rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

残業に対する最近の考え方について

学生から社会人になった時に感じたギャップ

社会人になる前、私は仕事で残業をするのは当然のことだと思っていた。私が大学生の頃既に社会人になっていた先輩に色々話を聞く中、先輩たちはそれなりに残業をしているようだった。または、実際は残業したくないけれどある程度はしょうがないよね、という多少の諦めと、プライベートをある程度捨てて会社のために働く自分カッコいい!というような多少の自慢の雰囲気を感じることもあった。その話を聞き、残業って案外楽しいものなのかもしれない、と何も知らない私はひそかに期待していた。

しかし、実際に自分が社会人になると、残業がどれだけ自分に合わず辛いものかということを思い知らされることになる。私にとっての残業というのは自ら主体的にやるものではなく、強制的に誰かからやらされるものだった。残業代すら支給されないその時間に自分の意志は一ミリも反映されず、ひたすら受動的な作業と上司からの叱責が続いた。

今でこそ稀に自分から能動的に動いて残業をすることもあるのだが、新人~社会人2,3年目ぐらいの時代に残業とパワハラで心も体もボロボロになった時を思い出すと、やはりあまり乗り気はしない。私にとって残業というのは幼少期に植え付けられたトラウマのようなものである。

仕事の振り方について最近思うこと

残業をさせるぐらいの仕事量を振る上司や先輩が悪い!

私はずっとこう思ってきたし、今でもこの考え方の根本は変わらない。しかし、最近後輩に少し仕事を振ったりする機会がある中、定時までに丁度良く終わる量の仕事を振るのは相当難しいと感じている。

まずはその仕事の全体量と進め方の流れや手順を自分で考える必要がある。次にそれを自分で遂行したらどの程度時間がかかるのかを大まかに見積もり、後輩が遂行したら自分とどの程度差が出るのかも予想する。最後に予想した時間が所定内程度に収まる分の仕事を後輩に依頼する。ある程度正確な作業を振ろうと思えば最低でもこのぐらいは考える必要がある。

面倒を見る後輩が1人や2人程度なら問題ないが、10人分の業務を配分するとなるとこんな面倒なことはやっていられない。よって仕事の振り方もかなり大雑把になるだろう。仕事を受ける側のスキルにもよるが、やはり配分ミスはどうしても起こってしまうだろうし、多すぎれば残業や休日出勤が避けられなくなる。仕事を振る側の人間が相当優秀でなければ、適切な配分で仕事を割り振ることなど不可能だと思う。

だから、丁度良い量の仕事を振るのは難しく、どうしても多めに振ってしまうからやはり残業はなかなか無くならない。

残業を受け入れるならば

であるならば、日本で働く限りある程度の残業というのは今後覚悟していかなければならないのかもしれない。その時、できるだけ過去の嫌な思い出が蘇らないようにするには、意識して能動的に動くしかない。

時間外の勤務時間に人から指示されたことをやるだけではただの奴隷とほとんど変わらない。”やらされている”から”やっている”という意識を持たなければやっていられないものだろう。その意味では、冒頭に述べた社会人の先輩のように「残業する自分ってカッコいい!」と思うのも一つの正解なのかもしれない。この考え方は手放しに褒められたことではないと思うが、嫌なことをポジティブに捉えて能動的に行動していくという意味ではとても良いマインドだとも思う。

 

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