没頭したこと、ある?
人間であれば誰しも本当に自分の好きなことに没頭した経験があると思う。まあもちろん没頭したことがない人もいるかもしれないけれど。
それは趣味であろうと学校の勉強であろうと仕事であろうとなんだっていい。没頭していると時間があっという間に過ぎてしまう。それだけ楽しいから時間が速く過ぎてしまうということなのかもしれない。
特に私が思うのは、仕事に対して没頭できる人は本当に幸せだと思う。私も仕事や仕事がらみの勉強をしていて没頭できることはしばしばあるが、いつでも没頭できているかというとそうでもない。なんとなくダラダラ過ごしてしまうこともあるし、そんなことをしているときは時間が勿体ないと感じてしまう。
「定時に帰る=没頭していない」なのか?
さて、私は今年の5月ぐらいに所属部署が変わってからほとんど毎日定時帰宅を敢行するようにしており、現在も継続中である。またこれからも継続していくつもりである。正直、初めは定時に帰ることに対して周りの目を気にしたこともあったが、今はもうほとんど気にならない。ある意味、定着しつつある状態といえるだろう。
ただ、定時帰りを続けていて自分の中である疑問が湧き上がってきた。それは、好きなことなら没頭して時間も忘れるぐらいのめり込めるのであれば、定時に上がるように調整している時点で自分は仕事に没頭できていないのでは、という素朴な疑問である。
無論、今の仕事も会社も会社の人間も好きである。でも、その好きな仕事に対してある意味没頭せず、定時上がりという制限をかけている自分に対してこのような疑問が湧いてきたのである。
好きなことでも8時間やれば十分じゃないか
私はこの数か月間、この疑問について自分の中でしばしば考えてきた。そして、最近一つの考えにたどり着いた。それは、残業なしでも一日一週間の大半の時間を仕事に費やしている、という考えなくても分かる当たり前の事実である。
私は小学生くらいの頃にテレビゲームやゲームボーイにハマっていた時期があり、文字通りゲームに没頭していた。親からよく、ゲームは一日に1時間までにしなさい、という約束を強引にさせられてうんざりしていた。でも両親は普段の日は仕事に出ているので、学校から帰ってきから両親が帰宅するまでの間、両親にバレないようにゲームをしまくった時期が多々あった。裕に3時間は超えていただろう。だが、3時間近くやると集中力が落ちてきて、ゲーム自体に少し飽きてくることに気が付いた。あの大好きなゲームでも一日に3時間もやれば私にとっては十分だったのである。
そんな少々飽きっぽい私だから、仕事を毎日9時-18時でやるというのは私にとって十分すぎるぐらいの活動量なのである。だから、必要でもないのにその上に残業というのはやはり私にはやっぱり不要なのだと気付いた。その残業の時間を他の好きなことに使いたいというのが正直な気持ちだ。
だから私は今日も明日も来週も来月も来年も定時に帰り続けるだろう。
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