rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

家を買うというリスク

住宅ローンは冷静に考えて損だと思う

一昔前よりは少なくなったと思うが、住宅ローンを組んで高価な家を購入し、老後まで月額で返済し続けながら人生を送る人々は多い。私の実家も両親が30年以上前から住宅ローンを組んでいて、未だに全額返済し終わっていない。

例えば、家の値段自体は土地代も含めて大体1,200万ぐらいだとしても、ローンを組むと当然銀行から利子が加算されるため、支払いの総額は2,000万円を超えるという。単純に払う額が2倍弱になるということを考えると、住宅ローンでの家の購入というのはかなりアホらしい買い物をしているように思える。

また、現代は終身雇用の時代でもないし、結婚しても数年後には離婚したりするし、その他の要素を見ても、人生において生活状況というのは常に変化し続けるものである。そんな中、継続的にローンを払い続けられる保証もないし、それに縛られて自由に買い物したり、時々贅沢したりすることを我慢しなければならないというのはなかなかしんどいモノがあると思うのである。

買うなら一括、一括が無理なら賃貸

私が自分の住む家についてどのようにすべきか考えているのは、「買うなら一括、無理なら賃貸」ということである。

まず自分自身の感覚として、所有することにそこまで価値を感じない。モノが増えればそれだけ執着も増えていくことになるし、心は結局貧乏なままな気がする。また、住宅ローンを支払うことが人生の最優先事項になってしまうと、自分や家族の自由を奪うことになって人生が破滅的になってしまうことも考えられる。一昔前のような終身雇用が当たり前の時代には、住宅ローンという考え方がハマっていたのかもしれないが、現代においてはそれが当てはまらなくなってきていると思う。

それではずっと賃貸が良いのかというと必ずしもそうではない、というのがなかなか難しいところである。賃貸もずっと月額支払わなければならない点では住宅ローンと相違はないし、お金の捻出にはやはり苦労する。住宅ローンは完済すれば所有物となり支払いもなくなるが、賃貸では住み続ける限り永遠に払い続けなければならない。ただ、契約の重さが段違いに住宅ローンの方が重く、簡単に抜けられないというのが大きな違いになるだろう。

賃貸は比較的簡単に契約締結や解除ができる点で、自由な人生を生きるというテーマを持っている人たちにとっては良い契約形態だと思う。安定して地盤を固めて生きていくことを大事にしている人や、自分なりの家へのこだわりが強く、リフォーム等を積極的に行いたい人はローンを組んででも購入する価値があるだろう。

 

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ヒゲ脱毛をやるべきか

ヒゲ脱毛をしていた頃

私はコロナになる前の2019年の夏~冬あたりにヒゲ脱毛に通っていたことがある。ヒゲ脱毛をしようと思った理由としては、美肌になるということ、友人がヒゲ脱毛を始めたということで自分も始めてみようと思ったから、ということがある。

3週間から1カ月に一回ぐらい脱毛サロンに通ってレーザーで口周りのヒゲの毛根を焼いてもらう療法となる。私はもともとヒゲが濃い方ではないが、それでも鼻下やアゴなどをレーザー照射するとそれなりに痛かったと記憶している。一回30分ぐらいの治療を10回ぐらい繰り返してようやくヒゲの毛根がなくなり、キレイさっぱりヒゲ脱毛されるということになる。そのため、治療期間も数カ月~1年ぐらいはかかる。

ちなみに私の場合、通っていたサロンがそもそも医療脱毛でなく効果が強力でなかったことや、プランの途中でコロナになってしまいサロンが閉店してしまったため、キレイにヒゲ脱毛できない状態で終わってしまった。その後特に別のサロンに通うこともなく、鼻下の真ん中部分だけヒゲが生えずツルツルという何とも中途半端な状態で今日まで過ごしてきた。

ヒゲ脱毛ってやるべきなのか

サロンに通っていた頃の私は特に明確な信念もなく脱毛サロンに課金していた。完全にヒゲがなくなってしまう恐怖感から、アゴのヒゲだけは残すようにお願いしたりしたこともあった。今はまだ若くてヒゲが似合う顔ではないから、ヒゲはなくても良いと思っていたが、いつかヒゲを蓄えてみたいと思った時、その選択肢が取れないのもなんだか寂しいことのように思えたのである。

ただ、最近になってまたヒゲ脱毛を再開したいと思うようになった。コロナが終わって外出しやすくなったのも理由の一つだが、やはり毎日の髭剃りが非常に面倒くさいのが理由である。そして、ヒゲがない方が圧倒的に自分の顔が良く見える。将来ヒゲをはやしたいときには確かに寂しく感じるかもしれないが、結局そんな将来は一生来ないのかもしれないとも感じ始めている。

私は人と会うことも外出することも多くないし、ヒゲ自体がそもそも少ないのでヒゲ剃りは週に2~3回ぐらいしかやらない。それでも、ヒゲを剃ったあとのスッキリ感や顔がシュッとする感覚は良いものがある。

もし、皆さんが現在毎日ヒゲを剃っているのであれば、きっと将来もヒゲを蓄えることはほぼないと考えても良いだろう。だから、明確にヒゲを伸ばしたい願望や具体的なイメージがないのであれば、思い切ってヒゲ脱毛に課金しても良いのではないだろうか。

 

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家は広ければ良いわけではない

多くの人はより広い家に住むことを好む

世の中の多くの人は、今よりもより良い生活がしたいと願いながら日々一生懸命生きている。その願望の一つに、今よりも大きくて広い家に住みたいという願いを持っている人もかなり多いのではないだろうか。より大きくて広い家に住むためには、多くの家賃や住宅ローンを支払う必要があり、自身の収入と理想の住居を天秤にかけながら、あれやこれやと思いを巡らせていることだろう。

ただ、自身を振り返ってもらいたいのだが、それが本当に自分にとって必要なことなのか、自分が心の底から自分が求めていることなのかを深く考えたことがあるだろうか。

広い家は落ち着かない

ここで私個人の話をする。

私は、実家に住んでいた時に一人だけになると、どうも落ち着かない感覚に陥ることが多くあった。その正体が何なのか、実家に住んでいるときは良く分からなかったのだが、一人暮らしで狭い家に住むようになって分かってきた。それは簡単に言うと、「自分の目が行き届かない場所への不安」である。

実家のリビングで一人テレビを見ていても、自分の部屋に籠って何か作業をしていても、何らかの物音がすると不審者が侵入してきたのではないかと心配し、木刀を持って玄関まで気配を殺して忍び足で確認しに行ったりしていた。実際に不審者に侵入されていたことは一度もなかったが、このように自分の中で勝手にいらぬ幻想を作り上げて心配してしまうことがよくあった。

現在は一人暮らしで狭い家なので、家の中の大半の部分が自分の意識の中に入っており、実家で感じたような妙な不安を感じることはほとんどない。

広い家に拘る必要があるか考えてみよう

最初の話に戻るが、広い家に住むことこそが本当に人生をハッピーにしてくれるのか、よく考えた方が良い。人間という生き物は脳が発達しており、それが文明や便利な生活を作ることに役立っている反面、実際には起こりえないような妄想や幻想を抱いて自らを苦しめてしまうという皮肉な側面も持つ生き物である。家に対してそのような被害妄想を持ってしまうと、逆に不幸になってしまう。

例えば、ロシアという国の国土は広いし多くの国と国境を接していて、それらの国々との間で紛争の火種がなかなか無くならない国である。似たように、家が広ければ広いほど、気にかけなければならない箇所が増え、それが自分たちに対して肉体的にも精神的にも負担となってしまうこともある。

私自身が最近思うのは、「独房でも路上生活よりはマシ」ということである。独房は少し極端ではあるが、雨風をしのげて最低限生活に必要なスペースがあればそれで満足、ぐらいの気持ちでいる方が慎ましく生きて幸せを感じられるのではないだろうか。

 

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2022年の振り返り日記

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

今年も気が付けばまた12月の年末となってしまった。年を取るにつれ、月日の流れが加速しているような気がする。今年も特に具体的な目標を立てたわけではなかった。とにかく毎日健康に過ごして日常の当たり前を幸せに感じる、そういう生き方をひたむきに続けていくという意識で過ごしてきた。ただ、そんな中でも細かく思うことは色々あるので、思うことを書いてみたい。

仕事方面

今年も引き続きテレワーク中心の日々であった。年次的にも若手から中堅へ移行しているところであるが、自分自身でチームを率いて何かを率先して進めていくという行動がやや欠けていたかなと思っている。私自身は作業を黙々とこなすことが得意で、それをやり始めるとなかなか周りが見えなくなってしまうクセがある。また、人と話すよりもものを作ったりする作業の方が好きなので、人とコミュニケーションをとるのが面倒と思ってしまうことも多い。

だが、社会人生活を重ねるにつれて、自分の得意なこと以外にも積極的に関わっていかなければならないと思っている。来年はそのことを意識しつつ、徐々にではあるが他のメンバーに影響を与えるような動きができるようになりたいと思っている。

日常生活方面

まず健康面について言うと、現在は若干喉の痛みを患っているが比較的健康的に過ごすことができたと思う。発熱で寝込むこともなかったし、体調不良で仕事を休むこともなかったと記憶している。ワールドカップ観戦などで睡眠時間が削れてしまい、翌日頭痛や眠気で苦しむことはあったが、そこはご愛嬌ということにしても良いのかなと思っている。来年も睡眠と食事第一で健康的に過ごしていくことを目標としたい。

次に人間関係面では、定期的に会う友人とは良好な関係を保つことができているし、コロナ禍を経て数年ぶりに会う友人とも良いコミュニケーションを取ることができた。この数少ない友人関係は大切にして今後も過ごしていきたいと思う。

出会いや恋愛面では特に何もなく独り身でいる。今年は特にいい感じの出会いもなかったし、自分自身も特にそれを望んでいるわけではない。結婚願望も相変わらず全くないのだが、どこかで良い出会いがあればそのチャンスは積極的にモノにしていきたいとも思っている。その過程で結婚願望なども出てくるかもしれないし、積極的な姿勢で動いていれば人生はどう転ぶか分からないものである。

レーニング方面

今年も何度か肩を痛めて満足にトレーニングできない時期があったが、少しずつ腕を太くしたり、バーベル種目の重量を上げることはできている。Twitter上の人やユーチューバーと比べて自分の才能の無さに絶望しがちだが、こればかりは自分のペースで過去の自分を越えていくという気持ちで根気よく続けていくしかないと思っている。来年も怪我に気を付けて、地道に努力を積み重ねていくしかないだろう。

その他

今年は久しぶりに泊まり有りの旅行に行った。青ヶ島を目指したが天候不良により八丈島まででの足止めとなってしまった。来年の挑戦で青ヶ島に到達できることを願っている。また、一人旅の方もぼちぼち再開していきたい。訪問したいところは色々出てきているので、まずは沖縄の波照間と与那国、そして北海道の最北と最東にはもう一度行きたいと思っている。

最後に、皆様にとっても良い2023年になることを願っている。良いお年をお迎えください。

 

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学生時代の部活の思い出を語る

今週のお題「わたし○○部でした」

小学生まで

小学1年生で地元のサッカークラブに入会した。入部理由としては、仲が良かった同い年の友達が入会したのでそれに連られてという形だ。だから特にサッカーがやりたかったから入った訳ではなかった。

はじめの頃は試合に勝てなくてもそれなりに楽しかったが、次第に監督やコーチたちの熱量が増加していき、勝つために厳しい練習を行うようになった。その結果、私はサッカーが嫌いになった。結局小6までクラブを続けたが、後から入ってきた人たちにもどんどん追い抜かれ、自分のやる気も続かなったので、中学ではサッカーを辞めることとなった。

中学と高校

中学に入り、陸上競技部に入る。短距離と走り幅跳びがそれなりに得意だったのでその種目に専念した。何とか県大会や地方大会に出場できるぐらいの実力しかなかったが、自分一人で完結できるスポーツということで楽しかったし、記録という覆しようのない結果で自分の実力を測ることができたので、納得して取り組むことができた。だから愚直に地力を伸ばすために努力できたし、放課後一人で黙々と練習するその時間がとても有意義だったし、充実した時間を送ることができた。

高校に入っても陸上競技を続け、記録も成績も順調に伸びていった。県大会出場も常連となり、自分の努力が良い結果となって返ってくることに喜びを感じていた。本当に運が良ければ高校3年時にはインターハイの出場も不可能ではないぐらいの成績を残せていたと思う。

怪我に泣く

しかし、怪我が私を苦しめた。高校2年の冬に校内の球技大会でサッカーをしている時、相手チームに足を蹴られて右膝の前十字靭帯を断裂する大怪我をしてしまった。医者曰く復帰までは1年以上かかるとのことで、高校生活での部活動継続は絶望的となった。高校時代をほぼ部活にかけていた私は目の前が真っ暗になり、この時初めて自殺を本気で考えた。競技と全く関係ないところでしょうもない怪我をしてしまったことが悔しかったし、順調に行っていたらどこまで上位の大会に行けたのだろうか、などと考えると言葉がなかった。

結局最後の大会が始まる季節に、ライバルたちの活躍を尻目に自分は病院で手術後の入院生活を送ることになった。手術時に膝関節を固定するために打ち込んだ釘は今も私の体の中に入っている。

振り返って思うこと

それから10数年経過し、当時のことを思い出しながら今この文章を書いているが、やはり無念という言葉だけが残る。怪我をしてしまったのは体の管理を疎かにしてしまった自分の責任だし、色々と認識が甘かったのだろうと思う。

部活だけではなく恋愛などでも当てはまると思うが、とかく若い学生時代は何かに打ち込むとそれしか見えないような盲目的な状態になってしまいがちで、それを失ったら人生絶望だと思うようなことも多いのかもしれない。もう怪我が怖くて以後陸上競技に取り組むことはなくなったが、今思えば絶望して自殺などしなくてよかったと思っている。大人になると、人生は部活だけではなく様々な選択肢に満ち溢れているということを知ることができるから。そして、夢中で努力した学生時代のあの時間は、自分にとってはかけがえのない宝物なのである。

 

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『ストレス脳』アンデシュ・ハンセン

今週のお題「最近おもしろかった本」

人間は大昔よりもはるかに安全で豊かな生活ができるようになったにも関わらず、なぜ精神的不調を訴える人がかなり多いのか、という疑問について著者なりの回答を紹介している本である。

ネット社会はごく最近のこと

TwitterInstagramなどのSNSが流行る世の中になっているが、それらが人間の心に対して少なからず悪影響を及ぼしている可能性が高いという。それは日本人だけの問題ではなく海外でも同様の傾向がみられるし、このようなSNSツールを多用する比較的若い年代層ほどメンタルへより悪影響があるという。

つい30年ぐらい前まではまだパソコンやインターネットいう概念がほとんどなく、人類が誕生してから数百万年のうち、デジタルデータに深く関わる生活というのは直近30年ぐらいに集中している。人類の歴史の大半で人は自分が生まれ育ったその地で死ぬまで生きていくというのが通常であり、別の場所に住む人たちの存在を意識したり交流したりする機会は皆無だったと言っていいだろう。人類は長期間そのような環境にさらされてきていたので、現代ほど多くの情報に触れることには適応していない。まずはこれらの点を理解しておかなければならない。

脳は”生き延びる”ために動いている

祖先たちは現代ほど多くの情報や人と関わってこなかったし、原始時代では常に食料を求めて日々を生き抜くことで精いっぱいだった。原始時代の人類と現代の人類でもDNAはほとんど変わっていないため、中身は原始時代のままなのに外の環境はネット社会になっているというのが人類が置かれている現状である。私たちのDNAは生きるか死ぬかのサバイバルな世界に生きており、食料が目の前にあったらたらふく食してカロリー確保しておこうとする。それが本能であり、だから世の中から肥満がなくならない。

そして何よりも生き抜くことを脳が優先するように作られているので、幸せに生きるかどうかなどは脳にとってはどうでもよく、とにかく危険を避けて死なないことを脳は目指している。うつ病で引きこもりになってしまうことは危険を避ける本能的な行動であり何もおかしなことではない。うつ病精神疾患などと言われるがそれは疾患などではなく、生命を優先する至って正常な反応ではないだろうか。そう考えると、ストレスを感じることは人間にとってごく自然な防衛反応であり、自分の生命が危機を感じているシグナルだと認識する必要がある。

幸せに生きることにこだわるな

人間が生きる目的を聞かれ、幸せになるために生きていると回答する人はそれなりに多いと思う。私もつい最近まではなんとなくそう思っていた。しかし人間の脳の構造が数万年前から99%以上変わっていないこと、その原始時代から常に生き抜くことだけを最優先にしてきた脳のことを思うと、幸せに生きるなどということは実にくだらないと思うようになった。

幸せになるために生きているのに、SNSを多用して他人のキラキラした日常と自身の惨めな生活を比較して不幸になる人のなんと多いことか。脳の構造が現代ほど多くの情報を適切に裁くよう適応していないのだから、何かと不都合は出てくるものである。人間はもともと数十人とか数百人ぐらいの単位でコミュニティーを築いて生きていくようにしか設計されていない。少なくとも今後数万年ぐらいはそうだろう。そのキャパを超えるような情報に触れても脳は疲弊するだけである。

幸せとは、少なくとも現代の人類にとっては、毎日生き抜いていった先に結果的に得られる副産物でしかない。自ら貪欲に幸せを掴みに行く姿勢も結構毛だらけ猫灰だらけであるが、あまりにも理想が高すぎると現実とのギャップに苦しむことになり逆に不幸になる。

自分の身体、脳がどのような遺伝子で出来ているのか、祖先は何を思って生きてきたのか、生きるために何が必要なのか、人類含め生物の進化のスピードは恐ろしく遅い、ということを心に刻み付け、改めて日々を真摯に生きていきたいと思うようになった。

 

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八丈島旅行記 #2

#1のつづき

スリル満点の飛行機

行きの飛行機もなんとか離陸し、海上を飛行して着実に島へ近づいていく。窓際の席でなかったことと、天候があまりよくなかったせいでほとんど外の様子が分からなかったが、雲が一面にかかっていることだけは分かった。

離陸から30分ほど経過すると着陸体勢に入るという機内放送が入った。ここで着陸に失敗したら東京に引き返すことになり、いよいよこの旅行は終了となってしまう。高度を下げるにつれて次第に機体が揺れ始める。まあまあな揺れの中で八丈島の陸地が見えかかったところで再びエンジンをふかす音が聞こえ、同時に機体が急上昇していく。ゴーアラウンド。どうやら着陸に失敗してしまったようだ。これはもうダメかと思っていたら、機長判断でもう一度着陸をやり直すという放送が入る。そして2回目の着陸は横揺れの中何とか成功し、無事八丈島に降り立つことができたのである。着陸成功の瞬間、機内は乗客の拍手喝采となった。

初日の島は悪天候

とはいえ、八丈島は横殴りの雨が降る悪天候だった。ホテルの送迎バスに乗りながら、この雨と風でよく飛行機が着陸したものだと感心していた。7,8分ほどでホテルの到着し、チェックインを済ませながら夕食に予約してあったすし屋に遅れそうだと電話をいれ、すぐにタクシーを手配した。しかし、ホテルの前で待っていてもなかなかタクシーが来ず、30分以上待たされる羽目になった。何とか営業時間ギリギリですし屋に滑り込んで珍しい島寿司をいただいた。ネタの厚みや、ワサビの代わりにカラシを入れてる独特の風味を味わった。その後行った居酒屋でも島ならではのちょっと珍しい食事や、明日葉ビールという緑色のビールを飲んだりして腹ごしらえをした。帰りにスーパーに寄り、フェリー欠航による欠品の棚が多くあるなぁなどと思いながら、お土産になりそうなものを数点購入した。

弾丸観光と帰路の心配

1日目はフェリーの引き返しやら移動やらでとにかく疲れたので、きっちり8時間睡眠を取った。おかげで2日目の目覚めは過去1年で一番良いぐらいの最高の目覚めだった。朝食のバイキングを済ませ、9時を過ぎたころにホテルをチェックアウト。天候は基本的に晴れだが、数分ごとに土砂降りになったり晴天になったりとなかなか安定しない。雲の入れ替わりも激しく、天候が変わりやすいというのはこういうことかと実感した。レンタカーを使用したが、これが軽自動車でアクセルをベタ踏みしてもやっと50キロ出るか出ないかぐらいの馬力しかないものだった。八丈島を回るにはこのぐらいで十分ではあるが、自分は都会の便利さに慣れすぎてしまっているのかもしれないとも思った。

その後、ふれあい牧場、八丈島植物公園、トンネル展望台、裏見ヶ滝、みはらしの湯などの観光スポットを教科書通りに巡る。お昼ご飯は5,000円ぐらい出して一番高い料理を頼んだのだが、思いのほか一人前の量が多く、食べきるのに1時間近くかかってしまった。

本来はもう一泊する予定だったのだが、これ以上長居すると台風の影響でしばらく本土に帰れなくなってしまう可能性が非常に高いため、この日の夕方に弾丸で東京に帰る予定に変更していた。そのため、この日の飛行機が飛ぶかどうかを観光中もずっと気にかけていた。一日3便ある羽田と八丈島の飛行機だが、この日は2便目がまさかの欠航。島は晴れていて比較的天気は良かったのでちょっと嫌な予感がしてきた。このまま3便目が欠航になってしまうと今日中に東京に帰ることはできず、島に取り残されてしまうし、明日は恐らく全便欠航だったら、、など心配の種は尽きなかった。

何とか飛んだ3便目

夕方になり、帰るために空港に向かう。天候調査中ではあったが、何とか羽田から八丈島へ飛行機が飛んでくれたらしい。これであとは八丈島空港に着陸さえしてくれれば万事OK。空港への送迎バスの中で無事着陸してくれることをずっと祈っていた。

空港の手荷物検査に並んでいる時に、無事に着陸したという放送が入った。本当にホッとした。本来の予定通りではないが、何とか帰ることができそうだ、と。帰りの飛行機もそれなりに揺れたが、無事に羽田に戻ってくることができた。

旅の教訓:自然の摂理を受け入れること

今回の旅行を通して、自然の前では人は無力であると改めて痛感した。初日のフェリーでガンガン揺られて寝不足になったこと。フェリーが島に着岸できずに引き返してしまったこと。船酔いでぐったりしていたり、戻してしまう人たちを見たこと。飛行機がガクンと揺れたり、ゴーアラウンドせざるを得ないほどの天候にも関わらず、リスクをおかしても再度着陸に挑戦する機長に勇気と意地を感じたこと。帰れるのか帰れないのかヤキモキしながら過ごした二日目の弾丸観光。

旅においては、全てうまく予定通りに進むことばかりではないということを再度実感したし、そのようなスリルがあるからこそなおさら面白いのかもしれない。今はまだそこまで思えないこともあるが、自然の摂理を受け入れ、不測の事態を楽しめるようになってこそ真の旅人の境地に近づけるのかもしれない。期間こそ短かったが、内容は濃すぎるぐらいに濃密であり、自分の経験値が爆上がりする旅行となったと思う。

そして、ずっとコロナ禍で旅行をお休みしていたが、やっぱり旅っていいなっと心の底から思った。

 

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八丈島旅行記 #1

久々の旅

先週、久しぶりに旅行に行ってきた。コロナウイルスが流行りだした2020年の初頭以来、ずっと泊りがけで旅行に行くことがなったので実に2年半以上ぶりの本格的な旅行となった。久しぶりすぎてとても新鮮な感覚だったので、その時みた景色や思ったことをつらつらと記載していく。

台風14号が接近する中での出発

今回の旅、元々の行き先は八丈島青ヶ島を目指していたが、台風14号が接近してきていて出発前からかなり雲行きが怪しくなっていた。夜22:30発の竹芝桟橋フェリーターミナルに到着すると船の運航状況が随時確認できるのだが、伊豆大島行き以外の船は全便条件付き運行となっており、天候により島への着岸が難しいと判断された場合は東京に引き返すという制約が出ていた。正直、心の中ではこの時点で八丈島へは行けても、青ヶ島へは行けないだろうと既に思いはじめていた。そして一緒に行く旅慣れた友人からは、フェリーがかなり揺れるから船酔いを覚悟して事前に酔い止めを飲んでおけ、と散々釘を刺された。私はガッツリ外洋を長時間航行するフェリーに乗るのはこれが初めてだったので、不安な気持ちも多少はあり、無理せず今晩は早めに寝ようと思った。

そして定刻になりフェリーが東京湾を出発した。大学生のウェイウェイ集団が思いのほか多く、出港時にスマホで景色を撮影したり、デッキでブルーシートを敷いて酒盛りを始める輩もそれなりにいた。楽しい旅行だからそういうことをするのも悪くないだろう。だが、この先船の揺れでどれだけ自分がダメージを食らうのか想像がつかなかったので、私は同じようなことをしようとは到底思えなかった。それよりも今晩しっかり眠れるのか、ということだけが心配で仕方なかった。そして部屋に戻ってすぐに酔い止めを飲んでおいた。

私たちは特2等という部屋を割り当てられたのだが、これがカプセルホテルみたいに狭く、身支度を整える動作をするのがやっとというスペースしかない。おまけにほぼ相部屋状態なので、近くの学生がこの狭い空間で酒盛りをしだしたのを見て、このままだと今晩船酔いでひどい目に遭いそうだということで、1人6,000円追加して1等の個室にグレードアップしてもらった。これがホテルみたいに快適な部屋だったので、何とか夜中に備えることができそうということで一安心した。

眠さと揺れとの戦い

出港から2時間ほど経過し、横須賀を過ぎて東京湾を抜けはじめるあたりのタイミングで船が少しずつ揺れ始める。縦揺れも横揺れも両方ある。気持ち悪くはなっていないがそろそろまずい雰囲気がしたので布団に入って寝ることにした。しかし、次第に大きくなる揺れと部屋の色々なものが傾いて落ちたりする音が聞こえたりして気が散ってなかなか入眠できない。そうこうするうちに時刻は深夜1:30となり、場所的には三浦半島沖の外洋を航行している頃である。船の揺れは激しさを増し、ジェットコースターのような縦揺れと船に波が打ち付ける音でやはり寝付くことができない。依然、気持ち悪くはならなかったが、酔い止め薬の副作用で異常にのどが渇く。出航前から感じていた嫌な予感は的中し、寝付けない過酷な夜になってしまった。これも旅の醍醐味と思えば楽しいものなのかもしれないが。

なんだかんだで朝の5時ごろに三宅島に到着する。私たちの目的地は八丈島で、午前9時ごろに到着する予定だったのであと4時間か、などと考えていると、波が高く八丈島へは着岸が難しいため八丈島へは行かずこのまま東京に戻ります、というアナウンスが入った。私は半分寝た状態だったがその館内放送をしっかり聞いていた。あぁ、この旅行は失敗だったな、台風にしてやられたか、9月の旅行はやはり難しいか、などおぼろげながら色々なことが頭をよぎったが、とりあえず眠かったのでそのまま眠りに落ちた。

帰路での決断

そして9時ごろに起床して食堂に向かい、朝飯にお茶漬けを軽めに食べた。寝不足のせいで気分はあまり優れず、酔っているのかそうでないかよく分からなかったが、とりあえず食欲だけはあったので何とか船酔いを回避できたのかもしれないと思った。食堂では昨晩の大揺れに翻弄されたであろう人たちも朝食を取っていたが、ぐったりとしている人は何人かいたし、その場でリバースしてしまう子供もおり、この船旅の過酷さを物語るような光景だった。

もう八丈島へも行けないし、台風も接近していてこれから先どんどん天候も悪化してくことが予想されるので、このまま全旅程キャンセルするのが普通の考えだが、東京に着いたら飛行機に乗り換えて八丈島まで行く選択肢を私たちは捨てていなかった。朝の海をデッキから眺めながら、やはりこのまま何もせずに旅行が終わることだけは納得いかないと思ったし、帰りの保証はないけれど、自分たちの運を信じて八丈島行きの便にかけてみるのも面白いと思った。まさに旅好きの執念である。そして夕方15:50羽田発八丈島行きの飛行機に滑り込み、ここからやっと旅行が本格的にスタートしたのだった。

(#2に続く)

 

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ウォーターボーイズにハマった少年時代

シンクロ!

お題から。

大人になってから夏によく見ているドラマやアニメなどはあまりないような気がするが、小学生中学年~高学年にかけてよく見ていたのは「ウォーターボーイズ」であった。これは本来女性専用の種目とされていたシンクロナイズドスイミングを男子高校生夏休み中に特訓し、休み明けの文化祭で披露するという、当時としてはかなり斬新な切り口の映画、ドラマであったと思う。そのため、小学生ながらドラマを見てシンクロに興味を持った私は、よく夏休み中のプールの授業で友達と居残りし、シンクロの技を一つひとつ練習したりしたものだ。

私が小学校高学年ぐらいのときは毎年夏にウォーターボーイズがドラマでやっていたような気がするが、中学生に上がるころぐらいには放送されなくなっていたように思う。シンクロに興味は持っていたものの、小学生や中学生が市内の水泳大会でシンクロの技を競うような場はほぼなく、大会ではスピードとタイムを競う競泳が中心だったので、シンクロを継続しようとする人はなかなか少ないのかもしれないと思う。少しもったいないことだと思う。

ウォーターボーイズの面白いところ

ウォーターボーイズのシリーズを通して学んだこととしては、ありきたりではあるが諦めないことの大切や、常識や概念などの枠にとらわれすぎずに進んでいけばなんとかなるという気楽さを持つことも必要ということである。

今でこそ違うのかもしれないが、シンクロという競技を男性が行うなんてと、ドラマに出てくる人も最初はだれもがバカにしたり蔑んだりする。それでもシンクロをやろうとする彼らはその気持ちを行動で表し、数々の理不尽な要求や嫌がらせにも耐えて自分たちの夢を実現しようと奮闘努力する。その努力と行動が反対勢力の人々を徐々に動かして味方につけ、最後の発表会で夢を叶える。

理論や知識というのは知っている人ならば誰もが語ることができる。逆に言えばそれらを普通に伝えたところで人の心を動かすことはできない。だが、その裏に熱意や行動があればそれがオリジナリティを生み出し、相手の心を動かしていく。子供の頃はそこまで意識して見ていなかったが、ちょっと大人になってから振り返るとこのような学びがあるのかもしれないと思う。

 

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良い睡眠のためにはできるだけ昼寝を控えるべき理由

昼寝が必ずしも良くない理由

最近は前とほぼ変わらず在宅勤務が中心であり、一日の睡眠時間は大体7~7.5時間ぐらいの日が多くなっている。本当は8時間毎日寝たいのだが、メリハリなく夜にだらけてしまうことなども多く、そこまでの時間は確保できていない。そのため、昼間や夕方ぐらいに眠くなってしまうことが多く、仕事の合間に10-20分ぐらい仮眠を取ることもしばしばある。

そのような昼寝は20分程度少し意識を失う「うたた寝」程度であれば問題ないのだが、ついつい深い眠りに入って30分以上眠ってしまうと、ほぼ確実にその夜に上手く入眠できなくなることに気が付いた。昼寝の後の目覚めは素晴らしく良いのだが、夜寝る時間になってもまだまだ目が冴えてしまい、全く眠れなくなってしまう。その結果、寝付くまでに3時間ぐらいかかり、翌朝もある程度早起きなので結果的に睡眠不足の一日を過ごすという悪循環に陥ってしまう。

夜しっかり寝ることの大切さ

これを回避するためにまず考えるべきことは、昼寝をしなくても済むように夜にしっかり寝ておくことがある。十分な睡眠時間を確保していても昼間に眠くなってしまうのはある程度仕方ないことなのかもしれないが、昼間に猛烈な眠気が襲ってくるということはやはり夜の睡眠時間が不足しているのが一因になっていると思う。

自分自身は7時間程度の睡眠で不足ないと思っていたが、実際は少し足りていないのかもしれないと思い始めている。実際に、出社する日の前日は在宅の日より1時間早起きではあるが前日はいつもより2時間近く早く布団に入るようにしており、その結果出社日は眠くならずに集中して一日過ごすことができる。

在宅勤務は通勤時間が少ない分色々な時間が確保できて良いと思われるかもしれないが、その心の余裕が怠惰につながるケースが多く、よほど自分を律する心が強くなければメリハリの利いた生活ができなくなってしまうという難しさがあると感じる。

昼間にどうしても眠くなってしまい昼寝をしたくなった場合、「昼寝をする」という意識ではなく、少し意識がまどろむ程度の「うたた寝をする」ぐらいの意識を持っておくと良いのかもしれない。

 

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