rk-baryoのゆるっと日記

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「人間の三大欲求」という概念について語る

こんばんは。寒い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。寝る前の毎日の布団と年末年始の休みが恋しいrk-baryoです。

 

人間の三大欲求とは

突然ですが、人間の三大欲求といわれる概念があることをご存知でしょうか。

食欲、睡眠欲、性欲といわれるもので、人間が生きていく上で必要不可欠になる欲求のことです。人間誰しも生まれてきたからにはこれらの欲求があるということです。

この概念は心理学者のアブラハム・マズローが唱えた「自己実現論」にある人間の5段階の欲求とも似ていますが、それをもっと大雑把に定義した概念です。

 

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人間にはもう一つ大事な欲求があると思う

最近というか常日頃から私は考えています。自分という人間がこの世に生を受けたからには、何を全うしてどんな人生を送るのが最も自分にとって幸せなのだろうか、と。

それを知るべく、イメージしたのが幸せを感じていないときの自分の状況です。

幸せを感じる時があるのであれば当然不幸な時もあります。逆に言えば、不幸な時のようにならないようにすれば幸せになれる、とも言えると考えたのです。浅はかですが。

 

そこで真っ先に思い浮かんだのが仕事で辛い思いをしていた時の数年前の自分の姿でした。その時に感じていたストレスは自分にとっては耐え難いものがありました。

 

話を元に戻して結論から言うと、過重なストレスがかかっていない状態=(非ストレス欲)というのが人間の三大欲求に追加され、人間の四大欲求となるべきではないかと個人的には思うわけです。

 

ストレス過多の状態では生きていけないから

三大欲求とは、基本的には”無いと生きていくうえで支障をきたすもの”に対する人間の欲求である、という理解をしています。

食欲、睡眠欲、性欲について、これらは生きていくうえでやはり確かに必要となります。食事や睡眠なしで生きていける人はいませんし、人間に性欲がなければ人類の繁栄もあり得ません。そう考えるとこれらの欲求は人間にとって必要なものだということが理解できます。

 

ストレスについても同様のことが言えるのではないでしょうか。

大きなストレスを感じて鬱に近い状態までなってしまうと、人間は自然に自らの命を絶つ方向に行ってしまうというようなことを聞いたことがあります。

私はここまで深刻になる前に逃走しましたが、こうなってしまっては性欲はおろか、食事や睡眠だってままならないような状態になります。

実際私が軽度の鬱だった時も、睡眠障害こそ起こらなかったものの、食事は何を食べてもほとんど味がしない、砂を噛み砕いているような感覚に陥ることが幾度もありました。重度の鬱になってしまえばどれだけひどい状態になるか想像するのはそんなに難しくありません。

 

こう考えると、ストレス過多により生命の危機につながる可能性があることから、非つそれス欲は”無いと生きていくうえで支障をきたすもの”(寧ろあると生きる上で支障となるもの)という欲求の定義を満たしていると思うのです。だから、非ストレス欲というのは人間が本能的に持っている、命の危険を回避するために必要な欲求だと思うのです。

 

前の職場の社長が「心なんて病気になるわけないから」と発言したのを聞いて、私は絶望し、同時にはっきりと悟りました。「この人の価値観の下で仕事をするのは無理だ。」と。

心だって病気になります。それは自分を破壊する行為につながることもあります。その怖さについては、誰がなんと反論しようと私は主張したいと思うのです。

 

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