rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

学生時代の部活の思い出を語る

今週のお題「わたし○○部でした」

小学生まで

小学1年生で地元のサッカークラブに入会した。入部理由としては、仲が良かった同い年の友達が入会したのでそれに連られてという形だ。だから特にサッカーがやりたかったから入った訳ではなかった。

はじめの頃は試合に勝てなくてもそれなりに楽しかったが、次第に監督やコーチたちの熱量が増加していき、勝つために厳しい練習を行うようになった。その結果、私はサッカーが嫌いになった。結局小6までクラブを続けたが、後から入ってきた人たちにもどんどん追い抜かれ、自分のやる気も続かなったので、中学ではサッカーを辞めることとなった。

中学と高校

中学に入り、陸上競技部に入る。短距離と走り幅跳びがそれなりに得意だったのでその種目に専念した。何とか県大会や地方大会に出場できるぐらいの実力しかなかったが、自分一人で完結できるスポーツということで楽しかったし、記録という覆しようのない結果で自分の実力を測ることができたので、納得して取り組むことができた。だから愚直に地力を伸ばすために努力できたし、放課後一人で黙々と練習するその時間がとても有意義だったし、充実した時間を送ることができた。

高校に入っても陸上競技を続け、記録も成績も順調に伸びていった。県大会出場も常連となり、自分の努力が良い結果となって返ってくることに喜びを感じていた。本当に運が良ければ高校3年時にはインターハイの出場も不可能ではないぐらいの成績を残せていたと思う。

怪我に泣く

しかし、怪我が私を苦しめた。高校2年の冬に校内の球技大会でサッカーをしている時、相手チームに足を蹴られて右膝の前十字靭帯を断裂する大怪我をしてしまった。医者曰く復帰までは1年以上かかるとのことで、高校生活での部活動継続は絶望的となった。高校時代をほぼ部活にかけていた私は目の前が真っ暗になり、この時初めて自殺を本気で考えた。競技と全く関係ないところでしょうもない怪我をしてしまったことが悔しかったし、順調に行っていたらどこまで上位の大会に行けたのだろうか、などと考えると言葉がなかった。

結局最後の大会が始まる季節に、ライバルたちの活躍を尻目に自分は病院で手術後の入院生活を送ることになった。手術時に膝関節を固定するために打ち込んだ釘は今も私の体の中に入っている。

振り返って思うこと

それから10数年経過し、当時のことを思い出しながら今この文章を書いているが、やはり無念という言葉だけが残る。怪我をしてしまったのは体の管理を疎かにしてしまった自分の責任だし、色々と認識が甘かったのだろうと思う。

部活だけではなく恋愛などでも当てはまると思うが、とかく若い学生時代は何かに打ち込むとそれしか見えないような盲目的な状態になってしまいがちで、それを失ったら人生絶望だと思うようなことも多いのかもしれない。もう怪我が怖くて以後陸上競技に取り組むことはなくなったが、今思えば絶望して自殺などしなくてよかったと思っている。大人になると、人生は部活だけではなく様々な選択肢に満ち溢れているということを知ることができるから。そして、夢中で努力した学生時代のあの時間は、自分にとってはかけがえのない宝物なのである。

 

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