rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

豊かさとは一体何なのか

豊かさと聞いてどのような印象を思い浮かべるだろうか。

お金をたくさん持っていたり稼いでいたりすること、自分の好きなものに囲まれて生きていくこと、博識であること、など他にも様々な特性を思い浮かべるかもしれない。しかし、この問いに対する私の究極の答えは、「ミニマムな所有物で人生に満足できること」だと考える。

何を以て豊かと考えるか

この話題は以前友人とも議論になった。私自身の考えとしては、ミニマリストを美徳とする考えが根底にある。それは、幼少期にムーミンを見てスナフキンに憧れたことなどが関係しているのかもしれない。その頃から、如何に少ないものや汚れたものでも満足できるかということが豊かさの本質ではないかと思うようになった。高級車をいくら所有していても、正妻以外の美しい側室を何人周りに取り囲もうが、そういう人はより一層多くを所有しようとする。ずっと豊かさを追い求めようとしているあたり、今現状は豊かとは言えないのではないかと。(話には直接関係ないが、好きだったYoutuberが登録者数を増やすごとに金にがめつくなっていく姿は見るに堪えない)

しかし私の友人は逆の考え方を持っていた。多くのものを求めようとする姿勢や行動そのものこそが豊かさの象徴である、という意見だった。私にはない考え方だった。そもそも人類が豊かさを追い求めて貪欲に行動してこなければ、ずっと第一次産業で社会活動が止まっていただろうし、現在では当たり前のネットやITの社会が築かれることもなかったと。その意見も一理あると思った。

豊かさの矛盾

このような話をしているうちに、豊かさといっても色々な角度から見ることができることに気が付いた。大きく分けると、心の豊かさと物質的な豊かさがあるような気がする。前者は自分の心の満足度、充実感などを表し、後者は所有物の多さや質の高さなどを表す。しかしこれら2つの豊かさは互いに相容れないものとなり得る。

質素な生活で満足していた人がある日突然大金を手にし、ブランド物を買いこみ、毎夜豪遊するようになったとしたら、その人は果たしてまだ豊かな心を持っていると言えるのだろうか。モノは少なく生活も慎ましかったが心は満たされていた日々、比べてモノが多くどんどん強欲になり心が傲慢になっていく日々。現状維持でなく常に上を目指すことは良いことなのだが、この場合でもそれが当てはまるかどうか。

どちらが豊かな心持っていると言えるか。これでも意見は半々に割れるかもしれないが、私はやっぱりミニマリストの心を忘れずに、日常生活の些細な出来事でも幸せを感じられるような心を持てる人間になりたいと思うのである。

 

adios