rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

コロナウイルスの蔓延から一年経過して

2月も中旬となり、あっという間に季節が過ぎ去っていく。気が付けばもう春が目の前に来ている状況となった。時の流れはいつでも早い。

昨年のこの時期にどのように過ごしていたか思い出すと、そこそこの不安を抱えながら生活していたような気はするが、あまり詳細には思い出せないのが正直なところだ。この一年は生活面でかなりの変化があってそれに伴うデメリットはたくさんあったがメリットも少なからずあったのではないかと思う。

良かったこと

在宅勤務で体が楽になった

これは一番大きいかもしれない。毎日の時間の大半を占めているのが仕事であり、その仕事をする環境が通勤から在宅に変わったことで、より多く睡眠時間が確保できるようになった。それまでは毎日少しずつ睡眠負債をため込んで週末に少しずつ返し、でも返しきれないような日々を送っていたので、在宅勤務中心になって睡眠が毎日しっかり確保できるようになったことは健康面で非常に大きな利点となっている。

自分に必要なものが分かるようになった

不要不急なエンターテインメントが排除される中、自分に本当に必要な娯楽や趣味が明確になった。例えばコロナ流行前までは旅行が趣味であったが、蔓延してから全く旅行に行っていない。旅行に行かないことで感じるストレスもほとんど感じないし、身の回りに神経を遣いながら旅行するぐらいであればしない方が良いとすら思ってしまう。

このように、コロナ流行前までなんとなく継続していたがその後疎遠になってしまったことが皆様にもあるのではないだろうか。本当に必要であればどんな手段を使ってでもそれを継続しようとするものであり、そこまで拘りがないのであればそれは自分には必要ないものということだろう。

家に籠って生活することに罪悪感が無くなった

旅行が好きとは言ったものの、基本的にはいつも家でゆったりしながら過ごすのが好きだった。だから、知り合いとか周りの人間が外で楽しそうに遊んでいるのを見たりすると、家に籠りっぱなしの自分に嫌気が差したり、外で遊んでいる人たちを羨ましいと思うこともたまにあった。だが、自粛期間を経てこの考え方が完全になくなった。むしろ、外に出ずに家に籠っている方が安全であるし、それだけで社会貢献につながるのだと思った。引きこもる自分を正当化する大きな動機付けになったことは間違いない。

悪かったこと

人との会話が減った

職場をはじめ外に出ることがめっきり無くなってしまったので、対面で人と会話をする機会が殆どなくなってしまった。電話やzoomでやり取りすることはあるのだが、顔が見えなかったり厳密にはリアルタイムのやり取りでないコミュニケーションのやりづらさや難しさを感じる。丸一日ほとんど他人と会話しない日もあり、そんな時は自分の声が出なくなっているのでないかと心配して無理して独り言を呟いて自分の存在を確認することもある。

なんとなく気分が前向きにならない

漠然とだが気分が前向きにならない日々が増えたような気がする。日々のニュースやメディアの報道などで入って来るのは八割以上がネガティブな内容のものであるし、一人で悶々と考えていても解決につながらない問題も多くあるのが原因なのだろうか。そんな時、職場の人とちょっと会話をするとなぜがかなり気が楽になったりすることもあり、やはり会話することは自分にも必要だと感じたこともある。

感染の恐怖に対するストレス

何をするにも今まで全く気にも留めなったことに気を遣わなければいけないストレスを感じる。前述の旅行にしてもそうだが、触るもの全てに対してウイルスの存在を意識しなければいけない世の中とは一体何なのだろうか。そんなことに気を取られていたら楽しい気分で旅行などとてもできない。手を洗いましょうとかうがいをきっちりしましょうとか、子供の頃から口ずっぱく教えられてきて潜在意識の中に刷り込まれてはいたが、正直大人になってからこれほどまでに神経質になるとは想像していなかった。手洗いや消毒をする度に私のHPがどんどん削られていく気がしてならない。

前向きに生きたい

改めて、なかなか明るい未来が見えない日が続いている。生活するうえで後ろ向きになってしまうことも多いが、気持ちだけは少しでも前を向いて明るい側面を見出せるように生活していきたいと思っている。消毒や手洗いはストレスではあるが、その分他の病気にもかかりにくくなるかもしれないという希望も持ちつつ、気持ちを新たに生活していきたいと思っている。

お題「#この1年の変化

 

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