昨日、イチロー選手が現役を引退することを発表し、記者会見を行いました。この記事では、なぜイチロー選手が引退を決断したのか、私なりに感じて考えたことを書いてみたいと思います。
youtubeに会見の動画が上がっていたので載せておきます。
そして、この会見を全て文字化した強者がいましたのでこちらも貼っておきます。
50歳までは引退しないと公言していたイチロー選手。現在は45歳でありますが、突然の引退発表に日本だけではなく世界中の多くの人が驚き、残念に思っていることでしょう。平成も残すところ1カ月余りとなり、また一つ平成という時代の終わりを象徴する出来事が起こった瞬間でした。
私が記者会見インタビューの中で最も印象に残ったのは、記者からの「なぜこのタイミングで引退を決意したのか」という類の質問に対し、イチロー選手がただの一度も明確な返答をしなかったことです。
もちろん、加齢による身体能力の衰えというのは否定することができません。どんな競技であれ、必ず衰えによる負けの混みという状況は発生し得るものです。それはスポーツでなくても同じで、将棋の羽生九段が昨年に竜王位を失冠し、20数年ぶりに無冠となったことに代表されます。
しかし、イチロー選手が引退に至った理由は年齢による衰えだけではなく、もっと大きな要因があると思っています。おそらく、米国における"ベースボール"という競技の変化に順応しきれなかったからなのではないかと思うのです。
"頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある"
私がこの1時間半弱の引退会見で最も印象に残ったフレーズは、「アメリカでの2001年の頃と今では全く違う野球になっている。今は頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある」です。動画で言うと1時間1分後ぐらいからになります。この後イチロー選手は続けています。「本来野球というのは頭を使わないとできない競技。そうでなくなってきているのがどうも気持ち悪い」。そして、「日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい。それは野球をする上で大切にすべきことだから」と締めくくっています。
イチロー選手は野球に対してこのような彼なりの美学を持っていたのでしょう。でも今のアメリカではその価値観が揺らいできています。イチロー選手のように繊細なバット裁きの技術でヒットを量産するスタイルから、よりパワーを重視した単調なプレースタイルになりつつあると言っています。サッカーに例えると、パスサッカーからクロスに頼るパワープレーばかり主流になっているようなイメージです。
きっと彼はそのような"ベースボール"のスタイルの変化を日々肌で感じ、常に自身の引き際を考えていたのかもしれません。イチロー選手のことですから、自身のプレースタイルや野球の美学を変えてまで活躍を求めなかったのかもしれません。そして、会見での彼の話し方から、そのようなパワーに頼る”ベースボール”はつまらない、だから日本における”野球”というのを大切にしてほしい、と言っているように思えます。
* * * *
変化を受け入れてそれに対応する、というのはとても難しいことです。これは会見でイチロー選手も言っていました。イチロー選手であれば、米国のベースボールの変化に対応したプレーだってできたはずだと思います。でもそれを敢えてせずに引退という道を選んだのは、彼の野球に対する美学や愛情がそれを許さなかったということなのではないかとふと思ったのです。
そして、変化の激しい今の時代に照らし合わせ、何もかも変化に対応して行動するのが果たして正しいことなのか、という新しい疑問が自分の中にも沸き起こっています。
adios