rk-baryoのゆるっと日記

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【高校野球】佐々木投手の登板回避について思うこと

注目した背景

今年も高校野球が開幕する。7月中は全国各地で予選が行われていた。その中で1つ注目されていたのが、岩手県大船渡高校の佐々木朗希投手についての話題だ。高校生ながら160キロの剛速球を投げる怪物ぶりはやはり大谷翔平選手を彷彿とさせるものがあるし、当然のようにメディアやプロ球団などから注目される。そんな佐々木投手が岩手県大会の決勝で登板しなかったことにより、チームは負けて甲子園本大会に出場できないこととなってしまった。登板の回避は、準決勝までの佐々木投手の投球数を考慮した上での監督の指示によるものである。これに対して様々な意見が出ている。「なんで決勝で登板させないんだ」とか「甲子園の出場がかかった大事な試合で登板させないなどあり得ない」という意見がある一方、「将来を考えて怪我のリスクを回避するための適切な判断だ」などの意見もある。

ちなみに私は去年、ピッチャーの連投などに対する意見をブログに投稿している。

rk-baryo.hatenablog.com

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登板しなかったのは正解だと思う

私は決勝で登板させなかった監督の判断は正解だったと思う。理由は、怪我をしては元も子もないから、ということに尽きる。ヤフコメやTwitterでの投稿をランダムに見た限り、世間の過半数以上は私と同じ意見なのではないだろうか(そう信じたい)。だが、やはり意見の違う人は存在する。今日の朝たまたまTwitterで見かけた記事が非常に胸糞悪かった。

headlines.yahoo.co.jp

この記事によると張本氏は、「スポーツは怪我をするのが宿命。だからそこから逃げているようでは成長できない」というな主旨の意見を持っているようだ。ちょっと拡大解釈すると、「俺たちは苦労したんだから、お前らも苦労しろ」と苦労の押し売りをしているように聞こえなくもない。根本にある考え方がブラック企業と類似しているし、もはや老害としか言いようがない。本来怪我を回避させる責任を持つ指導者が怪我することを推奨してくるのは異常であると考える。
この記事で張本氏が主張している意見は昔ながらの根性論・精神論でしかない。あなたの時代はそれで活躍できたかもしれないが今はそういう時代でないこと、自分やあの人ができることはお前も誰でもできるでしょ?という価値観の押しつけであることが分からないのか。人によって骨格、筋力、腱の強さ、体の柔らかさ、怪我のしやすい部位などが全く異なるということすらも分かっていない。だから「お前も当然できるだろ?」という発言が出てくる。多様性がより重要視される中で時代からの逆行も甚だしいと私は思う。

批判ではなく理解し合う努力を

もちろん張本氏をはじめとする、「登板させるべき」という意見を全否定するつもりはない。それこそこちらの意見を押し付けることになってしまうから。大事なのは、色々な人がいればその数だけ考え方や行動方針などがあるということだ。そして、その全てが尊重されてしかるべきということだと思う。
だから、今回監督が下した大切な選手のこれからの選手生命を尊重したという判断を理解してあげるべきだと私は思っている。たとえ私が反対の意見を持っていたとしても、そうすべきだと思う。

 

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