今日は特別お題から、自分が考える「私の自立」について書きたいと思います。
大きく3種類の自立がある
私は自立には以下の3つの種類があり、それが全て達成されてこそ自立しているといえると考えています。
物理的な自立
簡単に言うと、親元を離れて一人暮らしなり配偶者と同居しているなどの状態を指します。例えば大学生で親に仕送りを受けながら一人暮らししている人なども物理的な自立をしているといえるでしょう。重要なのは親元や親戚から物理的に離れたところに居住しているということです。ですので、両親と同居しているという時点で物理的な自立は達成できていないと考えます。
経済的な自立
両親に扶養されているのでなく、独自に生計を立てて生活している状態を指します。例えば一人暮らしの社会人などは前述の物理的な自立と経済的な自立を両方達成しているということになります。反対に、大学生で親からの仕送りを受けながら一人暮らしをしている人は、物理的な自立は達成しているものの経済的な自立は達成できていないということになります。
精神的な自立
困ったら両親に頼るという精神状態を脱している状態を指します。生活していくうえで、住居の管理や役所への手続きなどが必要になる場面が多々あります。そんな時に両親に頼るのではなく、自分でわからないことを調査したり、時には見ず知らずの人に聞いて解決していくことができる人は精神的に自立できているといえると思います。
人はいつか必ず自立する
3種類の自立を見てきましたが、なんだか自立している人間がとても優れているように見えますね。だからと言って今自立できていない人がダメだという風には思いません。私自身もまだ自立しきれていませんが、いずれ自立する日は嫌でもやって来るのは分かっています。
両親から自立するということを自立の定義とすれば、人間は必ず自立します。だって両親が亡くなった後は一人で生きていく期間が生まれるのですから。両親より子である自分が長生きするという場合が圧倒的に多いと思いますので、そうなれば必ず自立するときは来ます。
だから、自立していない人間を批判したりするのはナンセンスだと思います。今自立できていない人でもやがては自立することになります。そのタイミングがちょっと早いか遅いかというただそれだけの問題です。
結局人間は誰かに支えられている
自立をどう定義するかの問題かもしれませんが、現代において人間は結局誰かの支えなしでは不自由なく生きていけないのです。
ですので、人に頼らないで生きていくのが自立だと考えているのであれば、誰も自立なんてできないと思いますし、そういう生き方は周りの支えに気が付かない愚かな生き方だと思います。
常に周りの支えを感じてそれに感謝しながら生活し、その中で自分の考える自立した生活を謳歌できれば人生は楽しいものになると思います。
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