rk-baryoのゆるっと日記

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死について考えること

死について考えるとき

一人暮らしをするようになってから「死」について時々考えるようになった。実家で暮らしていた時はこのようなことを考えることはなかった。今この場で自分が突然意識を失って倒れて永眠してしまったらどうなるのか、とかそれは孤独死等を含む変死事案に分類されてしまうのか、とか色々なことを考えてしまうことがある。

生きている限り誰もが突然死してしまう可能性があり、年齢が若かろうがそれは例外ではないと思う。可能性は限りなく低いと思うが、今日や明日にも自分自身の肉体から魂が抜けていくことがあるかもしれない。

できるだけ迷惑をかけない死に方とは

一人で生きていれば死後に発見が遅れて孤独死扱いになってしまう可能性は高く、身寄り頼りもないのであればなおさらそうなのだと思う。同居家族がいればそのような悲惨な死に方を防止しやすくなるので、孤独死を避けたいのであればできるだけ誰かと同居したほうが良いのかもしれない。私も一人で苦しみながら死んでいくのはできれば避けたいと思っているし、苦しい時に助けてくれる人が近くにいればどんなに心強いだろうと思う。

だが、自分が孤独死を避けたいがために無理に誰かと同居する必要はないとも思う。誰かと同居することを好まなかったり、独身でいれば大体の人は一人暮らしで人生を終えることになるだろう。それは個人の自由なので問題ないと思うが、残された人の後始末が大変になるような死に方は避けていかなければならないとも感じる。家にモノが多く整理するに苦労するとか、どう見ても不要な古いものばかりため込んでいるような状況は避けたいと思っている。

いざというときに頼れる人を

また、一人暮らしを貫くのであれば、自分の身に何かが起きた時を考えて定期的に連絡を取り合う友人などはいた方が良いと思う。自分の状況を把握している人が誰もいなければ孤立状態になってしまい、やがて訪れる孤独死を避けることはできないだろう。

自分がこれからどのような生活スタイルを築いていくかまだ決まったわけではないが、独身で一人暮らしで生きていくのであれば上記のような視点も考えておかなければならないと感じる。特に私は従妹もおらず身寄りも少なく人間関係も希薄であるため、なおさら意識する必要があると感じている。

 

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