rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

人の本音は会っていない時こそ見えるものである

他者の本音を知ることは難しい。普段の生活の様々な場面でこのことを実感するが、特に相手の本音を知りたいと思う場面として恋愛が挙げられるのではないかと思う。私も学生時代の頃は、相手が自分のことをどう思っているか知ることができたらどんなに良いだろうと思うことがしばしばあった。

また、TwitterをはじめとするSNSでは匿名で自由に投稿できるのを良いことに、普段面と向かっては言えないような本音という名の罵詈雑言を吐き散らす輩も多く存在する。

そんな状況を見ながら、人が本音を見せやすい状況が最近になって少しクリアに見えてきた気がしているので、私なりの持論を紹介する。

相手が自分に気があるのかどうかの判断基準

これに対する私の唯一の結論は、他愛無いラインやメールが長続きする、である。

対面のときの心理

人は対面で会っている人が目の前にいるとき、その人を無視することは滅多にない。よっぽど相手が嫌いであれば話は別だが、人が目の前にいればその人と会話の一つや二つするだろうし、できるだけ嫌われないように振る舞うのが自然な態度となる。それは相手が自分に気がある場合でもそうでない場合でも大して変わらない。そのため、対面で会っている時の相手の態度で自分に対する好意を見極めようとするのは、かなり難しいのではないかと思うのである。対面で会っているときは大体の人がそれなりに愛想よく接してくれるだろうから。

対面でないときの心理

しかし、ラインやメールになると状況は変わる。対面の時はニコニコして愛想の良かった人が全く返信してくれなかったりすることが普通にある。結局はこれが相手の本音なのではないかと私は思う。対面しているときはその場で何とか愛想よく取り繕うことができるが、実際に目の前に相手がいないときはそんな忖度は必要なく、いくらでも自分の好きなように扱うことができる。対面で好意的な印象を受けたのに連絡がほとんどないという場合、大抵は相手のことなど何とも思っていない、というのが本音となる。もし相手の中で私の存在が大きいのであれば、会っていないときでも連絡したくなるし、必然的に連絡の頻度が上がると思うのだ。逆にそれがないということは所詮私はその程度の存在でしかないということである。

匿名での誹謗中傷はほぼ全てが本音

相手の顔が見えない、ということは強力な盾となる。SNS上で顔も知らない人たちへの誹謗中傷や無意味なテキストベースでの喧嘩が無くならないのはこれが原因である。

中にはネタとして過激な内容を書き込んでいる人もいるかもしれないが、それ以外の人たちは実は本音ではあれだけの汚れたことを考えているということである。普段面と向かって人には言えないからこそネット空間でそのストレスを他人に向ける、ということだ。

このように考えると、やっぱり人間は意地汚く醜い生き物だなっていうことを実感するし、他人に全幅の信頼を寄せることなんて相当難しいと思ってしまう。ネット空間の発達は、今まで見ることができなかった他の大勢の人々の本音や本性をさらけ出す。見えなかったものが見えるようになるということは、単純に良い面だけではないなと思う。

 

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