rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

自粛(自宅軟禁)状態の長期化による予期せぬ弊害について考える

お題「#おうち時間

首都圏を除く各県で緊急事態宣言が解除され始めている。また、首都圏も状況を見ながら来週中には解除する方針ということで、首都圏在住の私にとっては少し胸をなでおろすような思いがするところだ。

そんな中、非常に悲しいニュースを目にしてしまった。とある恋愛系リアリティ番組に出演中のまだ22歳の女性が亡くなってしまうという痛ましいものである。死因は現時点でまだ確定ではないかもしれないが自殺の可能性が高いという。ご冥福をお祈りする。R.I.P.

彼女はどうやらSNS上での誹謗中傷を苦にして自殺に追い込まれた可能性が濃厚とのことであった。それが事実という前提で捉えたとき、私は過去の自分自身を含め、会社でのパワハラを苦に死に追いやられた人々などと照らし合わせ、色々なことを考えずにはいられなかった。

ストレスの矛先が他人であってはならない

まず、現況の自粛生活が長引くにつれ明らかに人々が大きなストレスをため込んでいるのは間違いないと思う。外に行って遊べない、仲間と飲みに行けない、好きなことが自由にできない、でも仕事はやらないと生活できない、そもそも仕事がない。こんな状況でストレスが溜まらない方がおかしい。私もストレスはまあまあある。

でもそのストレス発散の矛先が自分ではない誰か他の人に向いてしまうのは非常にまずい。今回の件について、番組を見ていたわけでも彼女をよく知っていたわけでもないから詳細なことは多くは言えない。ただ、仮に自粛による人々のストレス発散の矛先が彼女への誹謗中傷の過激化という形で表れてしまったのならば、それは非常に残念なことだと思う。

自分の中で生まれるストレスは全て自分に対して向けられるべきだと私は思う。ゲームを長時間やったって、筋トレしたって、暴飲暴食しても酒に溺れても(これはあまりよくないが)その方がまだマシだった。なぜならそれは全部自分に返ってくるものだから、少なくとも自分以外の誰かを直接的に傷つける可能性はかなり低いからだ。

否定された側は否定する側が思っている以上に傷つく

これもよく認識しておくべきことだし、改めて自分にも問いただす必要があると感じた。やられた側はやった側が認識している以上に気にしたり、場合によっては心に傷を負ったりする。こんな些細なことぐらいとやっている側は思っていても、やられた側にとっては急所を突かれるほど痛かったりする。パワハラやセクハラはやられた方の感じ方で決まるというが、誹謗中傷も全く同様だし、上司による部下の叱責だってそうだ。

このことは私自身も過去に上司に叱責やパワハラの嵐を受け、身に染みていることだ。前も記事にしたが、正義の押しつけという正義マン議論にも関連する。何の気なしに相手をとりあえず否定してストレス発散するのは本当に労力と手間が勿体ないし、そこからは何もポジティブなものは生まれない。

自分も周りへの言動をもう一度見直し、無意識に相手を批判するようなことをしていないか、傷つけることをしていないかという視点を常に持てるようにしたいと改めて感じたし、そうあるようできるだけ努力しないといけないと感じている。

 

adios