rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

今週のお題「新生活おすすめグッズ」

4月から新年度となりましたが、特に引越すわけでもなく淡々と毎日が過ぎていく。そんな何気ない平穏な日々にささやかな幸せを感じる今日この頃であります。

前置きはともかく今週のお題からです。

新生活おすすめグッズとあるが、新生活だろうが従来までの生活であろうが日々生活していくというのは基本的には変わらないことだ。だから、生活が新旧どちらであろうが結局生活に役立つものがおすすめグッズとなるのだと思っている。よって、普段の生活で私が何気なく使っていて便利だなと思うものを上げていきたい。

ダイソンの掃除機

ダイソンの掃除機はコードレスです。吸い口の部分をいろいろな種類に変えることができ、家の中を隅々まで掃除することができます。また、充電式のコードレスなので、持ち運びも簡単です。一人暮らしや二人暮らしぐらいの家であれば本当に重宝するのではないだろうか。まあまあ値段が高いですが、本当に便利です。

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レンジdeパスタ

これは最近知り合いに教えてもらって覚えた、レンジでパスタを簡単に作る方法である。作り方は簡単なので、クックパッドとかで見てもらうと分かりやすいと思うが、簡単に手順を紹介すると、

・容器に水をいれる

・そこにパスタを入れる

・レンジで温める

・味付けて盛り付けておしまい

となる。所要時間は普通にお湯で茹でて作る場合より2、3分短縮できる。出来栄えとしては、味は茹でたものと遜色ないし、食べる上においては何も支障がないと感じるので、単純に時短したいのであればおすすめの方法である。電気代がどうかということや、電子レンジへの負担などの諸条件を天秤にかけてレンジdeパスタを行うか行わないかの選択をとることになるだろう。

ただ、一人や二人よりも多い人数のパスタを作る場合はこのやり方はオススメしない。茹でた方がむらなく確実に早く作ることができるからだ。このやり方は少人数、特に一人暮らしの人が時短をしたいときに強い効力を発揮すると思う。

ちなみにレンジでパスタでググったらレンジ用パスタ入れの容器なんかも売っているらしい。

www.google.com

小型のキャリーバッグ

ちょっとした泊りがけのお出かけに便利なのが機内持ち込みサイズの小型キャリーバッグである。ハードケースとソフトケースがあるが、私は断然ソフトケース派である。理由は単純で荷物の出し入れに伴う開け閉めが容易であるからだ。しかし、空港で様々な人のハードキャリーケースを物色していると、最近のハードケースはファスナー式のものが多く、こまめな荷物の出し入れも容易にできる作りになりつつあることを発見した。

ハードとソフトどちらを選ぶから好みの問題ではあるが、緊急時に荷物の出し入れをしやすいものを選ぶと良いだろう。ちなみに、ハードもソフトもどちらも完全防水であるものは少ない。ハードの方が防水っぽいイメージはあるが、防水機能がなければ雨の中歩いていたら普通に中の荷物は濡れます。だから防水面を気にするのであれば単純にハードとソフトという観点のみで比較するのはおすすめしない。

 

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資格を取ることにあまり意味がないと思う理由

ちょっと前に勉強を始めると宣言しました。

rk-baryo.hatenablog.com

社会人としてこのままじゃマズイ、何か勉強を始めなければ!、と思いながらこの1カ月間いろいろなことを考えたような気がする。

大抵の場合、勉強というと資格勉強をイメージする人が多いかもしれない。私も例外ではなく、まずは専門のIT分野における資格を漁っていた。その中でもやはりメジャーなのが基本情報技術者試験であった。IT系の会社であれば、学生の時に既に基本情報を取得した、なんて話はザラに聞くもの。大体出身は理系の情報系が半数弱ぐらいを占めているから当然と言えば当然だろう。

でも私は文系出身で会社に入って初めての研修でITの専門に触れた身分であり、情報系やIT系の資格とは無縁であった。もうサラリーマンとなって数年経つが、仕事において望むような成果が残せていないのは、多くの情報系学部出身者が保有している基本情報試験の資格を持っておらず、その知識が不足しているせいではないかと考えていた。1カ月ちょい前ぐらいまでは割と真面目にそう考えていた。でもそれはたぶん違うと今になって思う。

資格勉強で挫折

私は自分の考えた仮説に沿って、とりあえず基本情報試験の知識を付けて合格しようと勉強を始めた。この資格を取れば今までと見える景色が変わるのかもしれない、そんな淡い期待を持って勉強を始めた。

しかし、勉強開始30分で挫折した。挫折の理由は単純だ。その勉強はあまりにもつまらなすぎたのだ。コンピューターの作りとか、二進数や八進数と十進数の違いだとか、マネジメントスキルとか、そんなテキストばった知識ばかりが羅列されていて、とてもつまらなかった。そんな細かいことはどうでもいい。私が身に着けたいのは実務で役立つプログラミングの技術なんだ!ってことに気が付いた。基本情報テキストはもう使わない、ブックオフで売ってしまおうと思う。

資格はただの装飾物でしかない

基本情報のテキストには私が本当に身に着けたい知識なんてほとんど記載されていなかった。学校で教わる「つまらない教科書学習」と何ら変わりがない。それでもなお、資格の試験は人気を博している。なぜか?それは転職活動の面接や会社内での評価にプラスに働くからという理由に終着する。

面接をする人間と相対する時間は長くてもせいぜい1時間ぐらいだろう。でも1時間で面接者の人間性や仕事の能力を全て判断することはできない。そこで役立つのが資格という肩書だ。この資格を持っているのであれば大丈夫だ!と資格を基準にその人を評価する。実際に求めている能力を本人が有しているかどうかはさておき、資格があれば問題ないと判断する。非常に雑な評価だと思う。そんなクソみたいな評価をもらうための勉強に割く時間などないのだ。

もちろん、すべての資格が無意味だと言っているわけではない。簿記検定とかは資格だけど、合格目指して勉強するとダイレクトに実務の力にも反映されるし、そういう資格は評価されるべきだと思う。でも、やっぱりあまり有用でない資格というのは世の中に蔓延っていると思う。

そして、例えば基本情報なんかは私は無駄だと思ってしまうけれど、決して万人がそう思うわけではないことも理解している。ある人にとってはとても有用で大切な知識になり得るかもしれない。大事なのは、「皆が持っている資格だから。。」とかいう主体性を欠いた理由で資格勉強をしてはいけないということだ。あくまで自分基準で考えて本当に必要なものであればやればいいし、周りが持っていても自分には必要ないと思うのであれば勉強する時間が無駄なのでやらない、という選択肢をとるという判断をできなければならないと思う。

 

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セブンイレブンの社長交代劇を生んだオーナーが起こした革命を見習いたい

大阪のセブンイレブンでオーナーが24時間営業を辞めて時短営業することを決断し、実行した。このニュースは少し前からあったものだが、この問題を受けてなんとセブンイレブンの社長が交代することが決まった。

www3.nhk.or.jp

私はこのニュースを見たとき思わず、「これはすごいことが起こった!革命だ!」と一人で叫んでしまうほど衝撃を受けた。一人の労働者の勇気ある主張と行動が、セブンイレブンという巨大な企業の組織を動かしたことは本当にすごいことだと思ったからだ。

普通の人であれば契約違反による罰金やその後の生活に不自由が生じることを懸念し、他の店舗の足並みから外れることは敬遠するものである。でも、このオーナーは自分で考えて判断し、他店と違うことをしっかり実行した。たった一人で大きな組織に立ち向かうその勇気に最大限の称賛を送りたいと思うし、組織に服従せざるを得ない状況にある多くの人間にとって希望となるニュースだったと思う。

最近よく思うし当ブログにも少し書いたと思うが、”自分を主張する”ということが如何に大切か、そして当然のことながら主張しないと相手には何も伝わらない、ということを思い知らされる。

 

多くの人は色々な組織やコミュニティに属しながら毎日生活しているはずだ。サラリーマンなら会社、学生なら学校、パートやアルバイトも勤め先があるし、ニートや無職ですら家庭や地域という何らかのコミュニティー的なものに属している。

組織というのは優れたものである。一人がカバーできないところをみんなの力でカバーする、みんなで一緒に力を合わせて何か一つの目標に向かっていく、などは決して一人ではできないことが組織ならできる。だが、そんな生活を続けるうちに自分自身が組織に埋もれてしまっていないだろうか、ということをよく考えてみたい。

みんながこう言うから自分としてなんとなく違和感があるけどみんなの意見に合わせた、人と違うことはなんだか言い辛い、とか。気持ちは分からなくもないけれど、最終的に行動を決定するのは自分一人でなければならないと私は思う。組織に埋もれるうちに、自分の行動は自分で決めるというそんな当たり前のことができなくなってしまった人が本当に多いと感じている。もちろん私もこれまでそうだった。仕事においてホウレンソウ(報告連絡相談)をしっかりしろ(つまりお前に決定権はないと言われているも同然)、と新人研修で習うぐらいだから当然なのかもしれない。

私は組織に従うという姿勢から徐々に脱却したい。自分が最終的に一番ハッピーになるための行動って何なのかをしっかり考えて行動したい。もしそれが組織全体の方針や考えと異なるようであれば、たとえ自分一人でも全力で反対の意を表明し、自分の意見を主張できる人間になりたい。そして組織の中で苦しむ人が一人でも多くその志を持ち行動することができれば、世の中はきっと面白い方向に変わっていく。

今回のニュースから私はそんなことを感じた。

 

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組織の同調圧力に屈しないために考えたいこと

私は仕事が好きではありません。いや、正確に言うと仕事が嫌いなのではなく、会社という組織の中で仕事をするのがどうも好きになれません。今やっているシステムエンジニアという仕事自体をそこまで嫌いなわけではないのです。仕様を考えたりプログラミングを作ったりするのは大変なこともあるけれど、むしろ好きな方です。でも、それらが会社という組織の中でのチームプレーの一つとして割り振られることは大変なストレスです。思い返すと、小学生の頃からチームスポーツは本当に苦手でした。だから小学生までやっていたサッカーを辞め、中学から陸上競技に転向したのです。

大縄跳び競争の記事が興味深かった

以下の記事は、ネットサーフィンをしていてたまたま見つけた記事です。

www.itmedia.co.jp

小学生の頃、多くの人が経験したであろうクラス対抗の大縄跳び。でも、あれをやっていて疑問に思った人も多いはずです。「こんなことやりたくないのになぜやらなければならないのか」と。また、私が中学生の頃にクラス対抗合唱選手権という行事があり、クラス一丸となって合唱を練習し、コンクール当日の優秀賞を目指すという今考えるとクソみたいな行事に教師を含めみんなが血眼になっていました。当然やりたくない人はたくさんいて、そいつらも巻き込んで全員の心を一つにしてこそ美徳という考えを皆が持っており、だれも疑ってはいなかったのです。そしてこれらは結局、彼らが社会人になった時に社畜となる下地を作っているということです。

苦労=努力ではない

多くの人が勘違いしていますが、苦労=努力ではありません。結論から言うと、「如何に苦労せずに成果を出すかを考えて行動すること=努力」だと私は思っています。

同調圧力が顕著になると、「みんな残業してるんだからお前も残業しろ」とかの「みんながやっているんだからお前も・・」みたいな意味不明な思想が蔓延(はびこ)ってきます。そういう奴らの価値観の根底には、皆と同様という同調圧力に加えて苦労すること=努力することという勘違いがあります。企業戦士として働いてきた人はとにかく長時間働き、それを組織皆で行うことを美しいと思う感性があるのかもしれません。丁稚奉公や滅私奉公という言葉がそれを代表しています。

努力というのは素晴らしいことです。どんなに才能あふれるスポーツ選手でも努力なしに五輪で活躍することはできません。でも、社畜根性が行っている努力は苦労をするということが目的となってしまった努力であり、努力の方向が間違っていると言わざるを得ません。

自分を大事にするなら空気なんて読まず主張しよう

日本人が大好きな言葉に「空気を読む」というものがあります。数年前までは当たり前のように思っていましたが、最近はこれを非常にアホらしく思っています。幼少期からの教育が、全ての個性を殺して飼いならし、将来会社員という名の社畜根性を育てるための壮大な罠だったことに最近気が付いてきたからです。

組織の中に組み込まれてしまうとどうしても自分の存在意義が分からなくなってしまいます。そして、周りの目が気になって自分の本心を主張することに抵抗を感じてしまうことも多くあります。私も未だにそういうこと結構ありますし、付き合い残業を完全に逃れるというのも現実問題としてなかなか難しいです。でも、少しずつでも良いのでそのマインドセットを改めていきたいと思っています。会議の場では自分の思っていることはためらわずに提案してみたり、思ったことは積極的に発信し、交渉するという術をもう少し身に着けていくことが必要です。休みたいのなら積極的に上司に交渉するとかです。大事なのは、自分を主張しないと相手は絶対にこちらを理解してくれないということを認識することです。当たり前のことですが、大事なことです。主張しないでいるのは、「言わなくても察しろ」という精神と一緒で愚の骨頂です。言っても無駄だと思って主張しないのは勿体ないのです。まずは自分の意見を怖がらずに主張することからはじめましょう。案外状況が改善するかもしれません。

 

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ピエール瀧の逮捕による過去出演作品の差し替えに違和感

ちょっと前になりますが、ピエール瀧が薬物であるコカインを使用して逮捕されたという事件がありました。薬物の使用というのは決して許されることではなく、逮捕というのはもちろん妥当であると私は思います。

ただ、私の中でどうも腑に落ちないことが一つあります。それは、ピエール瀧容疑者が過去に出演していた作品のシーンを差し替えるという行為が行われていることについてです。賛否両論あると思いますが、私は過去作品のシーンの差し替えは不要だと思います。

取り直しのコストが大きい

過去シーンの差し替えとなると、まず新しい俳優さんを探す必要があります。その人が決定したら俳優さんが同シーンのセリフを覚えて取り直して編集という作業があると思いますので、それなりに時間とコストがかかることは容易に想像がつきます。

そのような行為ははっきり言って無駄です。ITベンダーで例えると、プログラムを作った後に設計書を作り直して最後に納品し直す、というぐらい凄まじく無駄な作業です。日本企業のサラリーマン文化が決まりやフレームワークをきっちり守るように、こういう思想の人たちはとにかく形とかプロセスを絶対視します。冷静に効率性やコスト面などを考えると、違う俳優さんを使っての取り直しというのはかなり無駄だと言わざるを得ません。

作品が役者個人の事情に左右されてはいけない

"観客は役者自身のことを知る必要はない。役者は舞台の上で役を全うすればそれでよい。"

かつての名俳優である渥美清はこのような主旨のことを言っていました。つまり、役者個人がプライベートでどんな事情を持っているにせよ、作品に対してその役を全うしているのであればそれで問題ないということです。

ピエール瀧容疑者が差し替えシーンの当時に既に薬物を使用していた可能性もあるかもしれません。その事実を踏まえたうえで後でシーンを見直すと不快に思うこともあるでしょう。そういう意見に配慮するのであれば、回想シーンでその過去のシーンはカットするというのも一つの手だと思います。取り直して差し替える必要がそこまであるとは思えません。

麻雀放浪記2020」の公開は正しい判断

作品に罪はない、として「麻雀放浪記2020」の公開を予定通り決定したことは称賛すべき判断だと思います。映画は見たいと思った人がお金を出して見に行くものであり、判断は視聴者に委ねられるからです。

 

ダメなものはダメと一律に感情論で決めつけるのではなく、合理性とか効率性という観点でこの問題を考えると、単純に過去シーンを差し替えるのが本当に正しい判断だとは思えないのです。

 

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イチロー選手はなぜ引退することになったのか

昨日、イチロー選手が現役を引退することを発表し、記者会見を行いました。この記事では、なぜイチロー選手が引退を決断したのか、私なりに感じて考えたことを書いてみたいと思います。

youtubeに会見の動画が上がっていたので載せておきます。

youtu.be

そして、この会見を全て文字化した強者がいましたのでこちらも貼っておきます。

oreno-yuigon.hatenablog.com

 

50歳までは引退しないと公言していたイチロー選手。現在は45歳でありますが、突然の引退発表に日本だけではなく世界中の多くの人が驚き、残念に思っていることでしょう。平成も残すところ1カ月余りとなり、また一つ平成という時代の終わりを象徴する出来事が起こった瞬間でした。

私が記者会見インタビューの中で最も印象に残ったのは、記者からの「なぜこのタイミングで引退を決意したのか」という類の質問に対し、イチロー選手がただの一度も明確な返答をしなかったことです。

もちろん、加齢による身体能力の衰えというのは否定することができません。どんな競技であれ、必ず衰えによる負けの混みという状況は発生し得るものです。それはスポーツでなくても同じで、将棋の羽生九段が昨年に竜王位を失冠し、20数年ぶりに無冠となったことに代表されます。

しかし、イチロー選手が引退に至った理由は年齢による衰えだけではなく、もっと大きな要因があると思っています。おそらく、米国における"ベースボール"という競技の変化に順応しきれなかったからなのではないかと思うのです。

"頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある"

私がこの1時間半弱の引退会見で最も印象に残ったフレーズは、アメリカでの2001年の頃と今では全く違う野球になっている。今は頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある」です。動画で言うと1時間1分後ぐらいからになります。この後イチロー選手は続けています。「本来野球というのは頭を使わないとできない競技。そうでなくなってきているのがどうも気持ち悪い」。そして、「日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい。それは野球をする上で大切にすべきことだから」と締めくくっています。

イチロー選手は野球に対してこのような彼なりの美学を持っていたのでしょう。でも今のアメリカではその価値観が揺らいできています。イチロー選手のように繊細なバット裁きの技術でヒットを量産するスタイルから、よりパワーを重視した単調なプレースタイルになりつつあると言っています。サッカーに例えると、パスサッカーからクロスに頼るパワープレーばかり主流になっているようなイメージです。

きっと彼はそのような"ベースボール"のスタイルの変化を日々肌で感じ、常に自身の引き際を考えていたのかもしれません。イチロー選手のことですから、自身のプレースタイルや野球の美学を変えてまで活躍を求めなかったのかもしれません。そして、会見での彼の話し方から、そのようなパワーに頼る”ベースボール”はつまらない、だから日本における”野球”というのを大切にしてほしい、と言っているように思えます。

 

* * * *

 

変化を受け入れてそれに対応する、というのはとても難しいことです。これは会見でイチロー選手も言っていました。イチロー選手であれば、米国のベースボールの変化に対応したプレーだってできたはずだと思います。でもそれを敢えてせずに引退という道を選んだのは、彼の野球に対する美学や愛情がそれを許さなかったということなのではないかとふと思ったのです。

そして、変化の激しい今の時代に照らし合わせ、何もかも変化に対応して行動するのが果たして正しいことなのか、という新しい疑問が自分の中にも沸き起こっています。

 

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私が良く聞く卒業ソングを紹介する

今日は、今週のお題「卒業」からです。

卒業といえば思い浮かぶのが卒業ソングです。世の中には一般的に卒業ソングと呼ばれる曲が多くあります。そんな曲たちも含め、一般的には卒業ソングと定義されていないけれど、私の中では卒業ソングという位置づけで最近よく聞いている曲を紹介したいと思います。

3月9日:レミオロメン

これは一般的にも鉄板の卒業ソングとなります。ミーハーなのはあまり好きではないのですが、この曲は物心ついた頃から毎年聞き続けている曲です。2月の終わりに少しずつ暖かくなってきて花粉で鼻がムズムズし始める時期に聞き始め、3月の末まで聞いても違和感がない曲です。

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春よ、来い:松任谷由実

みんな大好きなユーミンからこの一曲です。ユーミンの中でも「ルージュの伝言」「真夏の夜の夢」「やさしさに包まれたなら」の次ぐらいには有名な曲だと思います。長く辛い冬を越えて春を迎える喜びを最もうまく表現できている曲の一つだと感じます。

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Across The UniverseThe Beatles

ビートルズの曲の中で卒業っぽい曲と言ったら、多くの人は「Let it be」と答えるかもしれません。確かにLet it beも卒業ソングとして悪くはないと思いますが、個人的にはこのAcross The Universeの方がより切なく寂しい雰囲気を醸し出していて卒業ソングにピッタリだと感じています。

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Endless Rain:X(X JAPAN

XJAPANといえば激しいハードロックな曲をイメージする方も多いと思いますが、実はバラードも良い曲が結構あります。Endless Rainもバラードでゆったりとしたとても落ち着いた曲です(キーはメチャクチャ高いですが)。

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天使にふれたよ!:放課後ティータイム

アニメ「けいおん」の中で卒業式の時に歌われた曲です。バンドメンバーで唯一の年下である梓(あずにゃん)へ贈った珠玉の一曲です。もうこれは卒業式の合唱で正式な一曲としても良いぐらいに素晴らしい曲だと思います。

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春:B'z

色々な歌手の曲を聞きますが、実は私はそこそこのB'zファンです。そんなB'zの曲の中で卒業シーズンに聞いて最も痺れたのがこの曲でした。春を迎える喜びとその裏にある別れに対する切なさをうまく表現した曲です。

余談ですが、B'zには有名ではないけれどとても良い曲がいっぱいあります。ウルトラソウッ!!のイメージだけでB'zをただのやかましい歌手と断定して曲を聞かないのは非常に勿体ないと思うので、是非色々聞いてみてください。ハマる人はハマります。

youtu.be

 

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残業を減らすために必要な考え方

管理者の指示には意味がない

働き方改革の一環で、世の中全体で残業を減らす動きが広がっています。ただ、「残業をできるだけ減らしましょう」と表面上は言っていても、その前には「仕事が終わっているのであれば」という枕詞が隠されています。つまり、仕事はサッサと終わらせて可能な限り残業はしないようにしましょうということです。それはド正論で反論の余地が全くありません。

しかし最近、どう考えても終わらない量の仕事を振られ、それに対して「できるだけ残業しないようにしてください」という無茶を言われることがあまりにも多いと感じています。残業しないでくださいと指示を出すのは大体人事部か、人事部などに指示を受けた上司や部長である場合がほとんどです。つまり、指示者は部長=プロジェクトの管理者であり、実際に現場でフロント作業員として働く人間でない場合が圧倒的に多いのです。

指示を出すのは簡単です。社員の勤怠表を見てあまりにも残業が多いようであれば「調整してください」と一言指示をすれば良いだけですから。ですが、管理者は現場で実際にどのような作業が発生しているのかを正確に把握しているわけではないので、そこでフロント作業員の認識との間に大きなギャップが生まれてしまいます。フロント作業員としては作業が終わるまで帰宅するわけにもいかず、残業が増えてしまうのは当たり前の状況なのです。管理者がどんなに残業を減らせと指示をしても何の意味もありません。

妥協して諦める精神も必要だと思う

残業が減らないことを大きな視点で捉えると、日本人特有の”ザ・諦めない精神”が大きな要因としてあるように思います。ちなみに私はこの精神論が大嫌いです。

私たちは学生の頃、よく部活で「最後まで絶対に諦めるな、いつでも全力でいけ」と常日頃言われてきました。「もうだめだ」→「まだやれる」の発想こそ頑張るということの真骨頂であると某アスリートが言っていました。この考え方も時には必要であると思いますが、なんでもかんでもこの考え方で取り組むとエラいことになります。仕事においては、全てを完璧にこなすまで寝る間も惜しんで仕事をする社畜の鑑が完成します。残業時間なんて全く気にせずに働き続けるのです。

仕事はもちろん完璧にこなす必要があるのですが、所詮人間のやることなので完璧なんて無理だと個人的には思っています。そして時間をかければそれなりに成果物の質も上がりますが、やはり限度というものはあります。そして、私の少ない経験上ではありますが、毎日長時間残業せざるを得ないような状況に陥っている時点で、最終的にその仕事はうまくいかないというケースがほとんどでした。それらは結局、後に仕切り直しになっています。

どうせ後でやり直しになるのであれば、意味のない長時間残業をしてひたすら”頑張っているフリ”をして疲弊するよりも、早い段階で諦めをつけてどのように仕切り直すのかの段取りをしっかり立てていく方がよっぽど効率的だと思うのです。ダメだと思ったらサッと諦めて次の手段に切り替えるのです。このような意識改革が多くの日本人に浸透しない限り、働き方改革とは名ばかりで内容の伴わないものになってしまうと思います。

 

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花粉症の症状を軽減するために行っていること

私は花粉症です。大体、毎年2月の最終日ぐらいから鼻や目の痒さ等の症状が出始め、3月に入ると症状が重くなり、くしゃみや鼻水が止まらなくなる日が増えてきます。ただ、その時期は毎日症状がひどいかというとそうでもありません。では、一体どういう条件が揃うと花粉症の症状が酷くなり、逆にどうすれば症状を最小限に抑えることができるのかを私なりの視点で紹介したいと思います。

規則正しい生活習慣を身に着けることが大切

睡眠や栄養が不足していてなんとなく体調が優れないときは、花粉症の症状が顕著に表れることが多いです。目が痒いのはともかく、くしゃみをたくさんするとティッシュの消費量も半端ではありませんし、体力もかなり消耗して疲れてしまいます。こうなればもう立派な体調不調といえるので、仕事をできるだけ早めに帰宅するとか、夜のダラダラする時間を削ってさっさと寝るとかの対策をとる必要があります。バランスの良い食事と必要な睡眠時間を確保するようにしましょう。

薬は病院で処方してもらうべし

花粉症対策で薬も服用しています。市販の薬も数多くありますが、正直効果はいまひとつだと感じています。

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しかし、現在服用している病院で処方してもらった薬はそれなりに効果があると感じています。ちなみに私が飲んでいるのは「アレグラ」です。

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アレグラについては、現在ではジェネリックも発売されているためそれなりにお買い求めしやすくなっています。基本は朝夕の食事後に1回1錠服用する用法容量となっていますが、私は朝か夕かどちらかしか服用しなかったりすることが多々あります。それでも、服用した時と全く服用しなった時ではやはり服用した時の方が症状は軽くなるように感じます。副作用で眠くなるということもあるらしいのですが、私はこの薬を飲んで眠いと感じたことはほとんどありません。個人的には副作用はほとんど気にしなくて問題ないと思います。

マスクと眼鏡は欠かせない

通勤時やその他の外出時は必ずマスクをするようにしています。なお、メガネはデフォルトでいつもしています。マスクはできるだけ肌との隙間を無くすようにぴったりと付けること、ジャバラのギザギザが下になるように付けること、そして毎日取り換えることの3点をしっかり守っていればそこそこの効果はあると思います。もちろん調子が悪いときはマスクをつけていても全然ダメなのですが、それでもつけてないときよりはマシだと感じます。

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家の中を掃除機で掃除する

家の中で花粉の症状が酷くなることが多々あります。外から持ち帰ってきた花粉が家に入り込んでしまうためです。そして、一番花粉がたまるのは床です。ですので、毎日床と絨毯などに掃除機をかけると良いです。また、そもそも花粉が家の中に入りにくくるために、玄関にブラシを常備しておき、帰ってきたら上着とズボンなどをサッとブラッシングするということも並行して行うとさらにベターです。

面倒ではありますが、地道な日々の努力が花粉症の症状を軽減するための唯一の方法なのです。

 

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思ったらすぐ行動をすることが後悔を最小にする場合もある

今でも時々ありますが、ちょっと前の私の考え方に「これはすぐできるから後でやろう」というものがありました。日常生活のちょっとしたことや仕事でも無意識にこの考えで行動することが多くありました。

例えば仕事上でExcelフォーマットを少し修正するような小さなことを依頼されます。一応期限は切られているものの、すぐにできるからわざわざ今やっている作業を止めてまでやろうとは思わず、期限ギリギリで取り掛かれば終わるだろう、と考えます。メモを取っておけばまあやること自体を忘れることはありません。

しかし、期限が近づいていざその仕事にとりかかろうとすると、緊急で違う仕事の対応依頼が舞い込んできます。緊急ですのでどうしてもそちらを対応せざるを得なくなります。その結果、やろうと思っていた簡単なExcelの修正の仕事ができず、その仕事の期限を守れず他の仕事にも埋もれてしまいパニックモードになるという手痛い失敗をします。

今できることは今やろう

上記の失敗は私の経験談なのですが、このようなことがあった時から、日常生活でも仕事でも今取り掛かれることはサッサっと取り掛かって完了させておく、というスタイルをとるようにしています。もちろん、目の前にあるすべてを前倒して行うのは無理なので、今できる簡単なことほど前倒しして終わらせておくということが重要です。

とはいえ考えてから行動することも必要

今できることは今やることはとても重要な考え方なのですが、何もかも思いついたらすぐ行動するとこれもまた大きな失敗につながるケースもあるから厄介です。

とりあえず勉強したいから思いつく限り書籍を買ってみたものの、後で調べてみると自分の目標に近づくためにはその書籍の内容がほとんど役に立たないことが分かり、買ったものが結局無駄になってしまう、なんてこともよくありました。こういう場合には、事前にどんなことが必要かをある程度リサーチしたうえで、購入するという行動を起こした方が良いということが分かります。仕事においても、なんでも事前にやっておけば間違いないという場合だけではありません。事前にやったものの、その内容が後から見たら間違っていたため結果やり直しになったりすることも何度かありました。

将来発生する事象を予測してそれに応じた行動をとるのは非常に難しいことではあります。事前にどういった行動をとっておくと将来自分がよりハッピーになれるか、現時点でいろいろなことを予測して行動できるようになりたいと思っています。

 

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