rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

行動こそが全てという真理を実感した出来事

ずっと仕事をしていく中、ここ1年の間で一緒に仕事をしたいタイプの人とそうでない人の違いが自分の中で明確になってきた。そしてよく考えるとこれは日常生活でも当てはまることだと最近実感するようになった。

仕事の進め方について最近思ったこと

私も社会人としてまだ未熟ながら後輩を持つ立場ではある。ある後輩に何か仕事を依頼するために内容を説明し、やれそうかどうかを聞くと「はい。大丈夫だと思います。」と返答がくる。私としてももちろん後輩を信頼しているので、言葉を信じて大丈夫ということで任せておく。

そして数週間経過し、進捗を確認するとほとんど進んでいない。少しは進んでいるのだが、進捗スピードが牛歩並みの遅さである。このような出来事をいくつか繰り返すうちに、指示を出す上司の立場、過去に私をいじめた上司の気持ちが少しだけ分かるような気がした。もちろんいじめは真似しないけれど。

そもそも、私が感じている「やれる」というイメージと後輩が感じていた「やれる」のイメージは全然違う。私は具体的に手順を調べ、自分の中で仮説を立てて検証してあらかたの裏を取ってからはじめてやれそうだと思うが、私より経験が浅い後輩はその時聞いた印象でなんとなく「やれる」と感じてにその感覚を伝えたに過ぎないということだろう。そんな後輩の姿を見ると、ちょっと昔、まったく仕事ができなかった自分が重なる。個々の認識の差、意識の違いというのはやはり果てしないし、完全に埋めることは絶対にできないものだと再認識した。

行動こそが全て

少し話が逸れたが、要は行動こそが正義であり全てを語るということである。いくら口先で「やります!」を連呼したところで、実際に進捗具合に反映されていなければ全く信用できなくなる。言っていることとやってることが違うじゃん、という話になってしまう。口では愛してるとか好きだとか言いながら、全く会ってくれなかったり行動を変えてくれない男ほど信用できないものはないだろう。

私は過去にTOEICで850点を取ったことがあるが、その結果を伝えた後にいけ好かない友人から「でも勉強すれば誰でも取れそうだよね」というニュアンスの言葉を返されて内心ムッとした。確かに、しっかり勉強を継続して試験対策もして受ければ絶対に取れない点数ではないかもしれない。でも私はその一言で今まで継続的にやってきた努力をかなり否定されたように感じたし、何より取ってもいないクセにテメェからそんなこと言われたくねぇよ!というのが本心だった。そういうこと言う権利があるのは同等の点数を取ったことがある人間だけだ。

行動を伴わない言葉ほど信用できないものはない。そんなものは何の参考にもならない。しかし、行動に裏打ちされた言葉の持つ説得力は半端ではない。だから、グダグダと御託を並べるぐらいなら今すぐ行動し、何らかの成果物を作ることだ。それを持ったうえで御託を並べればその説得力は強大なものになり得るだろう。

 

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男なら社会経験として一度はキャバクラや風俗に行っておくべきか

私が社会人になりたての頃に感じたモヤモヤした気持ちを小話程度に共有する。

モヤモヤの根源

社会人1~3年目ぐらいの頃、先輩や少しませた学生時代の同級生からこんなことを言われることがよくあった。

「社会経験としてキャバクラとか風俗に行っておいて損はない。若いうちは遊んでおいた方が良いぜ。」

なんとなく納得してしまいそうな一言ではあるが、私はどうしてもこの意見に対して腑に落ちない感覚を持っていた。そして気乗りしないという話を伝えると、「お前、いつか犯罪者になるかもしれないぜ。その時は鼻で笑ってやるよ。」みたいな主旨の何の脈絡もない因縁を付けられて戸惑った。

どうしてキャバクラに行っておかないと俺は犯罪者になってしまうのか、意味が分からなかった。多分相手としては自分がもしキャバクラや風俗に行かなければ自分の欲望が抑えられない感覚を持っていたからこそ、私に対しても当然そう感じているに違いない、と推測してこういう類の発言につながったのだと思う。

だが、当然人によって感覚は異なるものであるし、自分がこう思うのだから当然相手も同じように思っているはず、という考えはかなり浅はかで危険なものである。相手の感覚は相手にしか分からないものであり、想像することはできてもそれがあっているとは限らない。この考え方は今後生きていく上で常に大切にしていかなければならないものだと感じた。

で、行くべきなのかそうでないのか

結論としては、行かなくてもよい、となる。私は未だにこれらの類の店に自分から積極的に行ったことはない。それでも全く寂しさや不自由を感じたことはない。

前職の社員旅行でタイのバンコクに行った際に先輩に連れられてなんとなくゴーゴーバーに行ったことはあるが、やはり気分が乗りきらずに途中で抜け出してホテルに戻ってきてしまった。こういう人間もいるのである。

私の数少ない一人の友人は結婚した際、奥さんに一度でいいから風俗に行かせてくれ、と頼んだそうである。きっと彼も誰かの意見に触発されてこんな本心から思ってもいないことを頼んでしまったのであろう。もちろん奥さんには嫌だと言われたそうだ。彼の奥さんも少しがっかりしたことだろう。

仮に結婚してから風俗にハマるようなことがないようにその前に経験しておいたところで、さらにドハマりして依存症になってしまう可能性もある。だったらそんなものはタバコや麻薬やギャンブルなどと同様、最初からやらなければいい、ということに尽きる。もちろん興味があるならやってみてもいい。しかし、興味もないのに「経験として~」などで嫌々やるものではない。

 

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PC(パソコン)を購入する際に重視すること

PCのスペックは超重要

突然ですが、皆さんはPCを所有しているだろうか。

最近はスマホでPCの大半の機能を代替できるためPCを持たないという方も多いようだが、やはりブラインドタッチのキーボードの打鍵速度や画面の大きさからPCは手放せないという方も多いと思う。Youtubeで動画を見る際もスマホとPCでは見やすさが全く異なる。私自身もSEという仕事柄、常にPCと向き合いながら作業をすることが多く、仕事も私生活もPCなしでこなしていくというのは今のところは考えられない。

このように、仕事においても普段の日常においても何かと重宝するPCであるため、その性能(スペック)は極めて重要なものだと私は考える。そこで、私がPCを購入する際にどのような基準で選定しているのかを紹介する。

基本的には速度重視

結論から言うと、多少値が張ってもデータの書込みと読込み速度が速いPCを選ぶようにしている。具体的にはCPU:core i7以上、ハードディスク:SSD、メモリ:8GB以上を条件にしている。選ぶ際もこの3基準を押さえておけばほぼ間違いないはずだ。

ゲームや重い動画の編集とかを頻繁にやるようなことがなく、基本的にはネットのブラウジングや動画視聴が中心であれば、この程度のスペックがあればストレスなくPCを利用することができると思う。特にSSDハードディスクであれば電源を入れてから10秒程度でPCが起動できるので、慣れるとHDDには戻りづらくなる。ただ、SSDはHDDに比べて容量が小さく寿命も少く値段も高いので、その点を認識しておく必要はある。

ちなみにPCに疎い私の両親は価格だけ見て安いPCを購入したらしいのだが、なかなか起動しなかったり、動画が途中で停止したり、10分以上経ってもブラウザが開かなかったりという低スペックゆえのストレスに悩まされている。ちなみにこのPCのスペックはCPU:celeron、HDD、メモリ4GBであった。この場合はCPUのceleronが良くないのだと思う。快適なPCライフを送るには出費は惜しまずある程度ハイスペックなものを購入すべきという教訓だ。

買い替え時期は?

私が今使っているPCは丁度2年前の夏に購入したものであり、core i5SSD、4GBのスペックある。2年間ほぼ毎日使用し、多くのアプリをインストールしたりプログラミングの環境設定をしたりするうちに若干ではあるがスピードが落ちたり、変なところで一瞬フリーズするような場面も見られるようになった。あと1年ほど使用したら新しいスペックのものに買い替える予定である。

スペックにもよるが、PCの買い替えは通常2~3年程度が普通で5年も使えればかなり長持ちなほうだと個人的には思う。世の中の流れが速いのでPCもどんどん新調していかないとなかなか対応しきれないのが実情でもある。

 

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安部首相を少しだけでも休ませてあげたい

今年の夏休みとは

ブログ強化週間ということで今日はYahoo!の記事から気になるものを取り上げる。

news.yahoo.co.jp

 

皆さまご存知我らが日本国の安倍首相は、例年この時期にお盆休暇を取得し地元の山口県に赴いているのだが、今年は国の状況が状況なだけに満足いく休暇を取得できていないらしいのである。既に5千件以上のヤフコメ民コメントが付いており、目立つのは「今休んでいる場合じゃないだろ」とか「ロクな仕事もせずに休むとは何事か」というような批判的な意見である。

今年のお盆休みは地元に帰省することや旅行などが満足にできない夏となっている。また、都知事が都外への外出をなるべく控えるようにお願いをしている昨今の状況ではやはり外出は難しいだろう。さらに首相となればこの国の緊急事態に常に緊張感を持って対応し続けなければならない責務があるため、このような批判が出ることはある程度理解できる。

大多数のヤフコメ民やtwitter民の考え方がブラック企業そのもの

だがこの記事に関するヤフコメやTwitterで色々な意見を見て思ったのが、非常にブラックな発想を持っている人が多いということ、これじゃあ日本からブラック企業がなくならないわけだ、ということである。

仕事をしっかりすることは確かに重要だ。ましてやそれが一国の首相とでもあろうお方であればその重責は計り知れない。だが、首相一人の一挙手一投足に日本の全てがかかっていると考えるのは少々大袈裟すぎると考える。

今回の新型コロ助への政府の対応に対しては国民から批判が殺到している。私自身も自分が収めた税金を納得できない政策に無駄遣いされるのは非常に腹立たしいと思うようなものもある。ただ、新型コロ助自体が人類にとって未知のウイルスであり、正しい対応の仕方なんて専門の医者ですらはっきりとは分からないような問題なのだ。ましてやそれを経済となるべく両立させていかなければならず、その両輪を担うのは容易な仕事ではない。

当然、首相一人がキチンと仕事をして解決できるような問題ではなく、多方面の色々な方々の協力が必要になる問題だ。そのように多くの人が当事者となって協力しなければならない問題に対し、首相一人がちょっと仕事を休んだぐらいで首相に対して批判が集中するのはおかしい。どれだけ皆首相に期待しているのか。首相とは言え一人の人間であり、なんでも知っているスーパーマンではないのだ。首相が休んでいる間に他の分野の専門家なり政治家が仕事をすれば良いのではないか。

結局はみんな自分のイライラや不安を分かりやすく首相にぶつけたいだけ、それこそ究極の自己中であり相手の気持ちなど何も考えていないことの象徴だと思える。首相が休むことを非難するのであれば首相が一日職務を休むことでどれだけの損失が生じるのか、具体的に数値なりデータを出して合理的に説明することが求められるはずである。それもせずにただ感情論で批判するのは、発想がいじめっ子やブラック企業の上司と同等であるということを自覚しなければならない。

自分が同じ立ち場だったらと想像してみる

国民の多くの人は将来首相になる可能性なんてほぼゼロなので、首相になった自分の気持ちを想像するなんてことはしないだろうし、私も想像したことはあまりない。でも、少しでも安倍首相の気持ちを想像してほしい。2月末からほとんど休みなく働き、プライベートの時間も取れず、毎日毎日国民から誹謗中傷の嵐を受けても誰にも助けを求めたり弱音を吐くこともできず前に進むしかないという状況。よく自殺しないなと思うし、私だったら2週間も精神が持たないだろう。

私は個人的に安倍政権について良いところも悪いところも多くあると思う。確かに、アベノマスク第二派は愚策であると思うけど、現況緊急事態宣言を回避しているあたりはまだ評価できると思う。だが、それと首相を一人の人間として見た場合はまた別問題。首相も我々と同じように感情を持った人間なのですから。

 

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2020年の上半期を振り返り

今週のお題「2020年上半期」

もう一カ月近く過ぎてしまったが、今年の上半期を個人的に振り返る。具体的には正月に立てた今年一年の目標に対する中間報告という形にする。

振り返り

体調不良による有休をゼロにする

今年に入り、1~2月中はそれまで通りほぼ毎日出社していた。昨年末にインフルエンザを患ってからはより一層体調に気を遣うようになり(主に睡眠時間の死守)、1月と2月に体調を崩すことはなく、体調不良で有休消化することはなかった。

3月からは新型コロ助の影響により全面的にほぼ毎日が在宅勤務になり、そもそも体調不良で出社不可という概念が消滅した。一応在宅勤務でも始業と終業連絡をしており、もちろん休む場合は連絡が必要だ。そんな中でも3月から今まで体調不良はほとんどなく、予定していた有休以外は使っていないので、この目標については上半期で何とか達成できたと言っていいだろう。下半期も新型コロ助に罹患しないことはもちろん、この調子で乗り切っていきたい。

資格取得&勉強の継続

まず資格は2月にウェブデザイン技能検定3級を受験し、ギリギリ合格することができた。もちろん資格を取ることも目的なのだが、その過程の勉強で自分の知らない知識を吸収できることはとても有意義だと感じている。現在は8月末に行われる2級の試験に向け、主に休日を勉強の時間に費やす日々である。正直、一発合格できる自信はないのだが、できる準備は全てやってから試験に臨みたい。

ランダムなウェブアプリの制作については、現在は割と長めのスパンで一つのアプリに多くの機能を持たせたり、自分なりに面白くなるようにアプリを自作している。そろそろ、ウェブのUIだけのアプリを作成するのも飽きてきたので、レンタルサーバーを借りてphpと絡めた本格的なアプリの制作をやり始めようかなとも考え始めている。

レーニン

2月まではジムでしっかりトレーニングできていたのだが、3月以降は新型コロ助の影響でジムに行く頻度が減り、4月の緊急事態宣言以降はジムが閉鎖になり満足なトレーニングができなくなった。

そんな状況に耐えかねて、せめて自宅でベンチプレスとスクワットぐらいはやれるようにと、12万円ほどでバーベルラックセットとベンチを購入し、いわゆるホームトレーニーになりかけている現状である。とはいえ、器具がそろってしっかりトレーニングを始められたのが5月半ばぐらいだったのでひと月近くブランクとなってしまった。

目標に対する現状は以下の通りだ(左:目標 右:現状)。

◆ベンチプレス100kg×5回 → 88kg×8回(100kg×2回相当)

◆スクワット130kg×8回 → 105kg×10回(130kg×1~2回相当)

◆10kg加重懸垂×10回 → 加重なしで15回(10kg加重だと5回ぐらい)

改めて書き出してみて気付いたが、今年の終わりまでに左を達成するのはかなり厳しい状況になってきた。特にスクワットは目標と現状にかなり開きがあるため、相当頑張らないと達成は難しいだろう。

ジムに行く頻度は少し抑えつつ、自宅で出来ることもコツコツ頑張っていこうと思う。

下半期に向けて

昨年末から今年のはじめにかけて、まさか世の中全体がこのような状況になるとは到底想像できなかった。在宅勤務中心になることで体調不良になることは格段に少なくなりとてもありがたいことなのだが、やはり閉ざされた空間で長時間過ごしていると、精神的にどうしても憂鬱になってしまうことが多々あるように感じる。ただ、そんな中でもいつもと変わらず外に出てリスクにさらされながら働いている人たちがいるのだから、自分みたいな人間は恵まれていると思わなければならないだろう。

下半期も基本的にやることは変わらないが、まず新型コロ助に罹患しないことを第一に気を付け、日々生活を送っていくことができることに感謝しながら仕事やトレーニングや勉強をやっていきたい。

 

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便利な生活に慣れすぎてしまったが故の反省

世の中には便利なことがいっぱいある。自宅に居ながらにしてインターネット一つあればAmazonで色々なものが購入できるし、会社に出社しなくともテレワークでできる仕事だってある。これは一昔前であれば考えられないような技術革新の賜物であり、同時に世の中が目まぐるしく変化しているということの象徴として捉えることができる。

昨今の自粛生活の中、私もやはり買い物にはAmazonを多用することで身の回りの必要なものを揃え始めた。Amazonの魅力はなんといっても、基本的に注文した翌日には商品が手元に届く(今はモノによるかも)という素晴らしいスピード感である。実はこれはとんでもなく便利なことなのだが、慣れてしまうと何とも思わなくなり、しまいにはそれが当たり前であるかのようなある種の錯覚を引き起こしてしまうようになる。しかし、人間にとって「慣れ」というのは恐ろしいものであると身をもって実感する出来事があった。

Amazonで頼んだ商品が届かない

訳あって複数の商品をほぼ同時に注文することになり、注文から数日で大体のものは早めに手元に届いたのだが、一つだけ明らかに配送されている雰囲気がない商品があった。まあなんだかんだ言って配送はされるだろう、と思って気長に待っていた。

そして配達予定日当日、通常なら必ず来る配達中を知らせるメールが夕方になっても来ていないことに気が付いた。これは何かおかしいと思い問い合わせたところ、どうやら配達が遅れそうとのことが明らかになった。この時点で遅れそうなら先に言ってくれよ、と思ったがまあしゃーないか、と思い直しもう数日待ってみることにした。

しかし配達予定日はどんどん伸びる一方だったので、結局諦めて商品が届いていないのにも関わらず返品することにした。返品処理のやり取りで明らかになったのは、商品が税関で破損して配送できないということであった。私は失敗したな、と思った。

末端で作業をしている人の存在を忘れてはならない

私は商品の到着を待っているとき、どこか心の片隅で「Amazonで注文したんだから絶対届くでしょ」と思っていた。でもこの考え方は、姿の見えない第三者に自らを委ねてしまう行為に似ており非常に危ないと思う。

どんな巨大組織にもその数だけの従業員、もっと言えばひとり一人異なる個性を持った人間が属しているということを忘れてはならない。末端で実際に倉庫の中で手足を動かしながら段ボールに梱包したり、ピッキング作業を行う従業員がいてこそ商品の配達が可能になる。

PCやスマホAmazonアプリで客がボタンをポチっと押した後、従業員なり機械なりがそれだけの作業工程をこなした上で当該商品が手元に届いているということを改めて認識しなければならないと感じた。

便利さの裏側を想像する力を養いたい

こんな些細な出来事で?と思われるかもしれないが、私はこの出来事をきっかけに便利さの裏側はどんな仕組みになっているのかをもう少し想像しなければならないと感じた。また、そのような工程や立場がある程度想像できれば、商品が期日に届かないとか電車が遅延していることなどで過剰にイラついたり、ストレスをため込んだりすることが減らせるのではないかと。

世の中が便利になるのはとても良いことだし、それによって多くの人の人生が豊かになるというのは間違いないことだと思う。ただ、その便利さに慣れてしまったがゆえに少しでもそれが満たされないとき、過剰にイラついて怒りを人にぶつけたり、ストレス発散のはけ口を粗さがしするような行為が頻発する世の中にはなって欲しくない。そして、多少なりともイラついてしまった自分自身もその点を反省する必要があると感じている。

 

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今週のお題「2020年の抱負」

今週のお題「2020年の抱負」

明けましておめでとうございます。

今年2020年もよろしくお願いいたします。

 

昨日2019年の振り返り日記にも2020年の目標を書いたが、今日もやることがなく暇なので今年の目標をもう少し具体的に考えて書いてみたい。

体調不良による有休をゼロにする

なんだよそのなんでもない目標は、と思われる方もおられるだろう。しかし、よくよく自分自身を振り返って欲しい。昨年中に一度も体調不良を起こさず、会社や学校を皆勤したという方はどれだけいらっしゃるだろうか。私の周りでも多分半分ぐらいの人は皆勤できていなかったと思うし、私自身も年末の最後にインフルにかかってしくじってしまった。

久しぶりに体調を大きく崩して再認識したのは、やはり健康でいられることのありがたさである。人間は失って初めてその失ったものの大切さを身に染みて思い知るというが、まさにそのことを実感せずにはいられなかった。

朝心地良く目が覚めること、お腹いっぱい飯が食えること、自分の意志で足を動かして行きたい場所に移動できること。これらは当たり前に思えて実は健康でなければ成り立たないことなのだ。

だから、どんな時でも自分の健康や体調と相談しながらやるべきことを考え、常に身体と対話しながら行動することが本当に大切だと感じている。健康をできるだけ維持して目の前のことを楽しむためにも、食事、睡眠、運動はある程度のバランスを取って生活したいと思う。

資格取得&勉強の継続

資格勉強は本当につまらないものだが、やはり完全に無下にすることもできないと思い直している。今年できれば取っておきたいのは、ウェブデザイン検定の3級と2級だ。現状、過去問だけ購入して勉強開始していないが、少しずつ始めていきたい。ただ、エンジニアとしてこの程度の勉強量だと明らかに不足している感はあるので、資格取得は目指さないけれど他のジャンルの資格も色々勉強していくかもしれない。この辺りは今後短いスパンで流動的に変わっていきそうな予感がする。

それ以外はドットインストールを参考にウェブアプリづくりをランダムにやっている。やはり自分のスキルではまだまだ通用しないし、知らないことがあまりにも多すぎると感じる。もう少し知識があった方が仕事がやりやすくなるし、何より話が分かれば仕事がもっと楽しくなるだろう。会社に貢献するというよりは、自分自身が仕事を楽しむために勉強しているという意識が圧倒的に大きい。それが結果的に会社の業績につながれば良いというスタンスでやっている。あくまでベースは自分に置くという意識は忘れないでいきたい。

レーニングでの目標

レーニングを始めて3年と少しが経過している。基本的には週3回1回1時間程度のジムでのトレーニングを継続している。今後も週3でトレーニングできるかどうかは微妙だが、できる限り継続できるようにしたいと考えている。

レーニングは大会に出るためではなく、なんとなく続けているだけ。単純に鍛えることが楽しいから。よくいろんな人に「何を目指しているのか」と聞かれるが、これは返答に困る質問No1である。単純に楽しいからやっている、それに尽きる。

たとえば、映画を見るのが好きで趣味で週2回映画館に通っているという人に対し、あなたは同じ質問をするだろうか?つまりそういうことである。

話が逸れたが、具体的な目標としてはベンチプレス100kg×5、スクワット130kg×8、10kg加重懸垂×10できるようになることを目標としたい。そのためにはパワーを付けて今より少し体重を増やす必要があるだろう。また、重量をアップするためのトレーニングメニューをもう少し真剣に検討して試行錯誤を繰り返す必要がある。

おわりに

昨日時点で思い浮かばなかったけれど今日少し浮かんだ目標を羅列してみました。あなたにも今年中に達成したい目標の1つぐらいはあるはずです。その目標をできるだけ達成できるように、そこそこ厳しくそこそこにユルく目標に向けてお互いに頑張っていきましょう。あ、もちろん楽しむことは忘れずに。

 

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2019年の振り返り日記

最近はブログの更新頻度が減ってしまい、久しぶりの投稿となる。

転職して以来、割と毎日それなりに満足な生活を送れているため色々な愚痴が出てこないのが原因かもしれない。それは私にとってはとても良いことなのだが、ブログのネタ作りという点においては少々物足りなくなってきている感もある。そんなことをふとした時に感じる。

2019年の振り返り報告

早速だが、昨年当ブログに書いた今年の目標を振り返っていきたい。

早寝早起き

2018年までは平日は1日6時間寝て休日に少々寝だめをするということで毎日何とか乗り切っていた。その平日の睡眠時間をせめて7時間程度に増やそうと思っていた。

現実としては、23時過ぎに布団に入り6時20分ごろに起床するという平日のルーティンが少しずつ確立していった。ただし、23時に布団に入っても睡眠に入るまでに10分以上かかったり、寝る前にストレッチをしたりしてなんだかんだで時間が経ち、入眠するのは23時30分前後だったように思う。なので、睡眠時間は7時間より少し少ないくらいだったはずだ。

ただ、昨年より長く睡眠を確保するという目標は概ね達成できているので、この点は今年の目標をなんとか遂行できたといえそうだ。

体重を2kgぐらい増やす

体重はあまり増えなかった、というより全く去年と変わっていない。もともと小食でハードゲイナーというのもあるけれど、やはり食べるのが辛いことに変わりはなかった。

目標は身長-体重の値を100ジャストぐらいにすることだったが、今時点では103ぐらいで若干体重が軽いという現状です。

職場に慣れる

4月の異動で炎上プロジェクトから解放され、新しいビジネスを創出する部署に配属された。新規でビジネスを作っていくという新鮮さや楽しさと共に、数字を意識しなければならないというプレッシャーも感じるようになった。ようやく仕事らしい仕事もやらせてもらえ、職場での足固めが進んだ1年だったように思う。

社外常駐というようなこともなく基本的には社内で仕事をやらせてもらっているので、会社のこととかもよく知ることができたし、そういう意味では職場に慣れることはできてきたと個人的には感じている。

新しい働き方を模索する

会社以外の食い扶持を自分で探すということだが、今年は一件だけクラウドワークスで契約して仕事をした。単純なライティングの仕事だったが、契約や報酬に関するルールがどのようなものなのか、少し知ることができた。

ただ、今年の途中から今のメインの仕事を中途半端にしたくない気持ちが芽生え、会社の仕事に関連する技術の取得や勉強をしようと決意した。そのため、現在は副業はほぼ何もやっていない。今後5年ぐらいは目の前にある仕事や関連するスキルの取得に全力を注ぎたいと考えている。副業はその後でも遅くない。

また、会社的にはテレワークや在宅勤務なども推奨されており、今年からかなりその制度を利用させてもらった。ネットさえつながれば会社に行かなくても仕事ができるというはとても魅力的だし、通勤がなくなる分ストレスフリーな働き方だと感じた。テレワークは今後もできる限り取り入れていきたい。

2020年に向けて

2020年の目標としては、今年達成できなかった体重を増やすという目標と、ベンチプレスを100kg5回程度でセットを組めるようになることを挙げたい。その他の具体的な目標はほとんど考えていない。一つ言えることは、今目の前にあることに対して全力で取り組んで楽しむということぐらいだろうか。

最近よく思うのだが、結局「今」を楽しめない人は何をやっても楽しめないのだと感じる。将来のために今やりたくもないことを嫌々やるという人は相変わらず多いようだが、そういう生き方は楽しくないと思うし、やるなら楽しい方が人生幸せなはずだ。もちろん、ある程度我慢が必要な時もある。でも無理することはない。

だから、2020年も今年と変わらず、目の前にあることに対して全力で真摯に向き合いながら毎日過ごしていければ、最高の一年になると確信している。

 

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好きなことなら時間を忘れて没頭できるというのは本当か

没頭したこと、ある?

人間であれば誰しも本当に自分の好きなことに没頭した経験があると思う。まあもちろん没頭したことがない人もいるかもしれないけれど。

それは趣味であろうと学校の勉強であろうと仕事であろうとなんだっていい。没頭していると時間があっという間に過ぎてしまう。それだけ楽しいから時間が速く過ぎてしまうということなのかもしれない。

特に私が思うのは、仕事に対して没頭できる人は本当に幸せだと思う。私も仕事や仕事がらみの勉強をしていて没頭できることはしばしばあるが、いつでも没頭できているかというとそうでもない。なんとなくダラダラ過ごしてしまうこともあるし、そんなことをしているときは時間が勿体ないと感じてしまう。

「定時に帰る=没頭していない」なのか?

さて、私は今年の5月ぐらいに所属部署が変わってからほとんど毎日定時帰宅を敢行するようにしており、現在も継続中である。またこれからも継続していくつもりである。正直、初めは定時に帰ることに対して周りの目を気にしたこともあったが、今はもうほとんど気にならない。ある意味、定着しつつある状態といえるだろう。

ただ、定時帰りを続けていて自分の中である疑問が湧き上がってきた。それは、好きなことなら没頭して時間も忘れるぐらいのめり込めるのであれば、定時に上がるように調整している時点で自分は仕事に没頭できていないのでは、という素朴な疑問である。

無論、今の仕事も会社も会社の人間も好きである。でも、その好きな仕事に対してある意味没頭せず、定時上がりという制限をかけている自分に対してこのような疑問が湧いてきたのである。

好きなことでも8時間やれば十分じゃないか

私はこの数か月間、この疑問について自分の中でしばしば考えてきた。そして、最近一つの考えにたどり着いた。それは、残業なしでも一日一週間の大半の時間を仕事に費やしている、という考えなくても分かる当たり前の事実である。

私は小学生くらいの頃にテレビゲームやゲームボーイにハマっていた時期があり、文字通りゲームに没頭していた。親からよく、ゲームは一日に1時間までにしなさい、という約束を強引にさせられてうんざりしていた。でも両親は普段の日は仕事に出ているので、学校から帰ってきから両親が帰宅するまでの間、両親にバレないようにゲームをしまくった時期が多々あった。裕に3時間は超えていただろう。だが、3時間近くやると集中力が落ちてきて、ゲーム自体に少し飽きてくることに気が付いた。あの大好きなゲームでも一日に3時間もやれば私にとっては十分だったのである。

そんな少々飽きっぽい私だから、仕事を毎日9時-18時でやるというのは私にとって十分すぎるぐらいの活動量なのである。だから、必要でもないのにその上に残業というのはやはり私にはやっぱり不要なのだと気付いた。その残業の時間を他の好きなことに使いたいというのが正直な気持ちだ。

だから私は今日も明日も来週も来月も来年も定時に帰り続けるだろう。

 

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残業するのか休出するのか

私は基本的に残業をはじめとする時間外労働が嫌いだ。しかし、仕事の都合上どうしても時間外労働を強いられる場面が出てくる。サラリーマンとして生きていれば時間外労働を全くしないで40年以上勤め上げるというのは至難の業だろう。
仕事が忙しいときに必ず避けられないのが残業や休日出勤だが、残業と休日出勤のどちらか一方を選択するとしたらあなたはどちらを選択するだろうか。私はこれまでどちらが良いかを考えたこともなかったが、最近時々残業するのでまた色々と考え始めてしまった。

休日出勤と残業のどちらを取るか

私が今まで関わってきた人たちの多くは、残業はしても休出は嫌がる傾向があるように感じる。私もちょっと前までは休日出勤なんてもってのほかだと思っていた。ただでさえ週に2日しかない大切な休日を通勤と仕事で潰されてしまうのはたまったものではないと思っていた。だから、前の会社にいた時には嫌々ながらも残業はしていたが、休日出勤だけは断固として断った。例え土曜日や日曜日に大した用事がなくても用事があるフリをして断っていた。時間外の手当てが全く支給されないのは残業でも休出でも一緒だったが、サービス休出するぐらいならサービス残業して土日はしっかり休みたいという気持ちの方が断然大きかった。
しかし、今の会社に入ってから少し考えが変わってきている。前職ではPCの持ち出しなどができず基本的にオフィスに来ないと仕事ができない状態だった。しかし、今の仕事は会社支給の持ち出し自由な自分用PCで行うため、ネットワーク環境さえあればどこでも仕事ができてしまう。休日にわざわざ会社まで出勤して作業するのは億劫だが、自宅で仕事できるのであればかなり気が楽だし、時間外手当だって支給される。まあ仕事とプライベートの境目が曖昧になってしまうことがデメリットなのかもしれないが、個人的にはあまり気にならない。

残業が苦手な人は休出優先で考えてみても良いかも

世の中のサラリーマンには2つのタイプがいると思っている。1つは残業が好きで得意な人、2つ目は残業が苦手な人だ。これまでの経験から、私は圧倒的に後者であることが分かってきた。
基本的に世の中のサラリーマンはマジメだ。たとえ定時を過ぎようが、成果物が完璧に仕上がっていないのであれば残業も厭わずにきっちりと仕様を満たした完璧に近いものを作ろうと作業を続ける。定時後にもそれだけの集中力を仕事にそそぐことができる体力がある優秀な社員だと思う。
だが、私は定時後になると集中力や作業効率がガタ落ちするし、何より早く帰りたい気持ちが先行して気持ちが落ち着かなくなる。自己中と言われればそれまでなのだが、こういう残業に向いてないタイプのサラリーマンは決して私だけではないはずだ。周りの人間が当然のように残業をしているのだから自分もできるようにならないといけないと思うかもしれない。その気持ちは私にもあるのだが、自分と他人は違う人間であり、疲労の感じ方や集中力の継続度など体力は異なるものだ。だから、周りがやっているから自分もできないといけないと考えるのはおかしなことだ。

どうしても残業または休出しなければならない状況に遭遇した時、自分が残業タイプなのか休出タイプなのかを知っておけば適切な行動ができ、より効率的に仕事を捌いて有益な時間を手にすることができるはずだ。 

 

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