rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

弟が特別支援学級の講師を断られた話

 私の弟はもう5年近くニートである。そんな弟に良いアルバイトの話が舞い込んできた。私が小学6年生の頃の担任で今でも付き合いがある先生と飲みに行った時のこと。弟が未だにニートであることを先生に話すと、特別支援学級の講師として少しずつ働き始めてはどうかと提案してくれた。(特別支援学級とは、精神的にちょっと障害がある生徒たちが放課後に集まって宿題とかをやりながら講師と交流するような場である。)私は弟にその話を伝え、意外にも弟はすんなりとやる気を見せてくれたので、実際に特別支援学級の人と弟の面談をセッティングしてもらった。その前にも実際の職場を先生に案内してもらったり、どんな仕事をやるのかを弟と私と先生の3人で事前に共有したりもした。面談をしてそれで断られることはないと聞いていたので、後は弟のやる気と気持ちの問題だけだと思っていた。
 ところが、いざ終わってみれば不採用という結果が突き付けられた。不採用の理由は表向きには人が足りているということであったが、実際は弟が引きこもりニートであり人間的に信用できないやつを講師として迎えることはできないというのが本当のところだろう。兄として私はもちろん残念だったのだが、それ以上に教育関連の人間の視野や価値観の狭さを感じたのが残念だった。
 聞けば、特別支援学級の講師をしている人たちは元教師で今は引退した人や、これから教員を目指す大学生など、何らかの形で学校教育に関わっている人間ばかりだという。そのような場に、弟のようなちょっと心配な人が講師として入るのをためらう気持ちも分からないでもない。長く引きこもりだった人間がいきなり何の資格もなく生徒たちを見守る役になれるかというと、やはり不安は少なくないだろう。

 それでも、私は弟を講師として採用してほしかった。それは自分のメンツがないとか弟が可哀そうだからというそんな薄っぺらい理由からではない。教育関係者とは異なる価値観を持つ弟のような人物が組織の中に新しい価値観を植え付け、その影響が生徒たちにポジティブに働いてくれることを期待していたからだ。特別支援学級に教育関係者しかいなければ、生徒たちは学校教育という狭い価値観の中で生きることになり、画一的な価値観しか共有できなくなる。それは生徒たちだけではなく講師たちもそう。同じような価値観を持った人間同士で組織を固めればそこから新しい考えやアイデアなど浮かぶはずもない。今まで行われてきたことを何も考えずに踏襲していくだけになる。そうやって同じような人間だけで馴れ合っている方が楽ではあるが、現状維持が主な目的になってしまい、何も進歩は起こらないし、むしろどんどん組織が退化していくだけだと思う。教育関係者には申し訳ないが、学校教育の考え方はやはり今の時代に即した考え方からはるかに遅れていると言わざるを得ない。ホリエモンが学校教育なんて要らないという理由が良く分かった気がする。本当にその通りだと思う。
 ただ、教育関係者の全員が全員悪いとは思っていない。今回仕事を紹介してくれた先生は私の弟の可能性を信じて仕事を紹介してくれたし、その点で様々な価値観を認めようとする姿勢を感じられた。でも、もっと多くの教育関係者が古い考えを捨て、教師も含めていろいろな個性の人を認めようとしない限り、学校教育は衰退の一途をたどると思う。個性を活かすというのであれば、それは生徒だけではなく、教育に関わろうとする全ての人間に対してそうでなければならない。今回の一件で弟が落とされてしまったことはもう仕方ないと思う。でも、もう少し広く多くの人にチャンスという扉が開かれた世の中になっても良いと思う。多様な価値観で個性を伸ばすと言うのであれば、それをしっかり行動でも示す必要がある。それができないのであれば、二度と個性を伸ばすとかのたまわないでほしい。

 

adios