向かうもう一人の私がいます。

 

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ネイティブ英語の発音って何だ

当たり前ですが、今の世の中ではグローバル化が進み、英語のスキルというのは増々重要になってきています。特に日本においては、2020年の東京五輪に向けて海外からの観光客や移住者の増加などに伴い、そのことは他の諸外国と比較しても特に強く言えるのではないでしょうか。

 

先日、子供の英語教育についての番組特集がテレビでやっていたのでなんとなく見ていました。何気なく見ていたのですが、とあるフレーズが頻繁に出てくることに違和感を覚えました。それは、「ネイティブの発音が身につく」という表現です。そこで私は思いました。ここで言いたいのはアメリカの英語のことだろうけど、そもそもネイティブの発音ってどこの国の英語を基準にしたものなのだろうと。

 

日本語という言語を扱うのは我々日本人だけですが、英語を利用するのはアメリカ人だけではありません。もとはといえばイギリスの言語であり、過去にイギリスが植民地支配した国で今独立している国には英語を母語としている国が多くあります。そしてそれぞれの国で英語の発音や表現の仕方なんかも独自に進化しています。イギリス英語とアメリカ英語は違うとはよく言われたものですが、その限りではないということです。日本に首都圏の標準語があって地方にそれぞれの方言があるのと同じような感覚だと思います。

 

私が見たテレビ番組では、どうもネイティブ(アメリカ)の発音を身に着けることが正であるというな考えが滲み出ており、それは違うと思ったわけです。

下の動画は各国の人が英語で話していますが、それぞれ大分発音の仕方が異なることがわかると思います。

www.youtube.com

 

このように考えると、英語に限らずどんな言語でもネイティブという概念がいかに曖昧なのかが分かるのではないでしょうか。

日本人がネイティブ英語だと思っているのはアメリカの英語である場合が殆どだと思いますが、日本人が話すカタカナ読みっぽい英語だって日本人が話す英語という意味ではネイティブだと思います。

だから、英語をうまく発音するというような概念や考え方がそもそも間違っているのではないかと私は思うのです。

自分がしゃべる英語が例え流暢でなくても、アメリカ人に似ていなくても、それは自分が扱う言語です。だから、うまくしゃべれないからといって自信をなくして話すのを恐れるということを無くしてほしいと思います。

そういう意味で、ネイティブが正しいという価値観を押し付けるような英語教育はやめた方が良いと思います。

 

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高校で文系と理系に分かれることの弊害

今日友人と飲んでいる時に話題に上がったことで気になったことがあったので書きます。

文理が分かれるのは高校2年から

ご存知の通り、日本の高校では途中で文系と理系のクラスに分かれて授業が行われるところが多くあります。私が高校生の頃は1年生までは特に文理分かれていませんでしたが、2年生から文系のクラスと理系のクラスに分けられました。

私は数学や物理がとても苦手だったので文系に進むことを決めました。単純に理系の科目が苦手で出来るだけやりたくないから文系に進むことにしたのです。この時はまだ高校生だったのでこの選択が後の人生にどう影響してくるかなんて考えたこともありませんでした。

就職活動で知った文理選択の罠

時は流れて私は大学3年になり、就職活動を始めました。そしてリクナビマイナビなどの求人に目を通したときにショックを受けました。面白そうだなと思う仕事やちょっと興味があるなと思うような仕事はほとんど応募資格が理系の学部だったのです。

その時私は高校時代の文理選択が社会の罠だったことに気付きました。つまり、所属学部が理系である人だけを求人で絞り込むことにより、文系の人間をあらかじめ除外して会社が楽に選考を進められるようにするという魂胆が見え隠れしていたということです。

ちなみに文系に応募資格があるのは、倍率が高い経理職や多くの人が敬遠する営業職、また一部のブラックSEなどばかりでした。

高校生の頃この現実を知っていれば

つまり、私の将来の職業は高校1年時の文理選択の時点でかなり方向性が決まってしまっていたということになります。就職時に面白そうな職種や興味がある仕事に就けなくなると事前に分かっていれば、高校1年の文理選択のタイミングで何かしら違った決断をしたかもしれません。ただ、高校生の頃にこの事実を教えてくれるような人はいませんでしたし、とにかくテストで高い点数を取ることこそが正義であるという考え方があり、苦手で点数が伸びない科目を避けていくというのは自然な流れでした。

高校ではもっと将来を見据えた教育をしてほしい

私の高校時代はもう終わってしまうので永久に戻ることはできません。ただ、これから高校生を生きていく人たちにはやっぱり知っておいてほしいです。文理選択で将来の職業がある程度決まってしまうという事実を知ってほしいのです。だから、安易に理系科目が苦手だからという理由で文系に流れないでほしいと思います。

高校の先生ももっとこの現実を生徒に伝えるべきです。テストの点数を上げるのは当然大切なことではありますが、結局それは大学入学までの話であり、その先のことなんか何一つ考えていません。だから、高校の教育者である大人たちにはこういった職業選択の幅が狭まるというリスクがあることを生徒に伝えることも含め、もっと長期的な将来についてアドバイスをできるようになるべきだと私は思います。

 

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当事者意識とか主体性とは何なのか

就活で重視される

仕事においてもよく言われることの一つに、「当事者意識を持て」とか「主体性を持って行動しろ」というものがあります。また、就職活動や転職活動をしているとき、このようなフレーズを聞くことも多くありました。一般的にはこの主体性とか当事者意識を高く持ってそれを裏付けるような行動をとる人が就活市場では有利になります。リーダーとかでない人であれば、組織に対してボトムアップで上の人間たちに何を提言したか、とかが大切になるわけです。

主体性の範囲というのは曖昧である

でも結局どこまで何をやれば主体的とか当事者意識が高いと評価されるのかって結局良く分からないんですよね。

例えば私が良く思うのは、道端に捨ててあるゴミを拾ってゴミ箱に捨てるという行為です。これは見知らぬ他人が捨てたゴミを自分が始末するという主体性を発揮した行動だと思います。まあ目の前に落ちているゴミに対してはそういう行動をとる方もいらっしゃると思います。しかし、ゴミの量が多かったり人通りが多い路上でゴミを見つけた場合、なかなかゴミ拾いを実行するのは難しくなります。時間も手間もかかってしまうためです。ゴミを拾っている間に電車を一本逃してしまうかもしれません。でも、だからといってそのゴミを拾わなかったら主体性がないと評価されてしまうかもしれません。このケースでいう究極の主体性とは、世界中にあるゴミを全て自分で拾って自分で処分するという到底不可能なものになります。

このように、どこからどこまでが自分の責任範囲でどの範囲まで行動に移すべきなのかというのはとても曖昧ですし、人により考えている領域や定義などが異なるので、当事者意識とか主体性という言葉はかなりぼんやりとした言葉だと思います。

残業が増えてしまうのもこの原理が一因

一日の自分の仕事が終わってもチーム内の他の人の仕事が終わっていないからそれを手伝うために残業する、という行為もよくありますが本来はあまりよろしくないと思います。自分がやるべきことが終わったのであればさっさと帰宅できるという文化がある方が私は良いと思います。ただ、逆の立場であればそうやって助けてくれる人というのは本当にありがたいと感じますし、その行為自体を否定するつもりは全くありません。ただ、その理論で考えると際限なく残業する可能性も出てきてしまうので良くないとは思います。役割分担の意味もかなり薄れてしまうということです。

何が主体的で何が主体的でないのかはまだ良く分かっていません。でも働く中でのみならず、生きていくうえでこの問題に対する自分なりの答えを見つけたいと思っています。

 

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安田純平さんの帰国に対する反応について考えたこと

まずは帰国できて良かったと思う

先日、シリアから帰国したジャーナリストの安田純平さんのニュースが話題となりました。

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2015年からつい先日までということで約3年間もシリアで監禁(軟禁?)されていた状態が続いていたそうです。彼の証言が真実であるならば、それは想像を絶するような苦痛だったと思います。それを乗り越え、まずは殺されずに帰国できて本当に良かったと思いますし、同じ日本人としてほっとしているというのが私の感想です。

自己責任論を唱える人たちがいる

さて、彼が帰国した後に国内ではこの騒動に対するいろいろな反応がありました。私のようにとりあえず帰国できて良かったというような意見の人も多くいました。しかし、それとは少し異なる意見を持つ人たちもいました。それが、このニュースで少し問題になっている自己責任論を唱える人たちです。

この自己責任論とは、簡単に言うと「日本で渡航禁止となっている国に個人として赴いた以上、何かあっても自己責任でお願いします」というものでしょうか。さらに本質を突くと、釈放のために身代金を要求されても自己責任である以上、国からお金を出して助けるような行為は避けるべきであり迷惑極まりない、ということを主張したいのがこの自己責任論を唱える人たちです。

私もこの主張は良く分かります。単純に考えれば、ルールを破った人間に救いの手を差し伸べるというのは一見バカバカしいと思うからです。ちょっと過激に例えるならば、犯罪者に対してお小遣いをあげたり身の回りの世話をしてあげるようなことなのかもしれません。そのような過保護は本来必要ないわけですから。

日本人は平和ボケしているからそんなことが言える

しかし、ジャーナリストは現地起こっていることとかその現実を国内の何も知らない私たちに伝えるのが主な仕事だと思っています。そういう中で、一般人が行くことのできない渡航禁止されている国に行ってそこで起こっていることを伝えることは彼らにとっては当たり前のことです。それが彼らの仕事なのですから。そして、彼らがいなければ決して知ることができないような情報が今は当たり前のように身近に溢れかえっており、私たちはその情報をつかむために彼らがどんな苦労や困難を潜り抜けているかということを知らないのだと思います。

こういう平和ボケした先進国の日本人だから自己責任論みたいな考えが出てくるのだと、今回の一連の報道やそれに対する人々の反応を見て私は思いました。情報があるということはその情報を掴んで伝えている人が必ず存在します。今回問題になった自己責任論の考え方は、必死に情報を伝えてくれている人たちをバカにしているとしか思えません。

釈放に身代金が必要であれば

とはいえ、自己責任論を唱える人たちが主張するのは、釈放するために高い身代金を要求されるのが迷惑ということであり、これに対しては全否定することは私もできません。例えば10人捕まって釈放に一人当たり3億円必要となると、全員釈放するのに30億円必要になります。この30億円を国が負担することとなると、もっと他のことに使えたお金なのに、というような損した気持ちになります。わかります。

こういうことを無くしたいのであれば、一切を自己責任でというような考えもひとつありかなと思います。しかし、これはある意味情報を伝えてくれる人たちへの冒涜行為であるとも言えると思います。彼らのおかげで情報を得ている国民は彼らを助ける義務があると思うから。ギブアンドテイクですね。

だから、本人が捕まらない努力をすることはもちろん、捕まって身代金が必要になったとしてもその額ができるだけ低くなるようにする必要はあると思います。そして国としてはその身代金を払ってでも彼らを釈放に導くべきではないかと私は思います。

 

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おすすめのアルバイト

今日は私が学生時代にやっていたアルバイトについて書きます。私は、過去にジャンルの異なる何種類かのアルバイトを経験しているので、無職の方や学生で現在バイトしていない方でこれからバイトしようと考えている方に少しでも参考になればと思います。

 

学生の頃はいろいろなアルバイトをしていた

初めてのバイトは軽井沢での住み込みバイト

人生初のバイトは、大学1年の夏に1カ月ぐらい軽井沢のレストランでのバイトでした。リゾートバイトってやつですね。会社の寮に住み込み、朝7時から夕方5時ぐらいまで配膳や注文、皿洗いなどをやっていました。8月だったので朝がとても爽やかでした。普段は基本的に自分一人で生活しなければならないので、ここで少し一人暮らしの感覚を養えたような気がしています。

給料は週休二日の一カ月で20万円ほどでした。当時は自分で稼いだお金というのは初めてでとても嬉しかったのをよく覚えています。

リゾートバイトは夏などに短期間に集中して稼ぎたい方にとってはうってつけだと思います。まさに学生の方などにはおすすめのアルバイトというわけですね。

居酒屋

次は大学が近かった東京都心部の某居酒屋でのバイトです。大学1年の冬~2年の夏ぐらいまでと割と短い期間でした。時給が良かったので応募しました。

このバイトはキツイの一言でした。居酒屋ってとにかく忙しいのです。学校が終わってからバイトに向かうのですが、そのたびにもう帰りたいと思うような日々の連続でした。そんなわけで辛いことも多くて早々に辞めてしまうことになりました。私には居酒屋のバイトは向いていないなと感じた瞬間でした。ですので、居酒屋の店員さんとかを見るたびに、本当にすごいなといつも感心してしまいます。

警備員

地元に新しくイオンモールが開設したので、その駐車場の警備員のアルバイトを3カ月ほどやりました。大学2年の終わり~3年の夏ぐらいまでで、これも短期間です。警備員として働くには何日か研修を受けなくてはいけないので、それが割と面倒くさいかもしれません。また、暑い日でも雨の日でも休憩はあるとはいえシフトの時間は基本的に立ちっぱなしなので、そこが辛いという方にはおすすめしません。もちろん面倒な客に絡まれることもあります。こちらも時給は良かったのですが。

このバイトは時間が経つにつれ徐々に人員削減が進められ、なぜかシフトに入れなくなってしまったため仕方なく辞めることにしました。正直良く分かりませんでしたが、すぐにつまらなくなってしまったので、別にいっか、という感じでした。

コンビニ

警備員を辞めたあとすぐに始めました。大学卒業まで続けました。私にしては長続きしたバイトでした。時給ははっきり言ってあまりよくなかったのですが、地元だしコンビニバイトは誰でもできる楽そうな仕事だと思っていたので応募しました。

ところが、コンビニバイトは意外と面倒くさかったのです。店員が少ない割にはやることが多すぎると感じました。レジでの客対応はもちろん、定期的なゴミ出し、トイレ掃除は4時間に1回、新聞の仕分け、検品と品出し、シフト終わりにレジの計算、秋からはおでんの仕込みとか、やることはまだまだありました。その割には時給は低いと感じました。コンビニは楽というイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、意外と面倒なので楽したい方にはおすすめできません。

派遣の仕事

派遣会社に登録して働きたいときだけ働くという、いわばフリーランスのバイト版とでもいうべきでしょうか。これは大学時代を通して通年登録していて、お金が欲しいときとか何のバイトもしてないときにちょこちょここれで稼いでいました。

主に建設業の補助とかの業務が多かったです。毎回一緒に仕事をする人が変わるので合わない人とかと一緒になると最悪です。あと、所かまわずタバコを吸うような人も多かった印象です。

ちなみに一番きつかったのは朝4時起きで現場に赴き、ひたすらパチンコ台とスロット台をトラックから担いで搬入するという作業でした。このように、かなりの体力とパワーが必要になる場合もあります。体力に自信ある人にはおすすめです。

アルバイトでも生活できる

いくつかアルバイトを紹介してきましたが、給料の額面だけみれば、一カ月フルで働けば十分ではないにしても一人で暮らしていけるだけの収入を得ることは可能です。だから、一人で生きていくことをまず目標にするのであれば正社員にこだわる必要なんてないと思います。正社員との違いは福利厚生とか年金とかの待遇面ぐらいだと思います。もちろん給料も多少は違うと思いますけれども。

正社員にならなければ人生失敗という訳ではないです。一人で生きていくことを考えるのであれば、アルバイトでも生きていけます。扶養家族がいればちょっと話は別になりますが。正社員になれないから絶望するのではなく、バイトで生きていくという選択肢もあるという視点を持つこともある意味必要かなと思います。私ももし今の仕事を辞めてしまうことがあれば、バイトで生きていくことも新たな選択肢の1つとして考えてみようと思っています。

 

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自分に合った睡眠時間の見分け方

今日は睡眠時間について書きます。個人差はありますが、一般的には7~8時間ぐらい睡眠時間を確保すればOKという風に言われています。

私にとっての理想の睡眠時間

私は9月までニートだったので睡眠時間は取り放題という状態でした。だいたい深夜1時に就寝して朝の9時ぐらいに起床するという生活を続けていました。もう少しずらして深夜0時に就寝の朝8時起きぐらいにしたかったのですが、なかなかできませんでした。ただ、いずれにしても8時間ぐらい寝れば目覚まし時計なしでも目が覚めることが多かったので、私にとっての適切な睡眠時間は大体8時間ぐらいなのかなと思っています。

サラリーマンの時の睡眠時間

ニートになる前や現在再就職した後の睡眠時間としては、おおよそ0時就寝の6時起きということが多いです。睡眠時間は6時間ほどしかとれていません。理想は7時間睡眠ですので、もう少し努力して睡眠時間を確保したいと考えています。起きる時間は遅くできないので就寝時間をできるだけ早くするしかないのですが、これもなかなか難しかったりします。早めに帰宅できれば8時帰宅でそこからお風呂と食事と雑用などをすればあっという間に3時間ぐらい経ってしまいます。んでそこから一日のささやかな楽しみであるネットサーフィンをしていたらあっという間に深夜0時となってしまいます。ネットサーフィンという無駄な時間をとってしまっているのが原因なのですが、これもなかなかやめることができません。一度習慣になってしまったことを変えていくのは想像以上に難しいと感じています。

いつか体を壊しそうで怖い

6時間睡眠の平日は朝の目覚めがすこぶる悪く、前日の夜更かしを毎朝後悔します。ですが、その日の夜になるとまた同じことを繰り返してしまうのです。愚かなり。こういう生活を続けていると、いつか体を壊してしまうのではないかと不安になります。

自分の適切な睡眠時間が8時間なのかどうかは正直分からないです。目覚めが良いからといってその時の睡眠時間が本当に自分の体に適切かどうかは分からないからです。ただ、私にとって6時間睡眠というのは明らかに不足していて体に良くないと感じます。昼間になればそんなに気になりませんが、電車で座ったときとかは爆睡してしまいますし、十分な睡眠がとれていれば電車で寝る必要なんてないようにも思えるので。こういう生活を何年か続けてきましたが、そのうちこの睡眠不足が祟って突然死してしまうのではないかと不安になることもあります。

結局は自分が快眠できる時間が一番ではないだろうか

なんだかんだ言ってきましたが、私は自分に一番適切な睡眠時間なんて見分けることはできないと思います(タイトル詐欺)。しかし、自分が何時間眠れば快眠して目覚めよくできるかというのは皆がそれぞれ知っていると思います。どうせ適切な睡眠時間がよく分からないのです。そうであれば、目覚まし時計なしで自然に目が覚める時間が自分に最も合う睡眠時間なんじゃないかなと私は思います。

早起きする必要のない休日、昨晩眠りについた時間から朝自然に目が覚めたタイミングが適切な睡眠時間であると考えています。そして可能な限りその睡眠時間に近い時間を毎日確保できれば理想的であるとも思います。

 

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