rk-baryoのゆるっと日記

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森会長の問題発言について思ったこと

東京五輪組織委員会の森会長が女性差別発言をしたことにより、ここ数日ネット界隈が大炎上している。発言の具体的な内容としては「女性が多い会議は時間がかかる」というものであり、男女平等やジェンダーフリーが重視される昨今の世の中を踏まえれば批判や炎上につながるのは必至の発言である。

この発言を単純な「老害」と片付けてしまえばある意味簡単なのかもしれないが、本当にただそれだけで片付けてしまって良いのだろうか。私は、この発言やそれに伴う周囲の批判や意見を見て思ったことがいくつかあるし、今後教訓にしなければならないことがあると感じている。

思っていても口に出してはいけないことがある

誰しも本音を持っているし、それを語ってスッキリしたい気持ちを持っている。しかし、それが許されるのはせいぜい小学校低学年ぐらいまでで、中学生にもなれば本音と建前をわきまえて他者とコミュニケーションが取れるようにならなければならない。それは、周囲と協調、協力して生きていくために人間という生き物が身に付けた能力であり、他の動物にはない能力といえるだろう。もちろん、本音を隠しすぎて自分がやりたいことや言いたいことが全く言えないのはストレスになるので、ある程度本音をぶつけることも時には大切である。しかし、心の中で思ったことを憚りもせず周りにぶちまけるのは人間らしさに欠けていると言わざるを得ない。

思いを持つことは個人の自由であり、何を考えているかなど本人以外に分かることはまずありえない。だからどんな思いや考えを持っていようとそれは個人の自由であるが、それをどう表現して相手に伝えるかという側面まで考えてから発言することこそが、人間同士のコミュニケーションの本質である。うっかり本音を口走ってしまうことは誰にでもあると思うが、その言葉を聞いた他者どのような思いを抱くのか、一呼吸おいて想像してから発言するというのが大切なのである。年齢を重ねるごとに感情を制御するのが難しくなるというが、絶対にこのことは忘れてはならないと改めて思い直した。

言葉の重みは人をつくる

森会長からすれば、思わず自分の本音が口から漏れてしまったという形であったのだろう。この発言が出たことにより、森会長自身が女性に対して少なくとも何らかの偏見を持っていることが明らかになってしまった。森会長が実際にどのように思っているのかはさておき、このような発言がなければ本音で女性を差別していたとしてもそれが周りに伝わることはなく、悪い印象につながることは避けられた。しかし、本音が漏れたこの言葉一つでその人間の醜さが表に出てきて、一気に悪い印象になってしまう。

特に有名人や政治家は思っていることがふと言葉として漏れてしまうだけで、自分のキャリアや人生そのものに対しても悪影響を及ぼす程のものになる。人間という動物にとってそれだけ言葉というのは重要であり、言葉一つで人の命を救うこともできるが、逆に自分や誰かの人生を棒に振ってしまうこともある。

自分が普段使っている言葉や発言を振り返り、悪い方向に働いていないかどうかさらに注意しながら発言する必要があると、今回の一件を見ながら思うのである。

 

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