rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

自粛(自宅軟禁)状態の長期化による予期せぬ弊害について考える

お題「#おうち時間

首都圏を除く各県で緊急事態宣言が解除され始めている。また、首都圏も状況を見ながら来週中には解除する方針ということで、首都圏在住の私にとっては少し胸をなでおろすような思いがするところだ。

そんな中、非常に悲しいニュースを目にしてしまった。とある恋愛系リアリティ番組に出演中のまだ22歳の女性が亡くなってしまうという痛ましいものである。死因は現時点でまだ確定ではないかもしれないが自殺の可能性が高いという。ご冥福をお祈りする。R.I.P.

彼女はどうやらSNS上での誹謗中傷を苦にして自殺に追い込まれた可能性が濃厚とのことであった。それが事実という前提で捉えたとき、私は過去の自分自身を含め、会社でのパワハラを苦に死に追いやられた人々などと照らし合わせ、色々なことを考えずにはいられなかった。

ストレスの矛先が他人であってはならない

まず、現況の自粛生活が長引くにつれ明らかに人々が大きなストレスをため込んでいるのは間違いないと思う。外に行って遊べない、仲間と飲みに行けない、好きなことが自由にできない、でも仕事はやらないと生活できない、そもそも仕事がない。こんな状況でストレスが溜まらない方がおかしい。私もストレスはまあまあある。

でもそのストレス発散の矛先が自分ではない誰か他の人に向いてしまうのは非常にまずい。今回の件について、番組を見ていたわけでも彼女をよく知っていたわけでもないから詳細なことは多くは言えない。ただ、仮に自粛による人々のストレス発散の矛先が彼女への誹謗中傷の過激化という形で表れてしまったのならば、それは非常に残念なことだと思う。

自分の中で生まれるストレスは全て自分に対して向けられるべきだと私は思う。ゲームを長時間やったって、筋トレしたって、暴飲暴食しても酒に溺れても(これはあまりよくないが)その方がまだマシだった。なぜならそれは全部自分に返ってくるものだから、少なくとも自分以外の誰かを直接的に傷つける可能性はかなり低いからだ。

否定された側は否定する側が思っている以上に傷つく

これもよく認識しておくべきことだし、改めて自分にも問いただす必要があると感じた。やられた側はやった側が認識している以上に気にしたり、場合によっては心に傷を負ったりする。こんな些細なことぐらいとやっている側は思っていても、やられた側にとっては急所を突かれるほど痛かったりする。パワハラやセクハラはやられた方の感じ方で決まるというが、誹謗中傷も全く同様だし、上司による部下の叱責だってそうだ。

このことは私自身も過去に上司に叱責やパワハラの嵐を受け、身に染みていることだ。前も記事にしたが、正義の押しつけという正義マン議論にも関連する。何の気なしに相手をとりあえず否定してストレス発散するのは本当に労力と手間が勿体ないし、そこからは何もポジティブなものは生まれない。

自分も周りへの言動をもう一度見直し、無意識に相手を批判するようなことをしていないか、傷つけることをしていないかという視点を常に持てるようにしたいと改めて感じたし、そうあるようできるだけ努力しないといけないと感じている。

 

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フリーランスや自営業が苦境に陥っている現況と自粛厨について私が思うこと

お題「#おうち時間

今年のお正月以来のブログ更新となる。

新型ウイルスが猛威を振るっている状況は相変わらず続いているが、皆さまの親族や友人の方は大丈夫でしょうか。私自身は3月頭からほぼ在宅勤務中心になり、4月頭に一回出社したのを最後に全て在宅勤務となっている。自身に関して言えば、たまたま在宅勤務ができる会社業種で本当に運が良かったとしか言いようがない。

さて、昨今のウイルスの猛威に加え自粛ムードが長引くにつれ、フリーランスや自営業の方々が経営の危機に瀕しているという報道を耳にしない日はない。特にイベント業や飲食業などには客足が遠のいていることから、致命的な打撃を受けていることは皆さまも重々承知しているはずだ。

私は当ブログにおいて、自身の経験から働き方や会社というものの存在意義について自分なりの意見を述べることを行ってきた。そして、現況の厳しい状況を目の当たりにし、過去の自分に対して思うことや今だからこそ主張すべきことがあると感じている。

フリーランスは簡単ではない

会社員として生きていくことに途方もなく嫌気がさしていた頃、私はとにかく会社という奴隷のような組織から抜け出し、自分の力だけでお金を稼いで生きていきたいと本気で思っていた。しかし、今となってはその考えは少々浅はかだったと言わざるを得ない。なぜなら、フリーランスになったら誰も自分のことは守ってくれないから。

先日Twitter上で見たあるフリーランスの人のお話。その人が契約していた仕事が前日になってドタキャンされ、キャンセル料も払われなかった挙句そのことを指摘すると逆ギレされ説教されるという、甚だ胸糞悪いLINE上でのやり取りを見た。私はこれを見て、ああ、フリーランスも楽じゃないなと痛感し、同時に過去フリーランスを夢見た自分自身を恥じた。むやみやたらに自分が持っていないものに妄想を抱くのは厳に慎むべきだと。

普段からこんなことばかりではないだろう。しかし、人間は自身が追い詰められて精神的に余裕がなくなった時に本性が出るものだ。所詮自分が一緒に仕事を進めようとしていた相手はこの程度なのか、そう思ってしまうと何とも虚しく感じることだろう。場合によってはもう誰も信用できなくなってしまうかもしれない。

自粛厨や一律な他人への強要は良くない

早くも今年の流行語になりそうな予感がする「自粛」というパワーワード。3月以降何度この言葉を聞いたことか。そんな中でやはり現れたのは自粛厨という、自粛を他人にも強要する同調圧力をかける人たちである。

同調圧力は私が最も嫌いな言葉の一つであるが、今回の件に関しては単純にこの同調圧力に対して批判ばかりはできない。なぜなら自粛をしていればウイルスの感染拡大は少なくとも大幅に減らすことができるから。

でも、相手の立場も懐状況も何も考えず一方通行で自粛!自粛!と叫ぶ奴らはやっぱりおかしいと思う。自粛を唱える奴がどういう奴なのかは分からないけど、ウイルス根絶を最優先にしているあたり、さして自身の生活には苦が生じていない人が大半ではなかろうか。そんな奴らがフリーランスや自営業の切羽詰まった経営状況や生活苦を想像することができるとは到底思えない。とにかく自粛すれば良いという自分の正義を他人に押し付け、ちょっとでも営業する店や外出移動する人々を徹底的に叩き潰し、したり顔をしているのだろう。

冷静になって考えたいこと

既に当ブログで何度も言っていることになるが、私は自分と他人は別の考えを持っていて100%分かり合えるなどということはあり得ないと考えている。例えそれが家族、恋人、どんなに親しい友人であってもだ。でも、30%しか理解できなかった相手のことを60%の理解度に高めることはできると思う。今回の自粛厨は自分の意見を相手に100%押し付けようとしているからおかしなことになるのだろうと私は思う。

自戒も含めてだが、こんな時だからこそ相手の立場や相手の価値観に寄り添った考えを持つようにして欲しいし、自分自身も改めてその部分が欠落していないかを省みないとならないと感じている。それができれば、自分の考えを相手に押し付けたり行き過ぎた価値観や正義を振りかざすことはなくなるだろうし、そんなことはできなくなると思うのだ。

 

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今週のお題「2020年の抱負」

今週のお題「2020年の抱負」

明けましておめでとうございます。

今年2020年もよろしくお願いいたします。

 

昨日2019年の振り返り日記にも2020年の目標を書いたが、今日もやることがなく暇なので今年の目標をもう少し具体的に考えて書いてみたい。

体調不良による有休をゼロにする

なんだよそのなんでもない目標は、と思われる方もおられるだろう。しかし、よくよく自分自身を振り返って欲しい。昨年中に一度も体調不良を起こさず、会社や学校を皆勤したという方はどれだけいらっしゃるだろうか。私の周りでも多分半分ぐらいの人は皆勤できていなかったと思うし、私自身も年末の最後にインフルにかかってしくじってしまった。

久しぶりに体調を大きく崩して再認識したのは、やはり健康でいられることのありがたさである。人間は失って初めてその失ったものの大切さを身に染みて思い知るというが、まさにそのことを実感せずにはいられなかった。

朝心地良く目が覚めること、お腹いっぱい飯が食えること、自分の意志で足を動かして行きたい場所に移動できること。これらは当たり前に思えて実は健康でなければ成り立たないことなのだ。

だから、どんな時でも自分の健康や体調と相談しながらやるべきことを考え、常に身体と対話しながら行動することが本当に大切だと感じている。健康をできるだけ維持して目の前のことを楽しむためにも、食事、睡眠、運動はある程度のバランスを取って生活したいと思う。

資格取得&勉強の継続

資格勉強は本当につまらないものだが、やはり完全に無下にすることもできないと思い直している。今年できれば取っておきたいのは、ウェブデザイン検定の3級と2級だ。現状、過去問だけ購入して勉強開始していないが、少しずつ始めていきたい。ただ、エンジニアとしてこの程度の勉強量だと明らかに不足している感はあるので、資格取得は目指さないけれど他のジャンルの資格も色々勉強していくかもしれない。この辺りは今後短いスパンで流動的に変わっていきそうな予感がする。

それ以外はドットインストールを参考にウェブアプリづくりをランダムにやっている。やはり自分のスキルではまだまだ通用しないし、知らないことがあまりにも多すぎると感じる。もう少し知識があった方が仕事がやりやすくなるし、何より話が分かれば仕事がもっと楽しくなるだろう。会社に貢献するというよりは、自分自身が仕事を楽しむために勉強しているという意識が圧倒的に大きい。それが結果的に会社の業績につながれば良いというスタンスでやっている。あくまでベースは自分に置くという意識は忘れないでいきたい。

レーニングでの目標

レーニングを始めて3年と少しが経過している。基本的には週3回1回1時間程度のジムでのトレーニングを継続している。今後も週3でトレーニングできるかどうかは微妙だが、できる限り継続できるようにしたいと考えている。

レーニングは大会に出るためではなく、なんとなく続けているだけ。単純に鍛えることが楽しいから。よくいろんな人に「何を目指しているのか」と聞かれるが、これは返答に困る質問No1である。単純に楽しいからやっている、それに尽きる。

たとえば、映画を見るのが好きで趣味で週2回映画館に通っているという人に対し、あなたは同じ質問をするだろうか?つまりそういうことである。

話が逸れたが、具体的な目標としてはベンチプレス100kg×5、スクワット130kg×8、10kg加重懸垂×10できるようになることを目標としたい。そのためにはパワーを付けて今より少し体重を増やす必要があるだろう。また、重量をアップするためのトレーニングメニューをもう少し真剣に検討して試行錯誤を繰り返す必要がある。

おわりに

昨日時点で思い浮かばなかったけれど今日少し浮かんだ目標を羅列してみました。あなたにも今年中に達成したい目標の1つぐらいはあるはずです。その目標をできるだけ達成できるように、そこそこ厳しくそこそこにユルく目標に向けてお互いに頑張っていきましょう。あ、もちろん楽しむことは忘れずに。

 

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2019年の振り返り日記

最近はブログの更新頻度が減ってしまい、久しぶりの投稿となる。

転職して以来、割と毎日それなりに満足な生活を送れているため色々な愚痴が出てこないのが原因かもしれない。それは私にとってはとても良いことなのだが、ブログのネタ作りという点においては少々物足りなくなってきている感もある。そんなことをふとした時に感じる。

2019年の振り返り報告

早速だが、昨年当ブログに書いた今年の目標を振り返っていきたい。

早寝早起き

2018年までは平日は1日6時間寝て休日に少々寝だめをするということで毎日何とか乗り切っていた。その平日の睡眠時間をせめて7時間程度に増やそうと思っていた。

現実としては、23時過ぎに布団に入り6時20分ごろに起床するという平日のルーティンが少しずつ確立していった。ただし、23時に布団に入っても睡眠に入るまでに10分以上かかったり、寝る前にストレッチをしたりしてなんだかんだで時間が経ち、入眠するのは23時30分前後だったように思う。なので、睡眠時間は7時間より少し少ないくらいだったはずだ。

ただ、昨年より長く睡眠を確保するという目標は概ね達成できているので、この点は今年の目標をなんとか遂行できたといえそうだ。

体重を2kgぐらい増やす

体重はあまり増えなかった、というより全く去年と変わっていない。もともと小食でハードゲイナーというのもあるけれど、やはり食べるのが辛いことに変わりはなかった。

目標は身長-体重の値を100ジャストぐらいにすることだったが、今時点では103ぐらいで若干体重が軽いという現状です。

職場に慣れる

4月の異動で炎上プロジェクトから解放され、新しいビジネスを創出する部署に配属された。新規でビジネスを作っていくという新鮮さや楽しさと共に、数字を意識しなければならないというプレッシャーも感じるようになった。ようやく仕事らしい仕事もやらせてもらえ、職場での足固めが進んだ1年だったように思う。

社外常駐というようなこともなく基本的には社内で仕事をやらせてもらっているので、会社のこととかもよく知ることができたし、そういう意味では職場に慣れることはできてきたと個人的には感じている。

新しい働き方を模索する

会社以外の食い扶持を自分で探すということだが、今年は一件だけクラウドワークスで契約して仕事をした。単純なライティングの仕事だったが、契約や報酬に関するルールがどのようなものなのか、少し知ることができた。

ただ、今年の途中から今のメインの仕事を中途半端にしたくない気持ちが芽生え、会社の仕事に関連する技術の取得や勉強をしようと決意した。そのため、現在は副業はほぼ何もやっていない。今後5年ぐらいは目の前にある仕事や関連するスキルの取得に全力を注ぎたいと考えている。副業はその後でも遅くない。

また、会社的にはテレワークや在宅勤務なども推奨されており、今年からかなりその制度を利用させてもらった。ネットさえつながれば会社に行かなくても仕事ができるというはとても魅力的だし、通勤がなくなる分ストレスフリーな働き方だと感じた。テレワークは今後もできる限り取り入れていきたい。

2020年に向けて

2020年の目標としては、今年達成できなかった体重を増やすという目標と、ベンチプレスを100kg5回程度でセットを組めるようになることを挙げたい。その他の具体的な目標はほとんど考えていない。一つ言えることは、今目の前にあることに対して全力で取り組んで楽しむということぐらいだろうか。

最近よく思うのだが、結局「今」を楽しめない人は何をやっても楽しめないのだと感じる。将来のために今やりたくもないことを嫌々やるという人は相変わらず多いようだが、そういう生き方は楽しくないと思うし、やるなら楽しい方が人生幸せなはずだ。もちろん、ある程度我慢が必要な時もある。でも無理することはない。

だから、2020年も今年と変わらず、目の前にあることに対して全力で真摯に向き合いながら毎日過ごしていければ、最高の一年になると確信している。

 

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【JavaScript】配列の値を削除するときに注意すべきこと

プログラミングの勉強がてら、JavaScriptで自作のwebアプリ的なものを作るようになりました(今のところただの自己満アプリです。。)。

今回は配列の要素(中身)を削除するときに注意すべき点を学んだので、備忘録としてメモ的に紹介します。

プログラミング初心者(IT業務従事者がこれを言ってはいけないはず。。)の戯言と思って読んでいただければ幸いです。

 

削除しないで普通に配列を取り出す場合

まず、以下のような配列があるとします。

f:id:rk-baryo:20191202220421p:plain

これはごく普通の配列で、中身に文字列の「いち」「に」「さん」を格納しているものですね。

次にこの配列をforEachを使って順繰りにコンソール出力してみます。

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出力結果は以下のようになります。

f:id:rk-baryo:20191202220648p:plain

この場合、コードと出力結果を見て納得できる方が多いと思います。

deleteで配列要素を消すとどうなるのか

次はこの配列の中の要素を一つ削除してコンソール表示します。

delete 配列名[index]とすると、配列の該当indexの要素を消すことができます。

以下では、array[1]とし、arrayのindex番号1番目、つまり「に」のデータを消しています。

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出力結果は以下のようになります。

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はい。「に」 が消えました。しっかりdeleteできているようです。ではこの時点で配列の長さはどうなっているのでしょうか。array.lengthを見ます。

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要素を一つ削除したにも関わらず、配列の長さは2に減っていないで3のままです。

実はこれが原因で配列のループがうまく回らずに半日近く悩んでしまいました。

色々と調べてみると、どうやらdeleteは配列要素を削除するけれども、中身を「undefined」にするだけで配列の長さは変えないらしいということが分かりました。

上の図では「に」がなくなり、あたかも配列の長さも変更されたかのように見えますが、lengthを取って確認するとそうでないことが分かります。これは知らないと結構ハマるかもしれません。。

長さも変更された配列を取得したいときは

実際には要素をdeleteしたら配列の長さもその分消したいというのが本来の目的だと思います。これを達成する手段は2パターンほど思いつきます。

①splice()を使う

array.splice()を使う方法があります。試しに、先ほどのコードをdeleteではなくspliceで削除したいと思います。

※spliceについて

https://developer.mozilla.org/ja/docs/Web/JavaScript/Reference/Global_Objects/Array/splice

spliceを使って削除

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↓ 出力結果

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ちゃんとlengthが2に減っているのが分かります。本来欲しかった動作が達成できました。

②delete()とfilter()を組み合わせて使う

filterで特定の条件の要素だけで配列を作り直すことができます。

※filterについて

https://developer.mozilla.org/ja/docs/Web/JavaScript/Reference/Global_Objects/Array/filter

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↓ 出力結果

f:id:rk-baryo:20191202223816p:plain

こちらもspliceの時と同様に処理されていることが確認できます。

所感など

今回の記事では配列の要素を削除する方法について少し紹介しました。

今回は普通の配列データを例えて行いましたが、実際にはjson的な中身を持つ配列や連想配列など、色々な配列が存在し、それらに対する処理の仕方はかなりたくさんあるはずです。私もまだまだ勉強中で全然知らないことだらけです。

今回はdeleteという方法が悪いように聞こえるかもしれませんが、配列の要素数はループ処理に影響するため、配列の要素数を変えないで値だけ消したいケースもあります。その場合はdeleteの使い勝手が良いでしょう。

新しく配列の長さも作り直したい場合、index番号が明確に分かるのであればspliceが簡潔な置換方法だと思います。ただ、index番号が分からず、こんなデータを持っているデータは削除したいよ、という場合にはdelete&filterが役に立つのかもしれません。

 

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好きなことなら時間を忘れて没頭できるというのは本当か

没頭したこと、ある?

人間であれば誰しも本当に自分の好きなことに没頭した経験があると思う。まあもちろん没頭したことがない人もいるかもしれないけれど。

それは趣味であろうと学校の勉強であろうと仕事であろうとなんだっていい。没頭していると時間があっという間に過ぎてしまう。それだけ楽しいから時間が速く過ぎてしまうということなのかもしれない。

特に私が思うのは、仕事に対して没頭できる人は本当に幸せだと思う。私も仕事や仕事がらみの勉強をしていて没頭できることはしばしばあるが、いつでも没頭できているかというとそうでもない。なんとなくダラダラ過ごしてしまうこともあるし、そんなことをしているときは時間が勿体ないと感じてしまう。

「定時に帰る=没頭していない」なのか?

さて、私は今年の5月ぐらいに所属部署が変わってからほとんど毎日定時帰宅を敢行するようにしており、現在も継続中である。またこれからも継続していくつもりである。正直、初めは定時に帰ることに対して周りの目を気にしたこともあったが、今はもうほとんど気にならない。ある意味、定着しつつある状態といえるだろう。

ただ、定時帰りを続けていて自分の中である疑問が湧き上がってきた。それは、好きなことなら没頭して時間も忘れるぐらいのめり込めるのであれば、定時に上がるように調整している時点で自分は仕事に没頭できていないのでは、という素朴な疑問である。

無論、今の仕事も会社も会社の人間も好きである。でも、その好きな仕事に対してある意味没頭せず、定時上がりという制限をかけている自分に対してこのような疑問が湧いてきたのである。

好きなことでも8時間やれば十分じゃないか

私はこの数か月間、この疑問について自分の中でしばしば考えてきた。そして、最近一つの考えにたどり着いた。それは、残業なしでも一日一週間の大半の時間を仕事に費やしている、という考えなくても分かる当たり前の事実である。

私は小学生くらいの頃にテレビゲームやゲームボーイにハマっていた時期があり、文字通りゲームに没頭していた。親からよく、ゲームは一日に1時間までにしなさい、という約束を強引にさせられてうんざりしていた。でも両親は普段の日は仕事に出ているので、学校から帰ってきから両親が帰宅するまでの間、両親にバレないようにゲームをしまくった時期が多々あった。裕に3時間は超えていただろう。だが、3時間近くやると集中力が落ちてきて、ゲーム自体に少し飽きてくることに気が付いた。あの大好きなゲームでも一日に3時間もやれば私にとっては十分だったのである。

そんな少々飽きっぽい私だから、仕事を毎日9時-18時でやるというのは私にとって十分すぎるぐらいの活動量なのである。だから、必要でもないのにその上に残業というのはやはり私にはやっぱり不要なのだと気付いた。その残業の時間を他の好きなことに使いたいというのが正直な気持ちだ。

だから私は今日も明日も来週も来月も来年も定時に帰り続けるだろう。

 

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今週のお題「運動不足」

今週のお題「運動不足」

健康診断の血圧検査に引っかかった

私は特に運動不足を自覚していない。仕事が休みの日は大体ジムでしっかり汗を流しているし、マラソン大会だって参加しているし、趣味でボウリングを定期的にやったりもする。最近では格闘技に興味が出てきて道場やジムを探し始めているところだ。だから基本的には健康体だと思っている。

しかし、先日健康診断で高血圧と判定された(150/80)。食事も塩分を過剰摂取しているつもりはないし、睡眠だって最低限は取れているつもりだ。だけど血圧だけは高校生の頃ぐらいから高かった。17歳頃に人生で初めて測った血圧で上147をたたき出した記憶がある。私の父親も高血圧なので、それが遺伝したとしか考えられない。

現在私は20代後半だが、昼ご飯にゴマ麦茶を飲んだり会社の保健師との面談を行って現状や通院状態を報告したりと、定期的な管理を受けなければならいことに若干の戸惑いを感じている。

運動ってなんのためにやるの?

私は筋トレが好きで3年ぐらい前から続けている。そのおかげで体重も10k以上増加し、体温が0.5℃上昇し、冷え性の症状が和らぎ冬にしもやけになることがなくなった。本当に良かったし、この面では健康的になれたと思っている。

だけど、私は健康のために筋トレをやっているのではない。単純に筋トレが楽しいから筋トレを続けているに過ぎない。むしろ、筋トレをやるための健康ぐらいは保持していたいというスタンスだ。

多くの人は健康でいたいという目的があってそれを達成するために運動をするのだと思う。例え嫌々でも運動をすることが健康につながると思っているからだろう。適度な運動であれば定期的に運動をした方が健康でいられるし、体の不調が少なくなるというのは間違いないことだ。しかし、体を動かすことそのものがストレスの人たちにとって、それでも運動をした方が良いというは果たして正しい考えなのだろうかと疑問に思う。

最終的な目標が長生きすることであれば運動したほうが良いのだろうが、今を楽しく過ごすという目的により重きを置く人たちにとって、苦痛な運動を続けることが本当に意味のあることなのか。

運動するもしないも個人の自由じゃん?

世間の人間は定期的に運動しましょう、とかよく言ってくる。それが絶対的に正しいことのように。だけど、それが本当に自分にとって幸せにつながることなのかをしっかり考えた方が良い。健康でいたいなら軽い運動は定期的に行うに越したことはないが、それ自体がストレスになってしまうのは本末転倒だ。

ボディビルダーは日々激しい筋トレをしているが、彼らの食生活や運動内容は全く健康的とは言えない。むしろ、理想の体のために命を削りながら日々生きている。力士やラガーマンなど多くのアスリートでもそれはほぼ同じことだ。健康的でなくとも彼らはそれが好きだからそんなことができる。

だから、運動するしない、またどんな運動をするかには囚われすぎるのは良くない。本当に大事なのは、自分がどうしたいか・どうなりたいかということに尽きるのだと思う。

 

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今週のお題「夏を振り返る」

 

今週のお題「夏を振り返る」


8月が終わり、2019年令和最初の夏が終わった。今年の夏もほぼ例年と変わらずに過ごしていた。

夏だからと言って特別にすることもなく、普段通りの生活を送っていた。それは私にとってとても自然なことだ。

昨年に比べれば暑さはマシだったのか

今年の夏は梅雨明けがやけに遅く、7月の終わりあたりにようやく梅雨明けをしたという感じだったと思う。しかし、梅雨明けしたと同時に猛烈な暑さが襲い、それが8月の中旬まで続いた。

昨年は7月初旬に梅雨明けし、そこから7月いっぱい猛烈に暑いという状況だったが、今年はそれが少し遅くなったような感じだ。だが、暑さ自体は昨年ほどではなく、少し和らいだと思う。

それでも、40度を超える地域が複数出現するなど、年々確実に暑さが厳しくなっていることを思い知らされる夏でもあった。

このままあと何年か経てば、日本本土全体が温帯地域から熱帯地域になってしまうのではないかとすら思うし、今はその過渡期にあるのかもしれないと想像したりする。

真夏の旅行は北を目指すべきだと改めて反省する

今年の旅行は8月中旬の最も暑い季節に山口県下関市~福岡県を横断する旅行ルートを取った。途中で台風に遭遇してしまったのは不運であったが、それ以上に辛かったのは暑さだった。

ギラギラの太陽の下でのハイキングは多少なりとも命の危険を感じるぐらい多量の汗をかいたし、日焼けによって後日腕の皮が広範囲剥けてしまったりしたのはあまり心地良いものではなかった。

ハイキングの途中で、真夏にここに来たことを少し後悔したし、もう夏に南の方に行くのはやめようかなと本気で考えた。

国内であれば、夏はやはり北海道や東北の少し涼しい地域を目指べきなのかもしれないと感じた。

夏での楽しみを夏以外の季節にも

台風が通過した後、本日9/9もかなり暑くなった。2019年の夏は暦的には確かに終わってしまったが、まだまだ海は開いているし、ちょっと空気が良いところに行ってバーベキューだってまだできる。というか、やろうと思えばバーベキューなんて秋でも冬でも屋外で出来るではないか。3年前ぐらいに11月末にバーベキューをやったことを思い出しながら思う。
夏だからこそより楽しめることは確かにあるだろう。しかし、それらのうち大半は夏でなくてもできることだ。食材と火があればいつでもできるバーベキューなんかは良い例だ。

これからは秋がやって来る。読書の秋、食欲の秋、運動の秋などともいわれる。この夏にやりたくてできなかったことがある方も、秋ならではの楽しみを満喫したい方、これからやって来る素晴らしい秋という季節を存分に謳歌しよう。

 

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【下関福岡旅行記②】~関門海峡編~

本記事は下関福岡旅行記第2弾である。

関門海峡には人道トンネルがある

つい先日まで知らなかったのだが、関門海峡は列車でも車でもそして徒歩でも渡ることができる。それまでは列車が通っていることも知らなかったし、基本的には車で渡るものだと思っていた。徒歩で渡れるものであれば渡ってみたいと思い、今回の旅行で訪問することに決めた。

路線バスのバス停「御裳川」で降車すると関門トンネル人道入り口という看板がすぐそこにある。ちなみにこの近くには「壇ノ浦」というバス停もあり、壇ノ浦の戦いの戦場跡の広場もある。移動に余裕がなかったため、その写真は今回撮り逃してしまった。

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ここからエレベータに乗って地下55メートルに降りる。エレベーターは一般的な運搬用のエレベーターみたいな外見だった。(これも写真なし)。

エレベーターを降りる前に通行料金の支払いがあり、原付の場合は20円で徒歩の場合は無料だ。トンネル内では原付は手押ししなければならない。

エレベーターを降りて到着した広場が以下の写真。右のほうに下関のことが色々と説明されたボードがある。

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スタンプエリアがあり、下関側のスタンプを押すことができる。福岡に渡ったら福岡分の片割れのスタンプと合わせることでスタンプ全体が完成する仕組みになっている。私はこれに気付かずに別々にスタンプを押してしまった。

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トンネルの中を見つめる。長さは780メートル。いざ徒歩で本州を渡り福岡へ。

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トンネル内を進む。壁に魚の絵が描いてあったりして、少し涼しい感じがする。

また、お盆のシーズンで外が台風で暴風雨なのにも関わらず、地元の人がちらほらとランニングして汗を流す姿が目立つ。トンネル内は天候にも影響されないため、地元の人たちにとっては良いランニングコースなんだとか。東京で言えば皇居ランナーみたいなものか、とか考えながら歩き続ける。

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中間地点である福岡と山口の県境に到着。トンネル全長の780メートルの中の丁度半分の390メートル地点。そして地上からの深さが58メートルで歩き始めより3メートル下ったことになる。ここから福岡到着までもう半分歩き、再び3メートル上る。大きく一歩を踏み出しこの県境を超える。

余談ではあるが、海底の県境を徒歩で渡れるのは日本でもここだけらしい。

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福岡へ渡り、下関の入り口とほぼ同様の形で今度は地上へ向かう。そして地上に出た景色が以下の写真だ。

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海底を自分の足で歩き、先ほどまで海の向こうにあった陸地に到着できたことを感慨深く思う。そして、先ほどまで自分がいた海の向こうの陸地にも思いを馳せてみる。

しかし、地下を歩いている間に台風が接近したらしく外は大雨で風も強くなってきた。海が近いのでもしかしたら波が危険かもしれないと思い、足早にバス停に向かった。

その後、そして旅の感想

この後、目の前のバス停から門司港駅まで行き、門司港駅から鹿児島本線に乗って博多駅まで向かった。博多駅までの所要時間は大体90分ぐらいだっただろうか。台風で鹿児島本線が運休していたら移動手段がなく万事休すという状態だったが、本数制限ありで何とか動いていてくれて本当によかった。

普通の人からすればただトンネルを渡っただけで何が楽しいのか、と思うかもしれないが、到達目標にしてきた場所に実際に自分の足を運んで行けるというのは旅の醍醐味だ。また一つ日本を肌で知ることができたし、私にとっては価値ある旅になった。もう少し天候が良ければもっといろいろな景色が見られたと思うし、余裕もできて写真も撮れたかもしれない。残念といえばその点だが、何とか移動もできたし、トラブルに巻き込まれることもなく怪我することもなく無事に旅を終えられて良かったと思っている。

次の旅は和歌山の潮岬、または相島のリベンジ、あるいはトカラ列島の総なめ縦断、沖縄の与那国島八重山列島巡り、など色々行きたいところが尽きない。今から楽しみだ。

 

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【下関福岡旅行記①】~毘沙ノ鼻編~

サラリーマンの皆さんは今年の夏休みも佳境に差し掛かっていることと思う。私も例外ではない。

それはともかく、つい先日まで3泊ほど下関、福岡まで旅行に行ってきた。毎年恒例の一人旅だ。台風の影響で予定通りに目的地に到達できないなど多少の不満はあったが、概ね楽しい旅行ができたと思っているし、何より無事に帰ってこれてホッとしている。

旅のテーマ

今回の旅では以下の3つをテーマに掲げていた。

①本州最西端の毘沙ノ鼻を訪問する

関門海峡を徒歩で渡る

③相島で猫と戯れる

このうち①と②は達成できたのだが、③は台風の影響でフェリーが欠航していて断念せざるを得なかった。まあ、予定通りいかないからこそ旅は面白いという考え方もあるし、3つ目的をもって2つ達成できたのだから上出来といって良いと思う。

本記事では①の到着過程を紹介していく。

本州最西端の毘沙ノ鼻を訪問

前日に羽田空港山口宇部空港へ到着し、空港間バスで下関駅へ向かう。そしてカプセルホテルに1泊。

翌日、毘沙ノ鼻へ向かう。台風が来る直前の日だった。これから台風が来るというのが信じられないぐらいカンカン照りに晴れている。ちなみに、毘沙ノ鼻は下の地図あたりにある。

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今回はレンタカーを借りずに歩いていくと決めていたので、交通機関で行ける最寄りの吉母港というバス停まで向かった。

吉母港のバス停

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とにかく暑くて倒れそうな気分だ。そしてここから毘沙ノ鼻へ向けて一直線に歩き出した。片道約4キロの丁度いいぐらいのハイキングになりそうだ。

残り2.9キロ地点の看板

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田んぼと山の集落を越え、海沿いの道をずんずん歩く。汗で濡れたTシャツが絞れそうなぐらい汗が止まらない。

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海沿いの道を抜け、再び勾配のある山道へ。山道を少し上ったところで残り800メートルの看板が。このあたりで暑さでスマホが軽く故障してしまったのであまり多く写真を撮れなかった。また、真夏の一番暑い季節にこの地方を旅しようと思ったことを若干後悔しはじめたのがこの時だった。

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ようやく遊歩道の手前の駐車場まで到着。車で走れば一瞬だったのか。歩いてここまで来るのにペットボトル2本を飲み干した。替えのTシャツを持ってこなかったことを悔やんでいた。距離的には大したことないが、暑さと勾配のキツさにやられてしまった。

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遊歩道を渡り、ついに先端に到達。遮るものがなく焼けるような暑さだった。でもそれを振り払ってくれるぐらい最高の景色に出会うことができた。また一つ、先端を制覇した喜びを噛みしめる。

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所感

全体的な感想としては、先端までの道路がしっかり舗装された道なので、歩くのが困難などではないし、車で容易に駐車場まで行くこともできるので、到達難易度もそこまで高くないと思う。ただ、公共交通機関で行く場合、やはり吉母港のバス停から歩くことを強く勧める。鉄道の最寄り駅は梅ヶ峠という駅があるが、吉母港バス停の倍近い距離を歩かなければならないため、かなりハードになる。このルートを使っていたら私は途中でぶっ倒れていたかもしれない。また、真夏でなければ良いハイキングになると思うので、歩いていくこともおすすめだ。

 関門海峡については次の記事で紹介させていただく。

 

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