rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

一度上げた生活水準を下げるのは難しいと思った話

人間というのは不思議なもので、時間があればあるだけ仕事の時間を延長してしまう人々が一定数存在する(パーキンソンの法則)。それと同様に手持ちのお金があればあるだけ使ってしまうような人々も存在する。私は決してお金持ちではないので大金を手にした人達の気持ちが想像できても実感できないので、なぜお金を持つと無駄に贅沢をしてお金を浪費してしまうのかよく分からなかった。だが、先日家に新しいテレビを購入した時にその答えの片鱗が見えたような気がする。

テレビを新調した時に考えたこと

先日家のテレビが壊れて電源が入らなくなったので、急遽予備用に保管していたサイズの小さなテレビでしばらく代用しようとした。そう、しばらく少なくとも1カ月程度はこの小さなテレビで過ごし、それで不足があるようなら新しいちょっと大きめのテレビを買おうと思っていた。しかし、結局古い小さいテレビを使ったのはたった1日だけで、すぐに大きい新しいテレビを電器屋で購入することになった。古い小さいテレビは確かにそれまで使っていたテレビよりは小さいテレビであったが、部屋の大きさなどから考えると特に大きく不足するようなサイズではなく、不都合もなかったと思う。でも我々は小さいテレビでは満足できずに前よりもさらに大きなテレビを購入することを即決した。

このことを少し考えていて、稼ぎが良くなって生活水準を上げると後で年収が下がった時に生活水準を下げるのが難しい、というどこかで聞いた話を思い出した。この話を聞いたときはそんなわけないじゃんと鼻で笑う準備をしていた私であったが、今回のテレビ購入騒動がまさにこれに当てはまるのではないかと思った。無論、浪費マンとは程度の差はあるかもしれないが、やっていることの本質は変わらないと思う。

そもそも、昔はブラウン管というちっこくて見にくいくせにやたら重くて場所をとるテレビであったが、それでも持っているだけで重宝されたりささやかな幸せを感じることができたものだ。今やテレビは薄型軽量大画面の三拍子が揃い、昔に比べると同じテレビとは思えないほど進化してきている。そしてこの時代に生きる私たちはこれを当然のことのように享受し、更なる贅沢を求め続けているのである。自分が言えることではないが、人間とはなんと傲慢な生き物なのだろうと思ってしまう。

支出に対する客観的な視点を持てるようにしたい

話を戻すと、やはり多少お金に余裕があれば色々なより良いものが欲しくなるものだと今回の出来事で実感した。だから、仮に自分が大金を手にしたら今は想像もできないようなものやことをお金で買うようなことを考えてしまうかもしれない。日々食べることに困るような貧困層の人たちは家のテレビが古くて見づらくても新調しないだろうし、そんなことは考えもしないだろう。

年収が上がって生活水準を上げるのは別に問題ないだろう。だが、その生活水準が当たり前だと感じてしまうと、後々失業したり転職して年収がガタ落ちした時に対応できなくなる。だから、自分の生活水準がどの程度なのかをある程度把握し、自分の収入に見合ったものなのかを客観的に判断する力が重要であると、今回の一件を通じて考えさせられた。

 

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