rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

平成を個人的な視点で振り返る

今週のお題「平成を振り返る」です。

私は平成生まれです。平成に生まれて平成の世の中しか体感したことがないのです。だから、来月から令和という新しい時代を迎えるというのはなんだか不思議な感じがします。でも、平成であろうが令和になろうが、その瞬間に自分の目の前の世界が劇的に何か変わるわけではないし、時代がどうであれ僕らのやるべきことは変わらないのでしょう。そんなことを考えながら、私の今までの人生と共にあった平成という時代の思い出を振り返ってみたいと思います。

家族観

生まれたときの記憶はないが、小さい頃の記憶は少しある。あの頃私の家のテレビはブラウン管だった。そのテレビがある小さな家に親戚が所狭しと集まり、自分を見てみんなが笑顔になる光景を思い出す。なぜか自分といると皆が幸せそうな顔をしている。
それから30年近くたち、今の時代の同じような家庭でどのくらい似たような光景に遭遇できるだろうか。技術の進歩によって皆が同じ場所に集まる必要がなくなった。人が集まって何かをしたければ今はSkypeなどで顔を見ながら話もできるし、違う場所に居ながら同じ瞬間を共有することだってできる。技術は着実に進歩しているし、今の僕らの周りの生活や常識だって刻々と変わり続けている。すごい時代だ。

仕事観

モーレツ社員や企業戦士が活躍した昭和の時代。それが原因で過労で亡くなる人も多く発生したことから、これらの代わりに社畜というパワーワードが生まれたのが平成であった。前者がポジティブに捉えられがちなのに対し、社畜は完全に働きすぎを揶揄する言葉として平成の時代に定着した。世のサラリーマンが最も忌み嫌うべき言葉となりつつある。
また、ネットの普及でyoutuberやブロガーなど会社に属さなくても生計を立てていける人が急増した。そのような中で会社という組織の存在意義は確実に薄くなっている。人生における仕事の選択肢が急激に増加した時代だった。そしてそれは今も続いている。

人生観全体

仕事の選択肢が急増したため、人生の選択肢も多様となった。いい会社に就職して結婚してマイホームを持って子供を2人か3人育てる、という今まで理想とされていた人生マップはもう過去のものでしかない。本当の意味で自分にとっての幸せとは何かを追求できる時代になったともいえる。環境の変化を受容して多様な価値観に理解を示す人もとても多くなったと思う。

ゆとり世代から次の世代に伝えたいこと

今は平成が始まった30年前よりも遥かに自由な時代となった。それは生き方の選択肢が非常に多様になったということだ。だが、同時にその中から何を選択すれば良いのかを自分で考えて決めなければならなくなった分、難しくなってしまった側面もある。そういう意味では生きづらい時代なのかもしれない。

人は誰しも自分にとっての幸せを追求するために生きている。それは親も学校も教えてはくれない。自分で見つけ出していくしかない。だから、自分が本当に心の底からやりたいと思うこと、楽しいと思うことをやって欲しい。自分が正しいと思ったことは他の誰が何と言おうと貫き通してほしい。平成のゆとり世代の一人として、次の世代も大いに応援したい。

 

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