rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

男女間の友情を成立させるのは難しい

人類が生きる上で永遠のテーマになりそうなものの一つに「男女間の友情は存在するのか」というものがある。私はこの問題についてずっと答えは「ノー」だと思っていたのだが、そう簡単に言い切れるものでもないと最近思い直し始めた。もちろん、今でも男女間の友情は限りなくゼロに等しいと考えているが、それでも完全なゼロではないかもしれないと思うようになったということである。ある特定の条件や関係下でのみならば真の意味での男女の友情は存在するのかもしれないということだ。

異性愛でない場合

まず両者が同性愛者だった場合、男女間の友情はあり得ると思う。異性愛の男が男を抱くことができないように、同性愛の男は女を抱こうとは思わないし、気持ち悪いとすら感じるのでないだろうか。異性愛の身からは信じられないような感覚かもしれないが、多分同性愛者はこのように感じているのではないだろうか。

そのような男は女に対して極めて自然に振る舞うことができるだろうし、女もそんな男を信頼して友情を育むことが可能になる。どちらか片方が異性愛者であれば相手に恋愛感情を持ってしまうのは必至であるので、やはり両者とも同性愛でなければ真の意味での友情は生まれないと思う。

関係を持った後であれば友情はあり得る

次にお互いに関係を持った後というのがあると思う。男は基本的に性欲を抜きにして女を見ることはできない。それは男がダメな生きものだからという訳ではなく、生物としての本能なのでどうしようもないことなのである。だから、魅力的な女に対して友達になりたいなどとは微塵も考えておらず、自分のパートナーにしたいと考えるのであり、そこに友情などという概念は全くない。

私は男なので女がどう考えているのか正確なところは分からないが、男女の友情はあり得ると豪語する女ほど上記のような男視点をあまり持っていないような気がする。そして言い寄られたら「そんなつもりじゃなかった」となるお決まりのパターン。断るのは構わないが、男とはそういう生き物なのだと理解した上で接してほしいと思う。

ただ、お互いにパートナーとして認め合った後であれば、男女関係は恋から愛になりやがて友情のような形になっていくのではないかと思う。結婚〇十数年とかの夫婦を見ると良く分かるが、恋愛初期のようなラブラブを維持している人たちはゼロではないが、極めて稀である。それは日々一緒に過ごす中で関係が友情方面にシフトしているということを示しているのでないだろうか。

恋愛も素晴らしいと思うが、その恋愛をした人と真の友情関係を結んで生活していけるのはこの上なく幸せなことだと思う。本当の意味での男女の友情は夫婦関係やそれに近しい関係になって数年してやっと手に入るぐらい貴重でレアなものなのではないだろうか。

友情があると豪語する人たちの思う友情は薄っぺらい

それでも、「おれは妻がいるけど女友達とも仲が良い」とか「あたしはなんでも相談できる男友達がいる」といって男女間の友情を肯定したがる人もいる。彼らの言うその友達が友情でないとまでは言わないが、それは果たして本当の友情なのだろうか。その人が他の誰かと一緒になったりしたとき、心の底から喜べるのか。損得勘定なしに彼らの存在を全面で受け入れ、心から祝福することができるのか。少しお互いの状況が変わって自分に不利益が出るようなことがあれば、すぐに音信不通になってしまうようなことはないだろうか。

上記のような考えを抜きにして語る友情は薄っぺらく脆いものであり、ちょっとした痴情のもつれで簡単に壊れてしまうものだと思う。いくら多くの友達がいるとしても、一つ一つが薄っぺらいのであればそれは少々寂しいものである。

 

adios