rk-baryoのゆるっと日記

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なぜ読書をすることが大切だと考えられているのか

子供の頃、親に「ゲームばっかりやらないで読書しなさい」とか「本読むのは大事なことだよ」と言われた覚えはあるだろうか。私は小学生ぐらいの頃、よく親からこのようなことを言われていた。今になると、本を読むことの大切さは身に染みて感じることが多くなったのだが、子供の頃にその重要性を理解するのは難しい。とりわけ、子供の頃や若い頃に本を読むことがなぜ重要なのだろうか。

子供の適応力は高い

人間は年齢が低ければ低いほど適応能力が高い生き物である。そして、年を重ねると高かった適応力が低下してくる。例えば、5歳前後からピアノを習っていた人と、30歳ぐらいに始めてピアノを触る人とでは上達スピードに大きな差が生まれる。年齢の低い5歳からピアノを弾き始めた人の方が難しい曲を早く弾けるようになっていく。だから、今活躍しているプロのピアニストの中で、初めてピアノを触ったのが20歳を過ぎてからという人はほぼ存在しない。幼い頃からその分野に尽力してきた人でなければその分野で上に行くことはできない。その中でも更に才能がある人が努力を続けてやっとプロになれるかどうかという世界なのだ。

特に年齢が低い時に本を読んでおくべき理由

読書について言うと、より適応力が高い=年齢が若いうちに多くの刺激を与えると、様々な価値観を理解する心を育てることができる。子供のうちであればまだ自我が確立されていないので、本を読んで感じたことがその後の人生に生かされやすくなる。しかし大人になればなるほど、自分の意見や考え方が確立されているため、本を読んでも子供の頃ほどの影響を与えることは難しくなる。意味がないとは思わないが、同じ一冊の本を読んで大人が一つ吸収するところを子供は五つぐらい吸収しているということは認識しなければならない。だから、多感な子供のうちにできるだけ多くの本を読み、物事の善悪を判断する力や道徳的な考え方を身に付けておくことは大切なことだといえる。

本でなくてはダメな理由

ここで「なぜ本でなくてはだめなのか、映画でもドラマでもゲームでも同じような刺激が得られるものはある」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。その意見は多くの人が思うところだと思うが、これらと読書の決定的な違いは、能動的であるか受動的であるかである。映画やドラマは適当に見ていても途中で寝てしまっても、映像は勝手に進んでいく。だが、読書は自分で活字を追って読んでいかなければ先に進むことはできない。そう考えると、取り組み姿勢や真剣度にも差があると思うし、読書の方がより理解するためにエネルギーを必要とするだろう。よって同じ内容でも映像で見るとの活字で読むのでは、読書の方がより自分の血肉となって成長の糧になるのではないかと思う。

さいごに

最近では少し減ってきたのかもしれないが、他人に無駄に因縁を付けたり、自分が正しいと思う価値観を他人に押し付ける人はまだまだ多くいる。私も偉そうには言えないが、そういう頑固な人たちには色々な本を読んでより多くの価値観や考え方を身に付けてほしい。意見が違うだけで喧嘩になるのではなく、「そういう考え方もあるね」とお互いをある程度受け入れ、程良い距離感で人間関係を築いていければ理想的だとつくづく思う。

 

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