rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

将来と今を冷静に比較して貯金をしたい

貯金というのはとても大切なことです。月給をもらって生活しているサラリーマンでも、年俸契約しているスポーツ選手でも、月額を全て費やして常に貯金ゼロの状態で生活をしている、という人はなかなかいないと思います。

私たちは、毎日食事と睡眠をきっちり取らないと生きていけませんが、貯金をきっちりしないと生きていけないという訳ではありません。それでも私たちはしばしば貯金という行為に雁字搦めにされ、欲しいものを目の前に涙を呑んで購入を諦め、その場を立ち去ることを余儀なくされています。

私たちはなぜ貯金に心を奪われ、時にとても大切なものを失う結果を招くことになってしまうのか。今日自分の通帳を見返し、貯金しているつもりなのに去年からほとんど預金額が変わらないことに愕然とした私は考えます。

貯金は心の拠り所という側面が大きいと思う

貯金というのはその行為自体に大きな意味があるわけではないと思います。日々のルーティーンとして必要である食事や睡眠とは異なり、貯金を定期的にしなかったからと言って死ぬわけではありません。それでも私たちが貯金する一番の理由は、”心の余裕と安定を得たい”からにほかなりません。

例えば一人暮らしのサラリーマンの場合、銀行に200万円の貯金がある場合と全く貯金がない場合では、日々の心の擦り減り度が全く違ってきます。月額ギリギリで生活していて毎月の貯金も難しいような場合、一旦仕事を休んでしまったり休職してしまうと、その間無収入となり、途端に生活が立ち行かなくなります。そんな時に貯金がなければ「やばい、このままじゃ生活保護だ」となりますが、貯金があれば「まあ、実家に帰るなり就活する資金もあるし、なんとかなるっしょ」と思えます。

あなたが言う「将来」はいつ来るのか

貯金に重きを置いている人たちが揃って口にするセリフがこちらです。

「将来なにかあった時のために貯金しています」

この言葉に対してつい最近まで違和感を感じていませんでしたが、よく考えるこの言葉メチャメチャ曖昧です。将来っていつ時点のこと?とか、なにかあったらというが、具体的に何を想定しているのか、というのが漠然としすぎています。

多いのが、30歳ぐらいで結婚するのでその資金として貯金しています、というようなものでしょうか。ですが考えてみると、そもそも結婚する予定もない人が結婚を想定して貯金をし、そのために他に投資したいことを諦めるってとても馬鹿々々しいことだと最近思うことになりました。今目の前で起こっている現実よりも、妄想の中での将来のための行為を優先しているということになるのです。

今を生きる私たちは現実を見てお金を使うべき

とはいえ、自分が安心できるある程度の貯金はやっぱり必要です。ですので、基本的に貯金することを否定する気はありません。私も貯金していますし。ただ、貯金に縛り付けられて目の前のチャンスをモノにできないのは大変勿体ないことだと思うのです。

例えば、明確な目的もなく貯金を続けていたところ、たまたままとまった休みが取れて旅行に行くチャンスが来たら、どうすべきでしょうか。「将来のため」と言って旅行よりも貯金を優先させるでしょうか。そういう方もいらっしゃるかもしれませんが、こういう場合は旅行に行くべきです。今が貯金してきたものを使うべき時なのです。こんな時に「将来のための貯金が大事」と言ってケチっていると、もう一生その将来は来ないかもしれません。明日自分の命がなくなるとしたら、きっと誰もが貯金なんてしないで自分のやりたいことを好き放題やるはずですから。

人間は未来を予想して行動できる唯一の動物だと言われています。しかしその性質が仇となり、今という現実を謳歌できないことがあるというのは皮肉なものです。だから、将来と今の状態をきっちり考慮し、適切な貯金とお金の使い方ができるようになりたいと思っています。

 

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