rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

行動こそが全てという真理を実感した出来事

ずっと仕事をしていく中、ここ1年の間で一緒に仕事をしたいタイプの人とそうでない人の違いが自分の中で明確になってきた。そしてよく考えるとこれは日常生活でも当てはまることだと最近実感するようになった。

仕事の進め方について最近思ったこと

私も社会人としてまだ未熟ながら後輩を持つ立場ではある。ある後輩に何か仕事を依頼するために内容を説明し、やれそうかどうかを聞くと「はい。大丈夫だと思います。」と返答がくる。私としてももちろん後輩を信頼しているので、言葉を信じて大丈夫ということで任せておく。

そして数週間経過し、進捗を確認するとほとんど進んでいない。少しは進んでいるのだが、進捗スピードが牛歩並みの遅さである。このような出来事をいくつか繰り返すうちに、指示を出す上司の立場、過去に私をいじめた上司の気持ちが少しだけ分かるような気がした。もちろんいじめは真似しないけれど。

そもそも、私が感じている「やれる」というイメージと後輩が感じていた「やれる」のイメージは全然違う。私は具体的に手順を調べ、自分の中で仮説を立てて検証してあらかたの裏を取ってからはじめてやれそうだと思うが、私より経験が浅い後輩はその時聞いた印象でなんとなく「やれる」と感じてにその感覚を伝えたに過ぎないということだろう。そんな後輩の姿を見ると、ちょっと昔、まったく仕事ができなかった自分が重なる。個々の認識の差、意識の違いというのはやはり果てしないし、完全に埋めることは絶対にできないものだと再認識した。

行動こそが全て

少し話が逸れたが、要は行動こそが正義であり全てを語るということである。いくら口先で「やります!」を連呼したところで、実際に進捗具合に反映されていなければ全く信用できなくなる。言っていることとやってることが違うじゃん、という話になってしまう。口では愛してるとか好きだとか言いながら、全く会ってくれなかったり行動を変えてくれない男ほど信用できないものはないだろう。

私は過去にTOEICで850点を取ったことがあるが、その結果を伝えた後にいけ好かない友人から「でも勉強すれば誰でも取れそうだよね」というニュアンスの言葉を返されて内心ムッとした。確かに、しっかり勉強を継続して試験対策もして受ければ絶対に取れない点数ではないかもしれない。でも私はその一言で今まで継続的にやってきた努力をかなり否定されたように感じたし、何より取ってもいないクセにテメェからそんなこと言われたくねぇよ!というのが本心だった。そういうこと言う権利があるのは同等の点数を取ったことがある人間だけだ。

行動を伴わない言葉ほど信用できないものはない。そんなものは何の参考にもならない。しかし、行動に裏打ちされた言葉の持つ説得力は半端ではない。だから、グダグダと御託を並べるぐらいなら今すぐ行動し、何らかの成果物を作ることだ。それを持ったうえで御託を並べればその説得力は強大なものになり得るだろう。

 

adios