rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

祖父母の本心は日記の中に

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

敬老の日ということで祖父母について思い出しながら語ってみたい。

祖父母の本心が分からなかった

私の祖父母は7年ほど前に全員この世からいなくなってしまった。それまでほぼ毎年のように夏休みに帰省し、2泊から3泊程度宿泊させてもらっていた。子供にとって祖父母と触れ合える時間は有意義でもあり、当然祖父母も孫と触れ合えるのは楽しいことあり、帰省することは祖父母にとってもメリットしかないと思っていた。ある意味ではそれはもちろん正解であり、孫の顔を見て喜ばない祖父母はほとんどいないだろう。しかし、祖父母の立場になって考えてみると、年に一度とは言え孫を含めて息子家族が自分の家に大勢で押しかけてくるのはまあまあ気が重いのではないかと思う。その数日は要らぬことに気を遣わなければならないだろうし、少なからず普段の自分たちの生活リズムを崩される要因となるだろう。

だから祖父母が亡くなった後、家にあった大量の荷物を整理する中で祖母の日記を見つけ、その中に「息子夫婦が帰省してくるのは嬉しいけれど面倒だ」という旨の記述を見つけた時、やはり私たちは祖父母の本心には気付いてあげられなかったのだなと思うしかなかった。祖父母としても孫に会えるのは嬉しいとは思うが、毎年その行事が恒例となるにつれ、次第に楽しさよりも煩わしさや面倒臭さが先行していったのかもしれない。かといってもう遊びに来るなということはなかなか言い辛いだろうし、少なからずジレンマを抱えていたのだと思う。それを日記の中で自分の本心として綴り、気持ちを整理していたのだと思う。意見を言えばお互い分かり合えるというのはある程度はそう思うが、やはり身内とは言え言い辛いことはたくさんあって、そのようなことも含めて互いを分かり合っていくのは本当に難しい。祖父母の日記を読んで私はそう思った。

喧嘩をする相手がいることは幸せ

少なくとも私たちが訪問している時、彼らはほぼ毎日大声で口論をしていた。洗濯物の干し方が汚いとか、ゴミが落ちているとか、飼い犬がドッグフードを拒否してクリームパンやアンパンばかりねだることに対する文句とか、本当にくだらない日常の些細なことばかりだった。しかし最初に祖父が亡くなり祖母だけ取り残された後、祖母がそれまで喧嘩ばかりして目の敵にしていた祖父についての思い出を語りながら涙する場面を見たりもした。祖母のそんな姿を見るのは初めてだった。いつも喧嘩していたがなんだかんだでお互いを必要としていたのだなということが自然と伝わってきた。失って初めて大事なものが分かる、というのはまさにこのことなんだろうとこの時私は思った。

祖母は祖父につられるように祖父が亡くなってから1年半ほど後に亡くなった。祖父が早くに亡くならなければ祖母ももう少し長生きしていたのではないかなと思ったし、口論でも喧嘩でもできる相手がいるのはある意味では幸せなことだったのではないかと今私は思うのである。

 

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