rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

頑張るということ、ポリシーを貫くということについて

自分のポリシーは大切にすべき

人は誰しもどんな場面においても自分なりのポリシーを持って生活しているものだと思う。私の場合で言えば、仕事において可能な限り効率的に時間外労働をせずに日々をやり過ごすように工夫する。その他日常生活も含めると、人によって態度や接し方を変えないこと、相手の発言や価値観を否定しないこと、他人の意見は参考にしつつも、最終的には自分がやりたいことという尺度で行動を決めていく、頑張りすぎないこと、などがある。

そして、これらは自分の中のポリシーであると思っている。ポリシーとは、政策、方針のことである。我々は生きていく中で様々な問題や困難にぶち当たることがあるが、その際に自分がどのように決断して行動していくかどうかのヒントになるのがポリシーであると考える。そのため、基本的には何が起ころうとどんな状況であろうが、ブレずに自分が決めたこれらのポリシーに沿って行動していくことこそが筋を通すということであり、自分らしく幸せに生きるための行動となるのである。

ポリシーを貫く=頑張るということなのか

最近、自分のポリシーを守るために頑張っている自分をふと発見することがある。例えば仕事をしていて作業に集中できている状況が続き、定時を過ぎてもまだまだやれそうな気分にあるとき、それでも自分の中で定時にはその日の仕事を止めるというポリシーがあるため、強制的に終了することにしている。そう、私は定時に仕事を止めるということを頑張って実行するようにしている。

これはポリシーを貫くという意思での行動ではあるのだが、「ポリシーを貫くために頑張るという」行為が「頑張りすぎない」というポリシーと相反するものだと最近になって気が付いた。頑張りすぎないことを目指すのであれば、頑張ってその日の仕事を止めるのではなく、成り行きで少し落ち着くまで残業して仕事を続けるというのも一つの考え方かもしれない、と思う。このあたりの加減の仕方がまだ自分の中で確立されていないと感じる。

ポリシーを守りながらそれに固執しすぎないということ

ポリシーというのは物事に対する自分なりの指針や方針であるから、大原則としてそれらを守って行動するのが正しいことだし、常にそのように行動をしていきたいと思っている。ただ、それは同時に柔軟性を持った対応力に欠けるという大きな問題を抱えているということでもある。年齢を重ねるにつれて自分なりのポリシーを確立する人は増えるが、その分頑固で融通が利かないというのはあまり良く思えない。

自分のポリシーを明確化した上で、どこまでなら柔軟に対応できるのかをその時の状況によってなるべく適切に判断して行動できるよう、バランスを取りながら行動できるようになりたいものである。

 

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