rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

捨てられないTシャツ

今週のお題「二軍のTシャツ」

朱鷺のイラストTシャツ

暑い季節になるとほぼTシャツ短パンで過ごすことが多い。かつては旅行に行くたびにご当地Tシャツを集めていたのをよく思い出す。体のサイズが大きくなったり、特に白いTシャツは比較的短期間で汚れがついてしまうため、数年と持たないようなものも多くあるが、そのようなTシャツでもなかなか捨てられないTシャツというのは確かに存在する。

私が保有しているTシャツの中で捨てられないTシャツ代表は、新潟県佐渡島のコンビニで購入した朱鷺の絵柄がプリントされたTシャツである。このTシャツはポリエステルのような白地にかわいらしい朱鷺のイラスト(リアルではないやつ、ネット上では画像が見つからなかった)がプリントされたものであり、5年ほど前に購入した。首都圏ではもちろん、佐渡島以外の地域でもなかなか購入できないと思われ、現地に赴いた自分への土産物としてはそれなりに価値があるものだと思っている。購入した翌日から着用し、そのまま自宅に帰ってきたのをよく覚えている。その時からこのTシャツはお気に入りの一着となった。

ただ時間が経つにつれ、白地ということもあって少し汚れが目立つようになるのと同時に、その時よりも自分の体も一回り大きくなり少し窮屈になった。そのため、現在このTシャツを着て外に出かけることはほぼなく、冬場の肌着や部屋着に成り下がっている。他にもTシャツは色々持っており、このTシャツを処分してしまうことは簡単なのだが、そう簡単に捨てられないのが人情というものだなと感じている。

Tシャツについて個人的な嗜好を語る

Tシャツは基本的にオーバーサイズで着用するのが個人的な好みである。ピチピチのTシャツが好きという人もおられるかもしれないが、個人的には筋肉アピールしているように見えてしまって気持ちが悪い。また、ダボダボサイズぐらいの方が動作するときのストレスも遥かに軽減される。

素材としては綿よりもポリエステルの方が風通しがよく涼しいので好みである。昔は白いTシャツを集めることに拘っていた時期もあったが、現在はなるべく白を避けた淡めだけれども汚れが目立ちにくそうなポリエステルのシャツが一番好みである。涼しく風通しが良いこと、熱を吸収しにくい薄め基調の色でありながら汚れも目立ちにくそうな配色であること、サイズにゆとりがあることが選定の条件である。

今後新しくTシャツを購入するときは、代わりに古くあったものを捨てるなり違う使い方をするなり、少し工夫できるようになりたいと思っている。

 

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インターネット中毒の解毒方法

実家でネット閲覧時間が減った

暇な時間があるとついPCやスマホを開いてインスタグラムやツイッターブラウジングしてしまう人は多いと思う。私もツイッターを見始めるとやめられなくなってしまうことがある。また、特にPCを開くとどうしてもYoutubeを見始めてしまい、関連動画の中から面白そうな動画を次々に閲覧してしまう自分に嫌気がさすこともある。

話は変わり、ゴールデンウイーク中に実家に引きこもっていた私はあることに気が付いた。一人暮らしの自分の家よりも実家にいるほうがネットをブラウジングする時間が少ないということだ。日常生活でも同様にネットとの距離感を保てれば、深夜まで無駄に動画を見ながら時間を潰すということも少なくなるのではないかと思う。

ネット環境が悪いことの思わぬメリット

実家のPCはスペックが悪く、本体の起動にもブラウザの起動にもかなり時間がかかる。PCのスペックが良いに越したことはないと思っていた私ではあるが、スペックが良いと次々に新しい情報が目の前に現れるため、どうしても閲覧する情報量は多くなってしまうし、不要な情報を無駄に閲覧してしまう機会も増えるだろう。その点、スペックが悪いとブラウジングするのに時間もかかりストレスなので、さっさとPCの前から離れて違うことをしようと考えるようになる。

タブレット保有しているのだが、これまた10年ほど前に購入したものでブラウザがうまく動かなかったり、動画のスクロールもやりにくかったりする。しかし、それが多くの情報に触れることを絶妙に阻んでおり、ダラダラとネットサーフィンをせずに済んでいる。結果として、本来見たかった情報だけサクッと閲覧し、他の情報は見ないということが容易になるように感じる。

ネットに脳をハッキングされることを防ぐ

情報を取捨選択し、適切な情報量でスパッと切り替えられるタイプの人間であればネット環境の良し悪しは関係ないのだろうが、私みたいにそのような切り替えが難しいタイプの人間がいるということもまた事実である。自分がネット中毒だと自覚している人がどれほどいるのかは不明だが、現代人でも特に若い年代の人は8割近くがネットやスマホ中毒なのではないだろうか。電車に乗れば若年層ほどほとんどスマホを弄っている光景を見ると、これはある種、スマホに脳をハッキングされているのではないかとすら思うほどである。私は残念ながら自分がネット中毒になりかけていることに薄々気づいていたので、どうにかしたいと思っていた。

もしも自分が少しでもネット中毒になりかけていると自覚があって治したいと思っているのであれば、あえてネット環境を少し不便にしてみるということが何かの解決策になるかもしれない。

 

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物件探しとロケーションについて

今週のお題「好きな街」

一人暮らしを始めるまではどのような家に住みたいとか、ここだけは譲れないポイントがあるというようなこだわりを特に持っていなかった。というよりも興味もなかったし自分にはあまり関係のないことだと思っていた。しかし、いざ一人暮らしをしようと思って色々な物件を見ていると、自分がどのような住環境を好むのか、絶対に外せないポイントは何なのかを見極め、懐具合と相談しながら物件を決める必要が出てきた。

住むなら最寄り駅まで歩ける距離が良い

物件を探すにあたり、まずはロケーションをどこにするのかを決めなければいけない。首都圏ならば東京なのか千葉なのか埼玉なのか神奈川なのか、関西圏であれば大阪なのか京都なのか兵庫なのか、というまずはざっくりした具合にだ。

ロケーションを決めるときに考慮すべき要素として一般的には、自分の職場からどのぐらいの距離なのか、駅から近いのか、騒音はどの程度なのか、スーパーやコンビニが近くにあるのかどうか、家賃の相場、自分の趣味や楽しみを定期的に行える施設がそれなりに近くにあるのかどうか、など挙げ始めると多くある。

私は首都圏住みだが、これらの要素の中で特に重視したのは、家賃が安いことと最寄り駅まで歩いて苦にならない距離であるという、誰もが第一条件としそうな要素である。

コロナ渦で外出が減ったとはいえ、やはり外出するときには駅から電車に乗るのが通常の移動手段となるため、家から駅まで行くのが億劫という心理的な負担は大きい。もちろん駅近物件は家賃もそれなりに高いが、外出頻度がそこそこ高いという人は多少家賃が高くてもなるべく駅に近い物件に住むことをおすすめする。

東京の東側は家賃が安い

個人的な肌感覚でしかないが、首都圏以外から上京して初めて都内で一人暮らしをする人は新宿より西側の地域を好む傾向があるように思える。路線でいうと中央線、東急線小田急線、西武新宿線あたりの人気が非常に高いように感じる。これらの路線の街は都内に職場に近いだけではなく、華やかで明るくハイカラで安全で住みやすいというイメージがあるというのは何となく分かる。同じ家賃8万円で荻窪ワンルームに住むのと亀有の1LDKに住むのはどちらが良いか、という話に近いのかもしれない。

私の周りにいる上京してきた人たちを見ていると、20代などの若いうちは特に東京の西側を好む傾向にあるが、年齢が上がるにつれて東側に住む人も増えているように見える。職場が遠すぎるのであれば仕方がないが、墨田区葛飾区など、居住地としてあまり人気のない東京23区は意外に家賃が安くて思ったよりも便利な場所もあるので、新宿や渋谷の近辺ばかり見るのではなく、下町情緒あふれる東側の東京にも目を向けてみるとよいかもしれない。

 

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メガネのメリット、レーシック本当に必要かを考える

メガネは邪魔

私は中学卒業~高校生になるぐらいの時期に一気に視力が落ちてしまった。それまで普通に見えていた教室の黒板の文字が見えづらくなり、当初はこれが視力低下の症状だと気付かず、何とかやり過ごしていた。しかし、授業についていくにも支障が出てきたため視力検査をしてみると、両目とも視力0.2しかないことが判明した。自分はずっと目が良いと思っていたためこの事実はかなりショックだったし、今後ずっとメガネを付けて生きていかなければならないというのは当時の自分を全否定するような出来事だと思っていた。

そうして日常生活でもメガネをかけて生活するようになったのだが、運動して顔に汗をかくとメガネにも汗が付くし、マスクをするとどうしてもメガネが曇りやすくなるし、雨の日はレンズが濡れて視界が遮られるため、ずっとメガネで過ごすのは苦痛だった。そこで大学生になってある程度自分でお金を稼げるようになった時にコンタクトレンズを購入することにした。基本的には毎日使い捨てで定期的に買いたさなければいけないのだが、運動するときやちょっとした外出の時にメガネよりも邪魔にならないのは魅力的だったし、購入して良かったと思っている。

レーシック手術を受ける前に考えていること

そんな感じでもう10年弱コンタクトとメガネを使い分ける日々を送っているのだが、最近コンタクトをつけるのも面倒に感じている。何しろ消耗品なので定期的に買いたさねばならず、お金も時間もかかるのでメンテナンスも楽ではない。だったらいっそのことレーシック手術を受けて視力を回復させてしまえば良いかもと考えてみた。しかし、実行しようとはまだ思っていない。手術が嫌いなのはもちろんとして、レーシック手術をして視力回復すると、もうメガネをかけることがなくなり、今までメガネをかけることで受けていた恩恵が享受できなくなる可能性があるとも考えている。

メガネをかけることにより享受できる恩恵とは以下のようなものがあると思っている。

  • 玉ねぎを切っても目があまり痛くならない
  • 小さい虫や雨粒が直接目に入らない
  • メガネを外せば目を背けたくなる光景をバッチリ見ずに済む

水泳のゴーグルほどではないが、メガネがバリアとなって玉ねぎの攻撃を多少和らげることができる。また、羽虫がや雨粒が直接目に入ることを防いでくれる効果もある。加えてあまり見たくない光景や人の細かい表情などはメガネを外していると視力が悪いため見えない。そのため、敢えて周りを気にせず集中したいときは、メガネを外すとパフォーマンスが上がるようなこともあり、単純にクリアに見えていればヨシ!とも言い切れない側面があると感じている。

基本的にはメガネは邪魔なものなので付けない方が良いと思っているが、メガネにより微々たるメリットではあるが享受していたものもあると思っている。そのため、視力回復という必要不可欠でもないものに対し、自分の体にメスを入れるようなことを安易に行って良いものか、たまに自問自答する日々を送っている。

 

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冬を見据えたグッズの購入を考えておく

春に冬を意識するのは難しい

昨年春から一人暮らしをし始めて約一年弱経過した。

春夏秋冬を通年で経験する中、まさに光陰矢の如しとは言ったもので月日の流れが信じられないほど早いものである。春に越してくるときには、扇風機の購入にあくせくしたり、エアコンの取り付けが梅雨までに終わるのかどうかなど、その辺りのタイミングを見極めながら引越し作業を進めていたことを思い出す。

日本では新生活は春に始まることが多いので、そのちょっと先の夏を見据えて必要な家具家電を揃えていくことに意識が行きがちではある。だが、夏を過ぎれば季節はあっという間に冬に向かい、部屋の中も芯まで冷えるようになる。そしてこのタイミングになって初めて冬用に必要なものを探し始めるようになる。そのため、意識が向きづらい冬の生活においてどのようなものが必要かということも認識したうえで、春からの新生活の準備を進められると良いと思っている。

タツ

冬場にあるとありがたいのがコタツである。新生活にあたり、ダイニング用のテーブルなどを新しく購入する方は多いと思うが、そのダイニングテーブルが冬場にコタツとして使えたらなお良いかも、と想像しながら買い物をしている方はどれだけいらっしゃるだろうか。コタツ機能がないと、夏場はテーブルとして役に立ったけれど、冬場にコタツとして使えず足元が寒い思いをする羽目になることも考えられる。

特に新居に和室があるという方は、コタツ機能付きのテーブルの購入を積極的に考えてみても良いかもしれない。

石油ストーブ

部屋の間取りや広さにもよるが、石油ストーブがあると冬場も寒さに困ることがほぼなくなる。1Rの部屋ならともかく、1Kや1DK以上の間取りの部屋になるとエアコン一台の暖房が他の部屋に届かないこともあり、出力を上げると電気代が無駄にかかってしまうこともあるだろう。しかし、石油ストーブはエアコンよりも威力があるため、部屋を全体的にかなり暖かくすることができる印象がある。

また、停電になった際も関係なく稼働させることができるため、災害時に役立つといったメリットもあると思う。反面、近所で灯油を補給できるガソリンスタンドや燃料店のようなお店がないと使い続けるのが難しいため、住む場所の近くにこれらのお店があるようであれば石油ストーブの購入も検討して良いと思う。

まとめ

今回は、とかく春の引越しではなかなか意識しない冬の生活を見据えて買いそろえたいものとして、コタツと石油ストーブを取り上げた。私自身はコタツは夏前に既に準備できていたのだが、石油ストーブはいざ寒い季節になってから欲しくなって購入することとなった。他にも、風呂のタイルが冷たいのでそれを緩和するマットとか、台所作業の時に手が冷たくならないようにゴム手袋を購入するなど、住み続ける中で季節が変わると色々と気になることが出てくるものだ。

1年以上新居で暮らしていく予定があるのであれば、最初のうちに把握し得る必要なものをあらかた購入してしまっても損はないと思うので、1年も生活しないかもしれない、などとは考えず、オールシーズン快適に生活するためのグッズについては真剣に考えてみるべきだと思う。

 

今週のお題「買いそろえたもの」

 

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2021年の振り返りとか

コロナ禍での幕開け

2021年は前年に続いてコロナ禍でのスタートとなった。感染状況は第三派の真っ只中、日々新規の感染者数を更新する勢いでコロナウイルスが広がっている状況で2021年は幕を開けた。年越しコンサートで例年なら地味な衣装を身にまとっているアーティストが今年に限ってはなぜか皆カラフルな衣装をしていたのが印象的だった。きっと2021年こそは良い年になりますようにという願いを込めたメッセージなのかもしれないと思ったし、私自身も明るい一年になって欲しいと思ったことをよく覚えている。

念願の一人暮らしへ

5月の連休過ぎから念願だった一人暮らしをはじめた。このタイミングでどうしてというようなことを色々な人から言われたが、特に明確な理由などはなく、今が一人暮らしをしたいタイミングだったから、ということに尽きる。30歳も手前になり、将来の身の振り方などを考えるとどうしても今のうちに一人で生活をやりくりするスキルを身に付けたいと思っていた。準備も面倒だしお金もかかるし実家にいても何不自由なく生活していけるから今までは行動に移せなかったが、コロナ禍でも生活も少しずつ安定してきたのでこの機に思い切って実行することにした。

準備の段階でも実際に新居に住み始めてからも今まで知らなかった生活に必要なあれこれや家事スキルのコツなどが色々あることも知り、実家に居続けたら分からないようなことを多く発見できた。一人暮らしをはじめてから半年ちょっと経過し、実家と比べて不自由なことややりにくいことなども多々あるのだが、自分一人で生活を切り盛りしていく楽しさを噛みしめながら生活できているので辛くはない。今年一人暮らしをはじめて本当に良かったと思っている。

東京五輪

今となっては懐かしい思い出になってしまった感もあるが、今年は夏の五輪開催について揺れ動いた年だった。そもそも開催しない方が良いのではないかという意見も多くあったし、その意見に対して反論するのは難しいとも感じていた。命が一番大事だと言われればそれ以上は何も言えないし、至極真っ当な正論であると思う。

ただ、やはり人間はただ生きているだけの動物とは少し違うとも思っている。音楽を聞いて感動したり、本を読んで涙を流したり、ドラマを見て主人公に感情移入して自分と照らし合わせてみたり、など豊かな感情と感性を持つ生き物が人間だと思う。だから、これらのエンターテインメントや芸術に関するイベントも人間にとっては必要な刺激であると思うし、可能な限りこういう行事は開催されるべきという意見もありだと思っていた。

結果的に東京五輪は無観客で開催されたが、テレビを通して多くの人たちに希望や感動を与えてくれたと思うし、様々な問題はあったものの開催して良かったと言えるのではないかと個人的には思っている。

来年へ

とにかく毎日健康に慎ましく生活する、ということに尽きる。

具体的な目標を立てるのも良いが、まずは一年通して自分のケアをしっかりすること、体調をほぼ万全に保つことが何よりも大切だと思う。その思いは一人暮らしをするようになってより強く実感している。

具体的な目標は特に考えていないが、過去の自分を少しでも超えられるよう、今取り組んでいる色々なものに対して真摯に向き合うことを目標としたい。

 

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2021年の購入リスト:買ってよかったもの

今週のお題「買ってよかった2021」

2021年もあっという間に年末となり、また本年に購入したものを振り返る時期が来てしまった。買ったものとしては大きく2つある。

Nintendo Switch

今年1月の正月休みに購入したのがSwitchである。自分がずっと欲しかったという訳ではなかったのだが、友人と話をする中で一緒にオンラインゲームをしたら楽しいのではないかという話になり、話のネタ作りや暇つぶしの道具として久しぶりにゲーム機を購入することにした。本体だけで3万~4万ぐらい飛んでしまい、年始早々高い買い物をしてしまったなと思った記憶がある。

ソフトとしては、マリオカートスマブラ桃鉄を中心にプレイしており、どのソフトも一通りクリアして今もたまにソロプレイや友人とのオンラインプレイを楽しんでいる。

結果的に友人との共通の話題作りにもなるし、暇な時間を潰したりストレス発散したりするときにゲームが役立っていると感じることもあり、4万円近く出しても購入して良かったと思っている。

電子ピアノ(2代目)

使用していた電子ピアノの鍵盤が反応しなくなってしまったので、これを機会に電子ピアノを新調することにし、12月初旬に新しい電子ピアノを購入した。先代の電子ピアノが2万円弱とかなり安かったが、今回購入したのは6万円ちょっとで少しグレードアップしている。これでも、電子ピアノとしてはかなり安い価格帯だ。

メーカーは色々迷ったが最終的にはCASIOのものを購入した。鍵盤のタッチ感などが先代とは大分異なり、割とグランドピアノに近いような弾き心地のように感じる。もっと高価格帯のものであればさらに音質なども良いのだろうが、コスパを考えると6万円でこのグレードのものが購入できるとは本当に良い時代に生まれたと思うし、まだひと月ほどしか使用していないが、買い替えて良かったと思っている。

買いたいと思った時が購入のタイミングなのかもしれない

新しい物というのはいつも魅力的に感じるが、やはりお金がかかることなので買うのか買わないのかの判断をするのは難しい。そんな状況でも買うべきタイミングだと思うのは、買いたいと思う気持ちの強さと買った後の使用用途が明確になっていることだと思う。

私の場合、Switchであれば友人と話しながらゲームをするという目的のために購入したし、ピアノであればほぼ毎日弾いている自分の趣味のためという明確な目的があったので迷わず購入した。

とりあえず良いなと思って買ってはみたもののあまり使わずに放置してある、というような状況が一番無駄になってしまうし、モノに対しても失礼になってしまうと思う。今あるものを大切に扱い、その上で新しいものが必要になったタイミングで購入を検討することが重要なのだと思う。

 

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毎日健康体で地道に生活できるだけでありがたい

健康に生きているだけで尊い

今週のお題「叫びたい!」

前回の更新からまた期間が空いてしまった。

お題とはあまり関係ないかもしれないが、最近特に思うことを書いていこうと思う。

ちょっと前まであまり思うこともなかったのだが、コロナ禍の影響もあって最近、毎日健康で生活を送れることに対してとてもありがたいと思うようになった。8月の中旬ぐらいに一度体調を崩し、普段は滅多に発熱することがないのに微熱の症状が出た。当時は毎日の国内の感染者が2万人を超えるような状況であり、自分もとうとう罹患してしまったかと思い、覚悟を決めて寝込むことにした。結果としては、少し微熱が出ただけで翌日には快復したのだが、あの時は何とも言えない恐怖を感じた。普段何気なく生活できていることや体調が普通であることがどれほど幸せなことか、改めて痛感することとなった。

無駄な欲望を隅っこに置いておくことの利点

今の時代にまともな稼ぎで生活できていない人はたくさんいるはずだ。私は幸運にも現在は仕事があり、高給取りではないがそれなりに恵まれた生活を送っていると言わざるを得ない。それだけでも十分に幸せなことだし、その上にまた何か別のものを望むのは傲慢ですらあると思うし、ふとした時にそのような欲望が沸き上がって来る自分自身に嫌気が差すこともある。

人間という生き物はどこまでも強欲なもので、一つの目標を達成したらすぐ次の目標を追い求めるし、自分がまだ手に入れていないものを際限なく欲する生き物だと思う。その本能のおかげで文明がここまで発達し、便利な機器やサービスが発達してきたのだから、その点では褒めるべき人間の能力なのかもしれない。

だが、それらは全て健康な体や最低限の生活が送れるうえでしか成立しないものである。便利さや楽しさ、贅沢を追い求めるあまり、この最も大切な点が疎かになってしまうような生活スタイルになってはいけないと思う。常に自分が地に足のついた生活ができているかどうかを確認しながら生きていく必要があるのだと感じているし、その意識が持てればわざわざお金をかけずとも、日常の小さなことに対しても幸せを感じることができるし、生活コストも低くて済むのだと思う。私はミニマリストではないが、やはり人間は欲望を際限なく広げてしまうとダメになってしまうと思うし、必ずネガティブな反動があると思う。

仕事で悩むこともあるし、色々と調子が悪い日もある。でも入院したり路上生活をしている人と比較すればそのような悩みは些細なものなのかもしれない。そう思いながら自分を鼓舞し、小さな悩みを吹き飛ばしつつ、日常のささやかな出来事に小さな幸せを見出す生き方を貫きたいと思っている。

 

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死について考えること

死について考えるとき

一人暮らしをするようになってから「死」について時々考えるようになった。実家で暮らしていた時はこのようなことを考えることはなかった。今この場で自分が突然意識を失って倒れて永眠してしまったらどうなるのか、とかそれは孤独死等を含む変死事案に分類されてしまうのか、とか色々なことを考えてしまうことがある。

生きている限り誰もが突然死してしまう可能性があり、年齢が若かろうがそれは例外ではないと思う。可能性は限りなく低いと思うが、今日や明日にも自分自身の肉体から魂が抜けていくことがあるかもしれない。

できるだけ迷惑をかけない死に方とは

一人で生きていれば死後に発見が遅れて孤独死扱いになってしまう可能性は高く、身寄り頼りもないのであればなおさらそうなのだと思う。同居家族がいればそのような悲惨な死に方を防止しやすくなるので、孤独死を避けたいのであればできるだけ誰かと同居したほうが良いのかもしれない。私も一人で苦しみながら死んでいくのはできれば避けたいと思っているし、苦しい時に助けてくれる人が近くにいればどんなに心強いだろうと思う。

だが、自分が孤独死を避けたいがために無理に誰かと同居する必要はないとも思う。誰かと同居することを好まなかったり、独身でいれば大体の人は一人暮らしで人生を終えることになるだろう。それは個人の自由なので問題ないと思うが、残された人の後始末が大変になるような死に方は避けていかなければならないとも感じる。家にモノが多く整理するに苦労するとか、どう見ても不要な古いものばかりため込んでいるような状況は避けたいと思っている。

いざというときに頼れる人を

また、一人暮らしを貫くのであれば、自分の身に何かが起きた時を考えて定期的に連絡を取り合う友人などはいた方が良いと思う。自分の状況を把握している人が誰もいなければ孤立状態になってしまい、やがて訪れる孤独死を避けることはできないだろう。

自分がこれからどのような生活スタイルを築いていくかまだ決まったわけではないが、独身で一人暮らしで生きていくのであれば上記のような視点も考えておかなければならないと感じる。特に私は従妹もおらず身寄りも少なく人間関係も希薄であるため、なおさら意識する必要があると感じている。

 

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コロナウイルスのワクチン接種を渋ってしまう理由

ワクチンに関する報道の不自然さ

連日デルタ株が猛威が振るう中、全国各地でワクチン接種が進行している。私が居住する地域でも数週間前に接種券が届いているが、年齢がそれほど高くないということでなかなか予約が取れない状況が続いており、結局まだ1回目の接種すら終わっていない。日々の報道の中でワクチンに関する様々な情報が飛び交っているが、予約枠の空きを待ちつつ色々な情報を吟味するうちに、自分自身がワクチン接種を早急に行う必要があるのかどうか疑問を抱くようになった。

報道番組はワクチン接種を進めるために接種することのメリットをずらずらと並べているが、副反応について詳しく報道してくれる番組はほとんどないと感じる。メリットだけ享受できてデメリットがないものは世の中にほとんど存在しないと思うが、ワクチンを接種すれば全て解決するかのように煽る報道も見かけるのでより信用できなくなってくる。

一律に接種を行う必要はない

これまでワクチン接種を行った後に死亡している人が1,000人弱いるということらしいし、報告されていない分も含めるとさらに数十倍程度いるのではないかという推測もある。ワクチンを打ったせいで死亡につながったという明確な因果関係を証明するのは困難ではあるが、何かしら関連がありそうだという察しはつく。もちろん、大多数の人はそこまで重くない副反応で済んでいるらしいし、接種するメリットが大きい人も多いと思うのでワクチン接種を進めていくことに反対ではない。

ただ、国民全員に一律にワクチン接種を推奨するのは良くないようにも思える。20代や30代の比較的若い世代ではコロナウイルスで死亡する人はほとんどいないが、ワクチン接種後に原因不明の死亡が相次いでいることを考えると、この世代にワクチン接種を積極的に進めるのは良くないと思う。接種しても特に何も影響ない可能性の方が高いとは思うが、インフルエンザのワクチンなどと比較しても副反応のリスクが段違いに高いものを接種する気にはなれないのである。逆に40代以上の重症化リスクが高い人は、副反応を受け入れつつもワクチン接種を受けるメリットがデメリットを上回るというのが個人的な印象である。

接種の是非を自分自身で判断するために

政府としては何としてもコロナウイルスの感染者を抑え込みたいので、ワクチン接種を進めることに躍起になっているのだろう。それは別に悪いことではないし、受けたい人は受ければ良いし、私みたいにもう少し様子を見て先延ばしにするのも一つの判断だろう。

受けるか受けないかは年齢や基礎疾患や持病などの個人の特性によって判断されるべきであり、それについて判断できるのは自分自身しかいない。周りの情報を吟味し、自分自身に当てはめた際にある程度のリスクを負ってでも受けた方が良いと判断すれば受ければいい。逆に家に籠る時間が長かったり他者との接触機会(感染リスク)が少なく、年齢もそこまで高齢でなく健康体で現状過ごせているのであれば、無理して早く接種する必要もないだろう。

ワクチン接種の有無によって差別を受けるようなことがあってはならないと思うし、人間の数だけ選択権とそれぞれの正解がある問題だと思っている。ただ、ワクチン接種有無に関わらず、感染予防の行動は引き続き継続していく必要があるのは間違いない。

 

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