rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

血圧の高い人が気を付けるべきこと

私は普通の人に比べるとそこそこ高血圧であり、今年の健康診断でこそたまたま高い値が出なかったのだが、昨年は2度測り直しになったうえに後日健康指導が入るという残念な結果を得た。そして昨年に限らず10代の頃からも割と血圧が高く、親戚にも高血圧が多いので少し注意しなければならないと感じている。

そんな私が血圧を意識して普段の生活で心掛けていることや、今は心掛けていないけれど今後気を付けていきたいことなどを考えてみたい。

今気を付けていること

塩分摂取量を減らす

よく言われることではあるが、塩分の摂取を減らすことは血圧対策には効果的だという。酒を飲むとついついしょっぱいものが食べたくなってしまい、卵かけごはんに醤油を大匙一杯以上たらしたり、牛丼をつゆだくにしたり、焼き鳥に追加で塩をかけてしまったりしがちであった。しかし、血圧を意識し始めてからはこのようなことも少なくなり、酒を飲む頻度も少なくなったことから以前に比べると塩分摂取量は多少抑えられているのではないかと思う。

また、弁当やお店の食事に添えられている漬物はなるべく全部食べないようにしている。食事を残すことは自分のささやかなポリシーに反することではあるが、健康あってのポリシーでもあると思い、思い切って残すようにした。同様に醤油やソースなどが添えられていることも多いと思うが、それらもできるだけ使わずに捨てるなり持ち帰るなりすることが多くなった。

なるべくイライラしないよう気を付ける

地味に大事なのはイライラしないことかもしれない。自分の思うようにならなかったり嫌なことがあるとどうしてもイライラしがちなのだが、いかにも血圧が上がりそうで怖いものであるし、周りの人も嫌な気分にさせてしまうので全くメリットがないと思う。それでもイライラすることも多少はあるので、そんな時は5秒数えて深呼吸をし、脈拍も整えたいと思う。

今後気を付けていきたいこと

健康的な食事

塩分の摂取とも関係するが、もっと広義に健康的な食事を続け、ビタミンミネラルが不足しない食事をとっていけるようにしたい。血圧だけではなく、私自身が体調を崩したり風邪をひく時は決まってビタミンミネラルが食事で不足していることが多い。一回の食事で必ずこれらを補給できるような食事にしたいと思っている。

適度に有酸素運動

無酸素運動である筋トレは習慣になっているが、有酸素運動はあまり習慣になっていない。筋トレは重い重量でやる力んで血圧が上がるので、血圧という視点からはあまり好ましくないのだが、これをやめると楽しみがなくなってしまうのでやめようとは思わない。そのため、有酸素運動を適宜取り入れ、心肺機能の衰えを緩やかにしつつ血圧にも少しはプラスの影響を与えられるようにしたい。

 

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仕事において特定のスキルを特化させることに損はない

やらない理由を探さないようにするために

変化の激しい現代において、ある特定の分野に対してスキルを有しているだけでは生き残っていく上で不十分だという話を最近よく耳にしたり、何らかの記事で目にすることが多くある。確かに一つのスキルを極めたからと言ってそれが必ず将来役に立つものとも限らないし、今役に立っていたとしてもいつか不要になってしまうかもしれない。その時に別のスキルを身に付けていなければニーズに対応できなくなってしまうことだろう。それは私も分かるし、納得もできる。

だが、だからと言って何のスキルも身に付けない理由にはならない。「将来何が必要になるか分からないから何もしなくていいじゃん?」という人も稀にいるが、それはやらない理由を無理やりこじつけているだけであり、ただの言い訳でしかない。一つのスキルすら十分に身に付けようとしない人はこの先必要とされるスキルが出現し、それを習得する機会に恵まれたとしても、同じように何かしらの理由を付けて習得する努力を放棄し続けていくことだろう。

どんなスキルが必要なのか

例えば私は一応システムエンジニアなので、詳しくない人から見るとPCのこととかプログラミングのこととかを中心にスキルを磨いていくイメージを持つ方も多くいると思う。これらのスキルもSEに必要とされる重要なものであることは間違いない。だが、実際にSEの仕事上で必要となるスキルはもっと幅が広く量も膨大である。プロジェクトのリーダーとして部下をうまくまとめるためには会話のスキルをはじめとするマネジメントスキルが重視されるし、設計書や報告書を書く時にはある程度の文章力が求められる。

特に会話などのコミュニケーションスキルはどのような職業であれほぼ必須のスキルだと思うが、このスキルをもっと磨いていこうと考える人は営業職など以外であればそう多くはないのではないか。私もコミュニケーションスキルを真剣に磨こうと思ったことはあっても実際に行動に起こしたことはない。そうであるならば、コミュニケーションスキルをもっと磨いて他の人よりも高いスキルを身に付ければ、何らかの場面でそのスキルが有利に働くことがあるかもしれない。大多数の人ができないことができれば、そのスキルが必要とされる機会があった時に自分が活躍できるチャンスとなり得る。

一つの分野でもスキルを身に付けておくことの大切さ

今頑張って取り組んでいたり、過去に何かの勉強を頑張った人は皆心の中で以下のようなことを多少は考えていたはずだ。

「このスキル(または資格)を身に付けて何の意味があるのだろうか?私は今何のために勉強しているのか?」

何か勉強をしている時に私はほぼ必ずこのような考えが心に浮かび、やらないでも良いかなと思いがちになってしまう。そして特に最近はモチベーションが上がらず、学習を放棄してしまいがちになる。

実際に今やっている勉強がどのタイミングで役に立ってくるかは分からない。全く役に立たない可能性もある。それでも、やった内容そのものよりもその過程で得た勉強に対する向き合い方や、スキル取得に対する成功体験は何にでも応用できるものとなる。だから、このような経験をしておいた方が新たに取得すべきスキルが現れても割と素早く対応できるのである。

役に立たないからやめるのではなく、興味があるのであれば継続してスキルを特化してみるのもとても大切なことなのかもしれないと思っている。

 

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【お題】寒さ対策について

今週のお題「急に寒いやん」

今年もあっという間に11月となり再び寒く体調を崩しやすい季節がやってきた。特に今年は例年のインフルエンザに加え、新型コロ助に厳重警戒しなければならず、かなり体調に気を遣わなければならない冬となりそうである。そんな中、体を冷やしたり体温が低下してしまうことはかなりのリスクとなり得るので寒さ対策はいつも以上にしっかりしていかなければならないだろう。

首元、お腹、末端を冷やさない

基本的なことだが、体温を下げないために首元やお腹を冷やさないということは大切になる。体温が下がると風邪やインフルエンザにかかりやすくなるらしいので、体温をできるだけ高く保っておくことで感染症の予防にも多少はつながるのかもしれない。具体的には、首元にスカーフやマフラーの薄いものを身に付けたり、お腹には腹巻をしたりするのが良いだろう。腹巻をしている人はあまり多くはないかもしれないが、薄い生地のものでも地味に体がポカポカしてくるので意外とオススメである。

また、体の末端を冷やさないことにも気を付けたい。これは私の感覚だから一概には言えないのだが、手足が冷える体の中心も体温が上がっていないような気がしてどうも活力が上がらないのである。対策としては手袋や靴下を厚めに履くことや、寝るときに足元が寒い場合は湯たんぽや電気毛布を敷いて寝ることなどを実践すると良いと思う。電気毛布は設定温度を高くしすぎると汗をかいてしまって逆効果になることもあるので調整が難しいが、ほんのり暖かい程度に設定すると良いだろう。

お風呂に入る(湯船につかる)

現代ではシャワーを浴びるだけでお風呂を済ませる人も結構多いと思う。時間も水道代も節約できるのでその方がある意味合理的なのかもしれないが、寒さ対策という観点からはシャワーのみでお風呂を済ませるのはあまり良くない。湯船に浸かって全身を温めることで血行が良くなり、全身の体温が上昇することにつながる。また、体温の関係からより良い夜の睡眠をサポートする役目も担っていると思う。

特に一人暮らしではなかなか毎日お湯をためて湯船に浸かることを渋る方もいるだろうが、せめて寒い冬の間だけでもできる限り毎日湯船に浸かることを習慣にしてみてはいかがだろうか。金銭的に余裕があれば、定期的に温泉や銭湯に通うのも良い案だと思う。

筋トレをする

私のブログでは何回も筋トレのメリットを紹介しているが、筋トレは寒さ対策にもなる。私は筋トレを始める前、冬にやって来る手足の冷えに伴うしもやけや赤切れに毎年悩まされていたのだが、筋トレをある程度しっかりやるようになった年以降はしもやけになることもなくなり、それらの症状に苦しめられることもなくなった。

筋トレでなくても体を動かすことならそれなりに効果は見込めそうなものである。ストレッチでも良いし、ランニングでもヨガでもダンスでも良いかもしれない。現状、冷え性や冬特有の寒さに悩まされているのであれば、何かしらの運動を日常生活に取り入れてみてはいかがだろうか。

 

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同僚との距離感や言葉遣いについて思うこと

環境が変わると関係も難しくなる

前回の記事と似たような内容になってしまうが、最近ちょっと考えるようになったのが職場の同僚との適切な距離感の保ち方についてである。会社の同期であれば学生時代からの延長や研修での関係性などから多くの人はタメ口で話をするだろうし、各々が別々の部署に配属され、それまでタメ口での会話が基本だったのがいきなり敬語での会話になるということはないだろう。私も前の会社に所属していた時は何も意識することなく同期とはタメ口で話をしていたし、それが普通のことだと思っていた。また、後輩に対してもほぼタメ口で話をしていたと思う。

だが、転職等で環境が変わると周りの人にタメ口で接することは難しくなると感じる。新卒で一緒に会社に入った仲間に対しては職場の同僚という関係以上に親近感を感じやすく、後輩に対しても明確に後輩と認識することができ、タメ口を使うハードルは下がる。しかし、新しく入った組織では年次的には私が上であっても組織に所属している年数では相手の方が長ったりするので、先輩として接するべきか後輩として接するべきか分からなくなることがある。

敬語ばかりで堅苦し過ぎるのも考えものかもしれない

そのため、転職してからは自分より年次が下の相手に対してもひとまずは無難に敬語で接することを基本スタンスとしてきたのだが、ずっと敬語で接し続けることに対して最近は違和感を感じることも多くなった。私自身が先輩と接するときはもちろん敬語を使うが、先輩は私と接するときに敬語を使うことはあまりないし、もし先輩が私に敬語ばかりで話してくればかなり違和感がある。慣れの問題もあるかもしれないが、先輩から敬語を使われると少し突き放されて牽制されている感じがしてしまうし、フランクな関係での会話を進めづらい雰囲気を感じてしまいそうだ。

「自分がやられて嫌なことは他人にやるな」とはよく言われることで、嫌なこととまではいかないにしろ、自分が先輩にガチガチの敬語で会話されることに対して多少違和感があるのなら、私も後輩に対して少し堅苦しさを無くして接してみようと考え始め、少しずつ実行している。もちろん仕事上の人間関係なので友達のように接するわけにはいかないが、今までのように何もかも敬語でクソ真面目に答えるのではなく、たまにタメ口を交ぜたり冗談を言ってみたりして、少しでも相手に違和感を与えないようなコミュニケーションをとりたいと考え始めている。

 

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小学校でのあだ名禁止のニュースから思ったこと

あだ名禁止で生まれる妙な距離感が気になる

今日少しTwitterを眺めていたら興味深い話題を見つけた。

最近小学校ではクラスメートをあだ名で呼ぶことを禁止しているところもあるらしい。

news.biglobe.ne.jp

 

この記事によると、あだ名を禁止している学校ではさん付けや君付けで相手を呼ぶようにしているということである。理由としては、いじめや差別をなくすことが主な目的であり、確かに丁寧な呼び方をすることで相手を尊敬する気持ちだったり、無駄な争いが起きにくくなる可能性もあり、一理あると思う。

反面、私が小学生の頃でも友達のことを〇〇さんとか××君とか呼ぶことももちろんあったが、それは大して仲良くもない知り合いに対して限定的に行っていたこと。仲良い友達や休み時間や放課後によく一緒に遊ぶ友達に対して○○さんなんて言っていたら、それだけで妙な距離感が生まれてしまうし、遊びの楽しさも半減してしまうような気がする。

私は小学生の頃にサッカークラブに所属していたが、プレー中に「〇〇さんこっちパス!」なんて言っていたらなんだかおかしい感じがするし、相手がそういう言葉遣いをしていたら笑ってしまいそうである。サッカー日本代表ラグビー日本代表が試合中に仲間のことをさん付けで呼んでいる場面を想像すると違和感しかないだろう。そう思うと、さん付けでの呼び方は、チームプレーのスポーツなどにおいては色々な面でパフォーマンスに支障が出そうな気もする。

重要なのは言葉ではなく心の持ち方ではないのか

遅くなったが私の持論ではあだ名禁止には賛成できない。それは、表面的な言葉遣いを強制したところで、中身の人間性にはさして変化がないと思うからだ。

確かに、あだ名を禁止にしたら友達に対して変な呼び方をすることはなくなり、あだ名が原因でいじめられる人は少なくなるだろう。また、日常的に丁寧な言葉遣いをすることで心まで綺麗になって人格者に近づけるかもしれない。しかし、そのようにならない可能性もあるし、いじめる側の人間はあだ名であろうが何であろうがターゲットの気に入らない部分をとにかくあら探ししていじめる理由を見つけてくる。あだ名一つがいじめのリスクから除外されたところでほとんど意味がないことになる。

あまり効果が見込めない対策を子供たちに強制させることで友達同士の心の距離が離れてしまうようなことがあるのであれば、それは果たして本当に良い対策といえるのだろうか。私も対案を出すことはできないのだが、なにもかも禁止にすれば解決するという単純なものではないし、禁止することで失う可能性のあるものにも目を向けるべきである。あだ名を禁止するという付け焼刃的な対策ではなく、もっと人の内面に切り込むような対策が必要だと思った。

 

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若いうちに一度ぐらいはまともな恋愛をしておくべき理由

もしもの時の備えという考え方

ひと昔ふた昔前はともかく、現代においては結婚に対して消極的になっている若者が多く、私もそのうちの一人に当てはまるのかもしれない。結婚願望が殆どない人も珍しくない世の中になっているが、絶対に結婚したくないという人はそこまで多くないものである。私も結婚願望はないが、それは特に良い人に巡り合わなかったら、という条件付きであり、心ときめき守りたい存在ができたら考えが変わる可能性は大いにあり得る。ただ、その出会いを積極的に求める活動をしたり、必死に努力するという気までは起きないということである。独身主義の人でも、概ねこのような考え方をしている人が多いのではないだろうか。

心ときめく誰かに出会うことがなければ一生独身のままで人生を終えることになり、ある意味気楽で平和な人生の歩み方となる。私もこのような人生を送ることができれば、少々寂しい気持ちもあるが、ある程度平穏に生活していくことができるのではないかと思っている。しかし、このような人が心の片隅に置いておかなければいけないことがある。それは、偶然にも運命の誰かと出会って結婚願望が強くなってしまった時に、少し不利な立場になるかもしれないということである。

経験値がプラスに働く場合がある

私も含め結婚や恋愛に対して消極的な人種は、恋愛的な人間関係の構築が少々苦手であり、経験値も平均よりは少ない人が多いと想像する。そのようなタイプの人間がいざ運命の相手に出会い、積極的に恋愛関係を築こうとすると挙動不審になってしまったり、要らぬところで相手をがっかりさせて関係がうまくいかなくなることもあるかもしれない。そして自分自身がより高齢になってからそのタイミングを迎えると、失敗することを恐れたり余裕のない立ち振る舞いにつながってしまい、更に相手にマイナスイメージを与えてしまうかもしれない。だが、それまでにある程度の恋愛経験があったり、パートナーとの付き合い方を知っている人は、そんな時にも自然に振る舞うことができ、より相手からの好感度を上げたり、素の自分で居られるので疲れたりすることも少なくなる。その結果相手との関係が長期的にうまくいくようになりそうだ。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉があり、私はこの言葉が大嫌いである。できることなら苦労しないで楽に生きていきたいし、自分が苦労したからお前も苦労しないと気に入らないという老害的な精神が見え隠れする。しかし、こと恋愛や結婚について考えた時、この言葉を全面的に否定することはできないと感じる。若い頃に失敗した恋愛経験を活かすことで結婚できた人もいるだろうし、相手の気持ちを真剣に考えてみたり、多くのことを学ぶことができる。その過程で傷ついたり辛い思いをしたりして苦労することもあるだろうけど、来たる運命の人に出会った時にその経験が必ず生きてくるということなのだ。

 

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酒飲みの主食にジャガイモをオススメする理由

今週のお題「いも」 

なかなかマニアックなお題が飛んできた。

酒飲みの食事にありがちなこと

特に家で酒をよく飲む人であれば分かると思うが、酒を飲む日はどうしても酒に合わせて食事を考えるという思考回路に陥ってしまい、お皿の数が無駄に増えて準備や洗い物が面倒ということが小さな悩みとなる。

ビールやチューハイを飲むのであればつまみの枝豆、キムチ、イカフライなどのおかずが別皿で盛られ、そこに主菜の肉魚類の料理が一皿、さらにサラダや野菜の副菜類が一皿、プラス主食を入れるとかなりの皿数になってしまう。つまみ類をできるだけ一つの皿にまとめることもできるが、酒に合わせた食事を用意するとなると品数が多く必要になるし、準備や後片付けも面倒、また知らず知らずのうちにたくさん食べてしまうので太ってしまうことにもつながりやすくなる。

よく、「酒を飲むと太るんだよね」と言っている人がいるが、正確に言うと酒のせいで太っているのではなく、酒と同時につまみを多く摂取してしまっていることが主な原因なのではないかと思う。例えが適切かどうか分からないが、ラーメンを食べた後に締めでご飯を食べるようなもので、食事の時間も長くなるので必然的に高カロリーを摂取して太るということにつながるのである。

芋系の料理で問題を解決できるのではないか

そんなことを考えつつ、酒飲みのメインの食事内容はどのようなものが一番手間がかからずカロリー過多を避けることができるのかと考えていた。色々な方法がありそうだが、一つの案として芋を主食とした食事内容に切り替えてみることがあると思った。

酒飲みは最初につまみや主菜を食べた後、締めのご飯やラーメンを食べるという流れで食事をすることが多い。主食に到達する前に既にカロリー的には十分に摂取できているのに、追加でご飯やラーメンを食べたくなってしまう。最後にどうしても炭水化物をある程度摂取しないと気が済まないのが酒飲みの性質であり、私もこの気持ちは良く分かる。

であれば、つまみを食べ始める段階で一緒にジャガイモの料理などを食べてみたらどうだろうか。もちろん里芋でも長芋でも芋であれば基本的になんでも良いと思っているのだが、ジャガイモの方がお腹にたまりやすいような気がするし、レシピも豊富であるように思えるのでジャガイモを推したいと思っている。

ご飯や麺類だとつまみ系と一緒に摂取するのに抵抗があるという意見もあると思うが、芋系の料理はつまみ系の延長的な感覚で食べることもできると思うし、その意味で”準主食”のような役割を果たせる貴重な食材だと思う。そして最後に追加でご飯を食べようとするときには既に腹がいっぱいになって締めの炭水化物を避けることにもつながりやすいのではないだろうか。

カロリー摂取も控え目にし、お皿の数も少し減らして酒飲みに支障が出ない程度に楽しめる食事を提供してくれる点で、ジャガイモをはじめとする芋料理が持つ魅力は大きいと私は考えている。

 

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一度上げた生活水準を下げるのは難しいと思った話

人間というのは不思議なもので、時間があればあるだけ仕事の時間を延長してしまう人々が一定数存在する(パーキンソンの法則)。それと同様に手持ちのお金があればあるだけ使ってしまうような人々も存在する。私は決してお金持ちではないので大金を手にした人達の気持ちが想像できても実感できないので、なぜお金を持つと無駄に贅沢をしてお金を浪費してしまうのかよく分からなかった。だが、先日家に新しいテレビを購入した時にその答えの片鱗が見えたような気がする。

テレビを新調した時に考えたこと

先日家のテレビが壊れて電源が入らなくなったので、急遽予備用に保管していたサイズの小さなテレビでしばらく代用しようとした。そう、しばらく少なくとも1カ月程度はこの小さなテレビで過ごし、それで不足があるようなら新しいちょっと大きめのテレビを買おうと思っていた。しかし、結局古い小さいテレビを使ったのはたった1日だけで、すぐに大きい新しいテレビを電器屋で購入することになった。古い小さいテレビは確かにそれまで使っていたテレビよりは小さいテレビであったが、部屋の大きさなどから考えると特に大きく不足するようなサイズではなく、不都合もなかったと思う。でも我々は小さいテレビでは満足できずに前よりもさらに大きなテレビを購入することを即決した。

このことを少し考えていて、稼ぎが良くなって生活水準を上げると後で年収が下がった時に生活水準を下げるのが難しい、というどこかで聞いた話を思い出した。この話を聞いたときはそんなわけないじゃんと鼻で笑う準備をしていた私であったが、今回のテレビ購入騒動がまさにこれに当てはまるのではないかと思った。無論、浪費マンとは程度の差はあるかもしれないが、やっていることの本質は変わらないと思う。

そもそも、昔はブラウン管というちっこくて見にくいくせにやたら重くて場所をとるテレビであったが、それでも持っているだけで重宝されたりささやかな幸せを感じることができたものだ。今やテレビは薄型軽量大画面の三拍子が揃い、昔に比べると同じテレビとは思えないほど進化してきている。そしてこの時代に生きる私たちはこれを当然のことのように享受し、更なる贅沢を求め続けているのである。自分が言えることではないが、人間とはなんと傲慢な生き物なのだろうと思ってしまう。

支出に対する客観的な視点を持てるようにしたい

話を戻すと、やはり多少お金に余裕があれば色々なより良いものが欲しくなるものだと今回の出来事で実感した。だから、仮に自分が大金を手にしたら今は想像もできないようなものやことをお金で買うようなことを考えてしまうかもしれない。日々食べることに困るような貧困層の人たちは家のテレビが古くて見づらくても新調しないだろうし、そんなことは考えもしないだろう。

年収が上がって生活水準を上げるのは別に問題ないだろう。だが、その生活水準が当たり前だと感じてしまうと、後々失業したり転職して年収がガタ落ちした時に対応できなくなる。だから、自分の生活水準がどの程度なのかをある程度把握し、自分の収入に見合ったものなのかを客観的に判断する力が重要であると、今回の一件を通じて考えさせられた。

 

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漆黒企業よりも灰色企業の方が危険な理由(ブラック企業)

近年におけるブラック企業の変遷

サラリーマンなら誰しもブラック企業に入社して心身共々疲弊してしまう状況だけは避けたいものである。よくIT業界にはブラック企業が多いと言われることがあったが、それも5年前ぐらいまでのこと。IT業界に対しては悪い噂ばかりされることが多かったので、ここ数年は多くの企業がフレックス制を採用したりみなし残業を止めたり、ブラック企業の要素になり得るものを潰すことに注力している。そしてこれは個々の会社単位だけではなく業界全体として特に力を入れて取り組んでいるように思える。

今はパワハラやセクハラをはじめとするハラスメント等に対する罰則が大きくなり、企業側もあからさまに従業員を酷使することが難しくなっている。そのため、電〇やワ〇ミのように一時期社会現象になるほどの騒動を引き起こすような事件は最近あまり発生していないように見受けられる。これは一見喜ばしいことである。

しかし、そんな中増えてきたのが、あからさまではないけれどネチネチと従業員を追い込んでいく体質の企業である。前述のあからさまなブラック企業を「漆黒企業」と例えれば、こちらは「灰色企業」と呼ぶことができ、まさに法律のグレーゾーンを攻めるブラック企業のことである。そして残念なことに、この灰色企業は漆黒企業以上に質が悪く、放っておけば茹でガエル現象に陥ってしまうと私は思っている。

灰色企業が危険な理由

灰色企業は労働者視点から見るとそこまで悪く見えない点で非常に質が悪い。

私が以前所属していた会社などはまさに灰色企業の典型であった。仕事量はそこそこ多いし上司や先輩でたまに面倒くさい人もいるけど、8割以上の人はしっかり相談に乗ってくれる優しい人たちだった。また、残業はみなし残業だけど給料もそこまで悪くなかった。客先常駐でやりずらい仕事もあるが、おかしな労働をさせられることもない。だから、少し違和感がある状況でも「社会人なんてこんなもん」と変に自分を納得させて嫌な仕事をやり続けた。いつしか私は定時後最低でも1時間は事業所に居残ることや、残業代がやった時間分支給されないことが当然のことだと思うようになった。

しかし、これは前職の会社内だけでの常識であり、一般的に良いとされる考え方とは程遠い。それでもその環境にしばらくいれば多少辛くても理不尽でも殆ど何とも思わなくなる。人間は環境に順応できる生き物だが、この性質を見事に灰色企業に利用されてしまっているのである。仮に漆黒企業であればパワハラや残業時間の度が過ぎたものになるので、いくら順応しようとしても順応しきれずにすぐに辞めるなどの選択ができると思う。(順応できないと思ったら諦めるべし。こういう状況で無理に粘るのは良くない)

自分が所属する会社や組織がこのような現象に陥っていないかどうか再度見直してみると良いかもしれない。そして、おかしいことはおかしいと主張し、主張が通らずどうしても納得できないのであればその環境からは逃げるしかない。環境に適応する能力があることは本来良いことではあるが、灰色企業のような存在に搾取されてしまうことを考慮すると、過度な適応力の高さも考えものである。

 

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大手の社内SEは勝ち組なのか(タグお題)

転職エージェントで言われたこと

以前転職する際に転職エージェントを利用していたのだが、担当してくれたエージェントに以下の主旨の助言を受けたことがある。

「サラリーマンエンジニアとしての最終的なゴールはやっぱり大企業の社内SEですかね。30台の働き盛りまでは大手ベンダーでPM(プロジェクトマネージャ)、PL(プロジェクトリーダー)として働き、対顧客案件でしっかりと実力をつけ、少し疲れてきたら隠居じゃないですけど社内SEとしてまったりと過ごす。このようなキャリアの歩みがエンジニアとしては理想的だと私は思いますね。」

これに対して私もそうだと思う反面、このキャリアプランだけを目指してやっていくのも難しいかなとも思っている。このようなキャリアプランは多くのサラリーマンSEが目指すものであるかもしれないが、最終的なゴールとして見据える社内SEというのはギャンブル的な要素を多く含む職種であると思うからである。

私は転職するにあたり対顧客の仕事を完全に辞めて社内SE一本これからキャリアを歩んでいきたいと考えていた。外部顧客の案件は基本的に納期が厳しくプロジェクトがタイトである。そのため、残業や休出などの時間外労働が多くプライベートを充実させることが難しいと感じていたからである。そういう意味では社内SEでまったりと働くというのは一つ自分の想像とエージェントの意見が一致していたということになる。

ゆるく働けるという点で社内SEにはメリットしかないように感じていた私であったが、当然メリットの裏にはデメリットがある。その代表的なものが、環境によって人間関係に大きくはたり外れがある点であり、それも同じエージェントが教えてくれたことでもある。

社内SEのデメリットになり得る点

社内SEというのは一つの会社の中で同じ情報システム部門で働く人々で構成されるため、様々な面で閉鎖的になりがちである。狭い組織や人間関係の中では陰湿ないじめやパワハラが起こりやすい条件が多く、被害に遭っても同じ組織の人間しかいないということで誰かに相談することも難しい側面がある。

また仕事内容が楽かと言われれば決してそうとも限らず、他部門の理不尽な輩から無理難題を押し付けられたり、ITリテラシーの低い有象無象と対峙していかなければならないという面倒くささもあるだろう。そのような状況下で純粋に自分の好きな技術スキルを伸ばしたり、新しいスキルを身に付けようとしても多くの制約や足を引っ張る要素が多くなる。もちろんこれは社内SEでなくても当てはまることでもあるが、社内SEになるとそのリスクはより高くなるし、大手の社内SEであってもリスクはかなりあると思う。

私の担当だったエージェントが教えてくれたことにはもちろん一理あるとは思うし、私自身も社内SEにポジティブな面はいくつか感じている。しかし、これからエンジニアとしてキャリアを重ねていく中で、上記のようなことを把握したうえで社内SEという選択肢について考えていかなければならないと思っている。

 

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