rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

仕事に命かけるのはある意味正しいことだと思うけど

「仕事に命かけるなんてことはしたくない。自分の人生は仕事のためにあるわけではない。だから私はもっと自由に生きたいんだ」

 

前職を辞めてニートになる時、私はこんなことを考えていました。そして、今も同じようなことを考えています。また、ニートの期間、たった3ヶ月でしたがその間に旅行に行ったり平日に家でダラダララジオを聴きながら過ごしたりして楽しんでいました。普段毎日仕事をしていたら絶対に経験できないようなことをして人生の選択肢はいっぱいあるということも再認識しました。その考えはもちろん今でも心の中にありますし、自由に生きていけたら人生どんなに楽しいだろうと常に思っています。

 

しかし、現実どうでしょうか。今はサラリーマンとして働いていますが、会社と自宅を往復する毎日、会社に縛り付けられてがんじがらめになることを余儀なくされる日々を送っています。

本当はそんなことしたくないのです。毎日ダラダラ過ごしてそれなり生活水準で生活することができたらどんなに素敵だろうと思います。しかし現実問題として、そうすると生きていけないから毎日あくせくして働かざるを得ないのです。

 

自由に生きたいと思う人は多くいます。そしてそれを実現している人も中にはいます。正社員という形で責任が重い仕事をせず、たまにアルバイトをして後は家でのんびり過ごして生きている人、旅に生きる人、地方や離島で質素に暮らす人などは自分が選んだ自由な生き方を実現している人です。うらやましいですね。

 

ただ、こういう生活が実現できる人は往々にして実家が資産家である場合が多いものです。資産家とまでいかずとも、ある程度は貯金で生活が事足りてしまうレベルの人たちであるということですね。こういう家庭のもとであれば、自分が本当にやりたいことをとことん追求して何度でも失敗&やりなおしをするという人生を歩めると思います。

 

しかし、実際にそれだけの経済的な余裕がある家庭はそう多くはないと思います。大体の人は自由な生き方なんて見つける前に「とりあえず」稼ぐためにサラリーマンや労働者にならざるを得ないと思うのです。それは、生きるために致し方のないことなのです。もちろん私もその一人です。実家は決して裕福ではありませんから。

 

だから、自分の生活を成り立たせるために仕事を毎日する、というのはある意味当たり前であり、避けては通れないものだと思います。ただ、そう考えると自分の人生というはいったい何のためにあるのか、そう考えてはモヤっとした思いがめぐり、毎日ため息をつきながら仕方なく仕事に向かうもう一人の私がいます。

 

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