rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

デート?での失敗を機に考えたこと

久々にデート?をしてあっけなく振られた話

コロナ禍云々に関わらず、社会人になって以降久しく恋愛と疎遠になっていた私であったが、先日友人に紹介してもらった女性と会ってきた。女性と二人で会うというのが久しぶりすぎて何を話せばよいか分からないままなんとなく流れで会話を進めた。相手はそこそこ楽しんでくれていたようにも見えたが、その後連絡が途絶えてしまった。まあ、正直デートと呼べるような代物ではなかったから仕方ないのかもしれない。

正直結構ショックで2日間ぐらい落ち込んでいたのだが、その原因をあれこれと考えていると、恋愛において今の自分に足りないことがかなり見えてきたし、本質的に大事なことを見失っていたことに気が付いた。出来事としては残念の一言だったのだが、この経験から学べることは大きいと思った。

デートとはお互いに楽しむものです、というようなことが言われていることもあるが、それはお互いに好きで付き合っている状態であればこそのこと。付き合う前の1回目のデートなぞ相手の女性は自分のことなどほぼ何とも思っていないのだから、男性の方からうまくアプローチしてある程度心理的な距離を縮めなければならない。これから恋人になるかもしれない人に対してずっと敬語で丁寧に接していたら、恋人のような距離感や関係になるイメージすら持ってもらえないということだ。

真面目が良いなんて大嘘だ

真面目で優しい人が好きという女の子は多いだろう。でも周りで女をとっかえひっかえしているような男に真面目な奴なんて皆無であり、この言葉を信じて忠実に守る男たちはバカをみることになる。無論私も後者に属する。こういう残酷な事実があると、やはり女性が言うことを真面目に受け止めてはいけないのだと思う、むしろ女性はいつも嘘をついて本心とは反対のことを言っているのではないかとすら思ってしまう。

優しい人が好きというのもよくあるが、優しい人は本当にモテない。恋愛面だけではなく、仕事とかその他の日常生活においても優しい人は常に都合よく搾取される対象となることが多く、嘆かわしい限りである。むしろ、真面目に不真面目になることが大事なのではないだろうか。

人間は強欲な生き物だと痛感

少し内容の方向性が変わるが、この出来事を機に自分自身を改めて見つめ直し、本当に人間というのは欲深い生き物だと痛感している。

私自身、数年前までは仕事とか自分の生活をどうしていくかということで頭がいっぱいで、恋愛とか結婚とかを考える余裕などなかった。自分自身の管理もままならないのに他人の人生を管理するなどもってのほかだと思っていたし、だからせめて自分が何とかこの世の中を生き抜いて慎ましく生活できればそれで人生万々歳だと思っていた。

しかし、転職して少し環境が安定して自分自身に余裕が出てくると、今度は恋愛とか結婚とかその方面について考えたりすることが多くなってくる。元来、結婚願望がないことは今も変わりないが、もし良い相手がいたら・・、とかせめてパートナーぐらいは欲しいなとか、そうしたことをふとした瞬間思ってしまう自分自身が卑しく醜く感じることがある。本来何も後ろめたいことはないはずなのだが、ちょっと前の自分のようにもっと質素に、他人は関係なく自分が生きていくことそのものに対してもっと喜びを感じられるようになりたいと思うし、全てを手に入れて幸せになろうなんておこがましいとすら思ってしまう。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」とはよく言ったものだが、今現在健康で生活できて定期的に仕事ができていて収入があり、質素ではあるけど安定して生活できているということにはもっと感謝しなければならないと思う。人間は何かを手に入れるともっともっといろいろと手に入れたくなってしまうのが本能なのだろうが、そこは欲張ってはいけないと思う。慎ましく健康的に生きられればそれでいい、この原点は忘れずにこれからも生活してきたいものだ。

 

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