rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

当事者意識とか主体性とは何なのか

就活で重視される

仕事においてもよく言われることの一つに、「当事者意識を持て」とか「主体性を持って行動しろ」というものがあります。また、就職活動や転職活動をしているとき、このようなフレーズを聞くことも多くありました。一般的にはこの主体性とか当事者意識を高く持ってそれを裏付けるような行動をとる人が就活市場では有利になります。リーダーとかでない人であれば、組織に対してボトムアップで上の人間たちに何を提言したか、とかが大切になるわけです。

主体性の範囲というのは曖昧である

でも結局どこまで何をやれば主体的とか当事者意識が高いと評価されるのかって結局良く分からないんですよね。

例えば私が良く思うのは、道端に捨ててあるゴミを拾ってゴミ箱に捨てるという行為です。これは見知らぬ他人が捨てたゴミを自分が始末するという主体性を発揮した行動だと思います。まあ目の前に落ちているゴミに対してはそういう行動をとる方もいらっしゃると思います。しかし、ゴミの量が多かったり人通りが多い路上でゴミを見つけた場合、なかなかゴミ拾いを実行するのは難しくなります。時間も手間もかかってしまうためです。ゴミを拾っている間に電車を一本逃してしまうかもしれません。でも、だからといってそのゴミを拾わなかったら主体性がないと評価されてしまうかもしれません。このケースでいう究極の主体性とは、世界中にあるゴミを全て自分で拾って自分で処分するという到底不可能なものになります。

このように、どこからどこまでが自分の責任範囲でどの範囲まで行動に移すべきなのかというのはとても曖昧ですし、人により考えている領域や定義などが異なるので、当事者意識とか主体性という言葉はかなりぼんやりとした言葉だと思います。

残業が増えてしまうのもこの原理が一因

一日の自分の仕事が終わってもチーム内の他の人の仕事が終わっていないからそれを手伝うために残業する、という行為もよくありますが本来はあまりよろしくないと思います。自分がやるべきことが終わったのであればさっさと帰宅できるという文化がある方が私は良いと思います。ただ、逆の立場であればそうやって助けてくれる人というのは本当にありがたいと感じますし、その行為自体を否定するつもりは全くありません。ただ、その理論で考えると際限なく残業する可能性も出てきてしまうので良くないとは思います。役割分担の意味もかなり薄れてしまうということです。

何が主体的で何が主体的でないのかはまだ良く分かっていません。でも働く中でのみならず、生きていくうえでこの問題に対する自分なりの答えを見つけたいと思っています。

 

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