rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

学生時代の勉強は何の役に立つのか

学生時代の勉強は無駄だと思っていた

人はなぜ10代や20代の前半に学校に通って勉強をするのだろうか。私は高校生の頃まではあまりこのようなことを考えもしなかったのだが、大学に入ってちょっと広い側面から勉強に対して俯瞰するようになって何度かふと疑問に思ったことがある。

物理や数学のやたら複雑な公式、世界史に出てくる意味なく長い大量の横文字、化学の原子記号、など一見意味のなさそうな知識が無数に存在するのが学生時代の勉強だと思う。そして、実際にこれらの知識は社会に出てから9割以上は役に立たない。せいぜい算数の足引算や、小学校で習う漢字が読めれば世の中に出て生きていくためにはほぼ不足ないはずである。それでも学校教育はなくなる気配はないし、子供を持つ親は特に何も考えずに小学校→中学→高校と子供を学校に通わせようとする。生きていくのに不都合のない最低限の知識やスキルが身についたなら、すぐに働き始めれば良いと思ってしまうこともあるが、それでも一見不要に思える学校での勉強を行う意義とは何なのか。ずっと疑問に思っていたことが最近少しずつ分かってきたような気がしている。

勉強は人生の選択肢を増やすための訓練

基本的に人間は組織の中で生きているが、最終的に自分の身を守るのは個々人の判断に委ねられる。そんな時、何かについて真剣に考えたり深く掘り下げた経験のない人は自分で決断して行動するということができずに周りに合わせたり、誰かからの指示を待つしか選択肢が無くなってしまう。しかし、様々なことを考える訓練を積んできた人間はそれプラス自分なりに考えることができ、より多くの選択肢の中から最善の結論を自力で導き出すことができる。

つまり、勉強というのは考える訓練を行うための効率的な手段であり、内容そのものは大して重要ではないのかもしれないと思うのである。ある分野についてそれなりに深く理解するためにはその分野について色々なことを調べたり、自分なりに仮説を構築して問題を掘り下げていくことが必要になる。先生から内容を教えてもらうこともできるが、教えられた内容をどのように解釈するのかは自分しか決めることができない。

何事も探求していくと面白いもの

大学時代の終盤、卒業論文を書くにあたってなぜ自分はこんなつまらない分野を探求しているのだろう、今調べている知識が何の役に立つのかということばかり考えていた。だが、学んでいる内容そのものは極論を言えばどうでもよくて、学ぶ過程で興味を持って色々なことを自発的に調査・検証したりするということが勉強の本質なのだ。現役時代、残念ながら私はこのことに気付くことができなかったが、今自分の仕事に対して真摯に取り組む中でその感覚が少し分かったような気がするのである。

どうでも良いことに思えるような事象でも、深く探求していくとどんな分野にも面白いと思える側面が何かしらあるものだ。今やっていることやこれからやろうとしていることに対してあまり興味ややる気が湧かないのは仕方ない側面もあるが、何事も探求心を持って自分なりに考えを掘り下げてみると案外楽しくなってくるかもしれないので、この考え方をおすすめしたい。

 

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