rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

コロナ禍で改めて結婚式の存在意義について考えた

イベントが中止される世の中

ご存知の通り、コロナ禍において私たちの生活は短期間に大きな変化を遂げた。仕事では在宅勤務ができる人は在宅勤務が推奨されるようになり、大規模なライブや演劇などをはじめとするとするイベントは軒並み中止かオンライン配信されるようになった。日常生活においても、これまでほとんど意識することがなかった、人との距離感や会話時の飛沫に神経を削られる日々が続いている。まさに新型コロ助は人々の意識や価値観を根底から変えつつある。

そんな状況で3月以降、結婚式や葬式をキャンセルしたりというゴタゴタが起こっている。コロナ禍においては人が密閉された空間に多く密集するような状況が必然的に避けられてしまうため、このような冠婚葬祭という大切なライフイベントも例外なくその煽りを受けてしまう。そこでそもそも冠婚葬祭をこれまで通り行う必要はあるのかどうかということを改めて考える人も出てきている。中には結婚式や披露宴をオンラインで行うカップルも一定数いるという旨のニュースもしばしば目にするようになった。

結婚式の必要性について友人と話をして思ったこと

先日友人と話す機会があり、そもそも結婚式は必要なのかどうかという話題について軽く議論となった。友人は既に結婚しており、2年ほど前にそこそこ大掛かりな結婚式を挙げていたこともあり、結婚式はできればやった方が良いという意見を持っていた。それは、二人の記念になるからというだけではなく、お世話になった人たちへの恩返しや自分たちなりのこれからへの覚悟やけじめをつけるために必要だ、という考えが根底にあるという。

私は結婚していないし、まだ結婚する予定もないのでなかなか想像しづらいのだが、このような考えは毛頭自分の考えの中にはなかった。お金もかかるし思い出作り程度のイベントであるならば、コロナ禍である昨今においてなおさら結婚式など不要ではないかと思っていた私は、自分なりの信念をしっかり持った友人に対して何も言い返せなかった。やはり経験者の言葉には重みがあると思ったし、経験していない立場の自分が言い返せることなど何もなかった。

彼の意見もやはり正しいと思うし、結局は個人個人の考え方に終着するものだと思った。結婚は一人ではできないので二人で話し合って決めていくべきだと私も思うし、その中で出た結論が二人なりの価値観を生み出していくのだろう。

自分が大切にしたいこと基準で動く

結婚式やその他の冠婚葬祭のみならず、コロナ禍となり改めてその存在意義が問われているイベントや物事が増えている。その中には、強制的に無くしてみたら本当は不要だったものもあるだろうし、やっぱり必要不可欠だったというものもあるはずだ。それは考えなくてもひとり一人が日々生活する中で肌で感じていることだろう。生きる上で自分が本当に大切にしたいことは何か、それを問い続けることで一見存在意義が薄れてしまいそうなイベントが本当に自分に必要かどうかが分かるようになると思った。

 

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