rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

会食とか自粛とかについて最近思っていること

叩かれた飲食店

最近でも言われるが特に一カ月ぐらい前の年末、コロナウイルス蔓延の原因が会食や飲食を伴う接待にあるという話が広がり、飲食店のへの営業時間短縮要請や利用者はなるべく飲食店を利用しないようにしましょうということが話題にあった。厳密には多少異なるかもしれないが、おおよそこのような内容だったと記憶している。特に複数人で食事をすると多少なりとも会話をする機会が発生し、そこで飛沫感染してしまうのを防ぐという意図である。確かにそうかもしれないと思う反面、考えてみると納得できない部分もある。

飲食=悪ではない

そもそもの目的は感染を広げないということであり、それを防ぐためには飛沫感染を防ぐ必要があり、更にそれを達成するためにマスクをせずに会話したり長時間3密空間にいることを避けるということが大切になる。しかし、ここで言われているのはとにかく会食をやめろということである。実際はそういう意図で発信されていないのかもしれないが、受け取る側はどうしても「会食=飲食店=悪」という印象を持ってしまう。だが、実際にはそうではないと思う。

実際には「会食=飲食店=複数人で来店して騒ぐ=飛沫感染リスクが高い=悪」なのであり、一人で来店して会話をせずに黙々と食事を楽しむのであれば、少なくとも飛沫感染のリスクは限りなくゼロに近くなる。それがメディアの報道により「会食=悪」という極端な思想が植え付けられてしまい、会食と悪の間にある様々な要素を真剣に考えてリスクを判断することができなくなっている少数の人たちが徹底的に飲食店叩きをしている。

本来の目的を見直す

私もそこまで偉そうに言えるほど徳のある人間ではないが、物事の本質ぐらいはある程度見抜ける人間になりたいと思っている。外での会食が危険で家の中での家族との食事が危険でないということはあり得ない。一緒に食事をしている人間は異なるだろうが、やっていることは全く同様である。食事中に会話をすれば飛沫は飛ぶし、少なからず必ず相手の飛沫を吸っていることだろうし、そうすれば感染リスクは上昇する。また、会話をせずともウイルスが付着した手で何かを触り、その手で自分の目鼻口を触ればウイルスは体の中に侵入してくる。

とにかく飲食店が悪いという短絡的な価値観を刷り込んでくるようないけ好かないメディアに騙されないためにも、悪いと言われてる理由がどのように結びついているのかを考えられるようになりたい。多くの人が感染して医療体制も逼迫する昨今において、いよいよ自分の身は自分で守れるようにならないと危険を感じる。情報の受け手は正しく内容を咀嚼し、自分の行動に生かせるようにしたいものである。

 

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散歩をすることのメリット

年末年始にも少し触れたと思うが、最近週に3回程度散歩することを日課にしている。できれば就業前に朝日を浴びながら散歩をしたいのだがなかなか早起きが難しく、いつも仕事が終わって暗くなった夕方に散歩をすることがほとんどだ。

個人的に散歩を日課に取り入れたことで体調が改善した部分があったので、そのあたりの気づきを含めて紹介したいと思う。

体調を整えるために散歩はうってつけ

たかが散歩ではあるが、脚を使って歩くという人間にとってはごく当たり前の機会が大幅に減ってしまった現代において、散歩をすることのメリットは計り知れないと感じる。特に在宅勤務を行っているのであれば散歩をすることによる恩恵は絶大で、適度に疲労して睡眠を促進することにもつながるし、自律神経を整えることにも役立つ。特に朝少し早めに起きて朝日を浴びながらする散歩は体を目覚めさせて調子を整え、一日を気持ちよくスタートするためにも大切だろう。

とはいえ、朝に限らず夕方でも深夜でも良いので、現在何かしら体調が優れないとか毎日眠いと感じているのであれば散歩をしてみることが一つ改善策になるかもしれない。

「貯筋」することの重要さ

散歩を日課にすることで「貯筋」することができる。年を取ってきたときに真っ先に衰え始めるのが下半身の筋肉であり、加齢するごとに脚力はどんどん弱くなっていく。その結果、躓きによる転倒などの事故が多く発生して寝たきりになってしまうことにつながってしまう。ある程度の脚力があればこれを回避でき、脚力を衰えさせないことで長く健康寿命を保つことができる。

スクワットなどのハードな筋トレを行うことも悪くはないが、やはり多くの人はこのようなキツイ筋トレは敬遠しがちであるし、怪我のリスクもかなり高い。そこで日常生活に歩く=散歩という行為を追加することで、下半身の筋力の衰えスピードを低下させることができる。

外出し辛い世の中だからこそ散歩をするべし

現在では在宅勤務を行う人も以前より増えており、それまで当たり前のように行ってきた日常生活での運動をしなくなってきたことで、更に筋肉を使う機会が減ってしまっている。特に下半身の筋肉は使わないとすぐに落ちてしまうので、意識的に使ってあげることが大切になる。

1日10分程度を週2回、時間帯は自分の好きな時間帯ならいつでも大丈夫なので、体調不良などの心当たりがある人は散歩を試してみてほしい。ゆるく体に刺激を入れつつ、精神面での安らぎも得られるはずだ。

 

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今の時代にゲームをすることのメリット

最近任天堂スイッチを購入した。友人と会話しているときに桃鉄の話題になり、オンライン対戦ができるので一緒にやろうという話になった。年始早々少し高い買い物になってしまったが、スイッチの本体と桃鉄マリオカート8を購入して時間があるときに練習している。桃鉄に関しては早速オンラインで対戦もしてみたのだが、これがなかなか面白く、改めてゲームの楽しさを思い出したし、今の時代のゲームは自分たちが子供の頃にやったゲームよりはるかに進化したものとなっていることに驚く。

据え置き型からインターネット対戦への進化

まず、フレンドコードを知っていれば離れた場所にいても一緒に対戦が楽しめるということに時代の流れを感じた。私が最後にゲームにハマっていたのは小学生ぐらいの頃であり、外で遊べない日は誰かの家に籠ってひたすらゲームで遊んでいたことをよく覚えている。当時はインターネット対戦などという概念はなく、据え置き型ゲームを前に皆で集まって一緒にプレーするというのが普通の感覚だった。

私が高校生になる頃あたりにネットを経由した通信対戦ができるようになったが、当時はそこまでハマっているゲームがなく、一緒に楽しむような友達もいなかったので次第にゲームからは疎遠になった。しかし、それから十年余りで色々なゲームが発売され、映像の鮮明さなどもここまで進化したゲームがあるということを知り、またやってみようと思っている。

スイッチはテレビでもポータブルでもできる

スイッチの良いところは、テレビにつなげて据え置き型ゲームとしてもプレーできるし、ポータブルでゲームボーイのようにも扱えるという点にあると思う。従来ではテレビとポータブルで両方つなげられるものはなかったと記憶している。そもそもテレビがそこまで大きくなかったり解像度も低かったので、あまりテレビで行う価値もなかったのかもしれない。今はテレビもかなり大画面になっており、かなり臨場感のあるプレーを行うことができるようになった。

据え置き型とポータブル型は別のものであると思い込んでいたが、今の時代は両方で楽しめるということを知り、楽しみ方の幅の広がりを感じている。

特に意味のない時間をゲームに充てる

毎日やるべきことはある程度あるのだが、どうしてもダラダラしてしまう時間も発生してしまう。勉強をしようと思って少しスマホを見始めたつもりが、気付いたら30分近く経ってしまうこともある。その時間が全く無駄だとは思わないが、余計な情報をたくさん詰め込むぐらいならその時間をゲームをする時間に充て、日常の嫌な出来事などを一時忘れる時間にした方が有意義なのではないかと思うこともある。

ゲームをしていれば無駄に外に出て暇つぶしをするというような必要もなくなるし、屋内で出来る娯楽としてはこの上ないものだと思う。外出自粛が求められる中、もし家の中でやることがない場合はゲームをしてみてはいかがだろうか。

 

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【お題】こんな大人にはなりたくない

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

成熟した大人と聞いてどんな人物像を思い浮かべるだろうか。私は小学生ぐらいの頃、20歳ぐらいになったら妻子と家庭を持って幸せのテンプレートのような生活をすることを夢見ていた時期があった。当時は20歳ぐらいになれば世の中のことが大体分かり、博識且つ常識をわきまえた立派な大人になれると本気で思っていた。

しかし、現実は30歳を目前にした今でも実家に引きこもる子供部屋おじさんである。年齢を重ねれば重ねるほど、小さい頃に思い描いた大人になるというのは本当に難しいことだと実感する。それでも、20歳を過ぎた成人であれば社会で生きていく上で、次に挙げることは遵守できると良い大人に近づくことができると考える。

他者と自分を割り切って考えることができる

これは最も大事なことだと思うのだが、他者と自分の思想や価値観の違いを理解した上で相手に配慮した行動がとれるということはとても重要である。特にコロナ禍の現代、日々の生活に余裕がなかったりリズムを崩してストレスをためてしまう人はとても多いと思う。そのような状況で他者に自分の怒りやストレスをぶつけたり、相手を攻撃してしまうようなことが起きてはならない。

他者に興味を持つのは良い面もあるが、それはあくまで良い意味での興味であってほしい。悪い意味で相手の粗さがしをしたり重箱の隅をつつくような行為は厳に慎むべきである。良識ある大人であればこのような考え方を持って実行できなければならないと思う。なお、私はこのレベルには未だ至らないので鍛錬が必要だ。

相手に求めることは自らが率先して行う

これも当たり前のことだが、できていない人は結構多い。どこぞの総理大臣や閣僚ですら、一般人にはテレワークや会食を止めることを押し付けておきながら、自分たちは高級料亭で会食三昧という有様である。良識ある大人としてこのような行為は失格である。相手に何かを求めるのであれば、まず自分自身がそれに類似することを実行してお手本を見せること、これこそが本来大人が見せなければならない姿だと思う。

と、私も偉そうなことを書いているが、私自身も口先だけで手を動かして行動しないことも多いので、まだまだ大人としては四分の一人前~半人前程度の器しかないだろう。ただ、どこぞ首相や閣僚みたいな大人にはなりたくないと切実に思う。

他者に責任転嫁をしないこと

これも基本的なことであるが、自分の失敗を他者に押し付けるなどは言語道断であり、もはや人間としての良心を疑ってしまうレベルである。何か物事を達成したいのであれば挑戦しなければならないし、挑戦に失敗はつきものである。その失敗のリスクを受け入れたうえで果敢に挑戦し、失敗したらその責任を自分で負ったうえで挽回するために努力するというのが本来のあるべき姿だと私は思う。

 

上記に述べたような点を満たすことができれば比較的良い大人になれると思うし、他者からもかなり信頼を勝ち取ることができるはずだ。

昨今の「お手本にしてはいけない大人たち」を反面教師にし、私も人の振り見て我が振り直せと感じている。

 

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安易な気持ちでエンジニアに転職するのはおすすめしない

大手の電車運転士として働いていた人が運転士を辞めてプログラミングスクールに通ってエンジニアを目指したのだが、結局どこぞのSES企業※にぶち込まれて年収大幅ダウン&自由時間を失ったという内容のツイートがエンジニア界隈で話題になっている。

(※SES:システムエンジニアリングサービス。簡単にいうと、エンジニア(労働者)を他社に売る商売を行っているシステム会社。)

インフルエンサーの功罪

最近まで知らなかったのだが、どうやらコロナ禍となって以来、エンジニア(プログラマーシステムエンジニアを指す)を目指す人が増えているらしく、Youtubeでもプログラミングスクールをやけにおすすめしたり、エンジニアのメリットをたくさん並べるインフルエンサーが多く出てきている。

エンジニアを目指す人たちの動機としては、綺麗なオフィスでPCに向かって働く姿がカッコいいからとか、在宅ワークもできて自由な時間が多く取れそうだから、というものが多いという。確かにエンジニアになればそのような働き方はしやすくなるかもしれない。実際、私もエンジニアの端くれとして在宅ワークを行うことができているし、PC一台あれば大体の仕事はこなすこともできる。

ただ、エンジニアを目指すにあたってこのような環境面や待遇面ばかりに目が行ってしまうのは良くないと感じる。仕事そのものにおいて何か達成したいことややりたいこと、作りたいものがあるのであればモチベーション維持できると思うが、単純に楽に働けそうだからという理由で転職してもうまくいくとは到底思えない。

私もたまにインフルエンサー系のYoutubeを見るのだが、彼らはほんの一握りの成功者であり、その裏に何千何万もの脱落者がいるということを忘れてはならない。Youtubeに出てチャンネル登録者数が数万人単位というような人はもはや普通の人ではなく、何かしらずば抜けた能力を持っている人ばかりである。単に成功した人が表に出てきて自分たちにも見えるぐらい有名な存在になるというだけなのだ。

最後は自分自身で考えられるかどうか

私はスクールに通ったことがないので偉そうなことは言えないが、スクールで体系立てて学べばある程度の技術力を知識として身に付けることは可能だ。しかし、その知識をどう生かして応用していくかは自分自身で考えて経験しなければならないことである。それはスクールに通っただけでは身に付けることはできず、継続的に疑問を解消したり自分で色々なことを検証したりする中で身についていくものである。スクールに通うことを否定しようとは思わないが、いずれにしても最終的には自分で考えたりアイデアを形にしたりする努力が必要になってくるのである。

今の仕事がちょっと辛いぐらいの状態で、エンジニアになったらもっと楽になれるとか、年収一千万も達成できると夢見ることも悪くないが、生半可な気持ちでは到底達成不可能だし、挫折したら人生を棒に振ってしまう可能性もある。特に未経験からエンジニアを目指そうとしている人には、上記のような視点を少し考えてみてほしい。

 

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2021年明けましておめでとうございます

明けて2021年1月1日となりました。本年もどうぞよろしくお願いします。

目指すブログ像について考える

昨年はブログのネタを考えたり実際に書く中で色々なことを考えさせられる一年だった。日常生活で人との接触や会話の機会がめっきり減ってしまい、リモートでやり取りを行うようになった。そんな中、自分がどのような言葉を選んでどのように伝えればより相手は理解してくれるだろうか、ということに対して今まで以上に神経を使った気がしている。

悪いことが多かったように思える昨年ではあったが、言葉遣いやコミュニケーションの仕方について真剣に考える機会を与えてくれたともいえる。だから、今年はその過程で思ったことなどを、できるだけ継続して取り入れるようにしていきたいと考えている。「言葉=思考力」という意識を忘れずに何事にも取り組むことを忘れずにしたいし、思ったことや感じたことはブログなり日記なりで形に残し、自分の思考をうまく整理できるようになりたい。

2021年の目標

今年の目標はシンプルに「健康第一」としたい。具体的な目標はもう少し細かいものがあるかもしれないが、この世の全ての楽しみは健康の上に成り立っていることを再認識したので、まずは自分の心と体の健康を最優先にして日常生活を送っていきたい。目覚めに心地良い朝日を浴びることができること、毎日お腹いっぱいご飯が食べられること、自分の手足を自由に動かせて好きなように動けること。これらの一つでも欠けてしまうと幸せな生活からは離れてしまう。

また、昨年までは特に気を付けていなかったのだが、ブログでは少しでも明るく前向きな話題を記事にするようにしたい。振り返って反省をすることも必要ではあるが、基本的には前を向き、より良くしていくためにどうするのかという視点で言語化していきたいと考えている。

 

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激動の2020年を振り返って

この一年は色々あったよね

オリンピックイヤーとしてわくわくドキドキしながら始まった2020年。2010年代も終わり、気持ちを新たに色々なことチャレンジしたり、個人的には今の職場でどのような働き方になっていくのか少し楽しみにしていた点もあった。しかし、2月に入る頃あたりに世の中に不穏な空気が流れ始める。各地で感染確認がされたという報道が日ごとに大きな話題となっていった。

とはいえ当時は、今の自分の働き方や日常生活が激変するほどの影響はもたらさないだろうと軽く考えていた。だがそれから程なく、3月から在宅ワークに切り替わるという、日常生活にも直結する大きな変化が訪れた。今まで生きてきて世界で色々なことが起こってきたが、身近でここまで劇的に影響を受ける出来事が果たしてあっただろうか。また、もし自分が在宅ワークのできない職場で働いていたら、一体どうなっていただろうと想像するとかなり怖いと感じたのをよく覚えている。
そのような状況下で、生活を彩ってきた数々の娯楽が「不要不急」として日常から排除されていく中、自分にとって本当に大事なものや大切にしたいことが明確に見えてきた気がしている。平時では思いもよらないことを考える機会をもたらしたという点で、ある意味有意義だったのかもしれない。

個人目標の振り返り

昨年の日記を見返しながら振り返ってみる。

体調不良による有休をゼロにする

一年を通して大きく体調不良を起こすことをなく終えることができ、目標自体は達成となった。この一年は8割以上在宅ワークで自動的に睡眠時間も多く確保できたため、達成の難易度は下がったといえるだろう。あとは、年末の今日まで何とかコロ助に罹患することなく無事に年越しを迎えられるささやかな喜びを噛みしめたいと思う。とにかく、食事・睡眠だけは疎かにすることなく、具体的には3食きっちり食べて、睡眠は8時間弱確保するという生活を続けられたのが良かったのだろう。加えて今年は一度も遠出したり泊りがけの旅行に行くことがなかったので生活リズムが乱れることもなかった。

資格取得&勉強

こちらも運よく達成となった。ウェブデザイン検定は3級を2月末に、2級を8月末に受検して両方とも一発合格で終えることができたので上出来だろう。数カ月のプランで地道に勉強を重ねていたのだが、試験勉強は計画的にコツコツ行うと成果につながりやすくなることが再確認できた。
自主勉強についても基本的には継続できているので問題ないと思っている。時々モチベーションが落ちてダラダラしてしまうこともあるのだが、できるだけ作りたいものや完成物を明確にして取り組むと時間を意識せずに没頭できることが多い。成果物のイメージやアイデアをより具体的に思い描けるようになれば、スムーズな知識取得につながるだろう。勉強を勉強と感じないような学習の仕方ができることが理想だ。

レーニングでの目標

残念ながら未達成となった。
・目標①:ベンチプレス100×5回 実際:90×8回
・目標②:スクワット130×8回 実際:105×9回
・目標③:加重10kg懸垂×10回 実際:加重7㎏で8回
正直、かなり達成度が悪いので来年はもう少し奮起しなければならないと感じている。
まず上半身について、今年は度重なる肩の怪我に苦しみ、ベンチプレスや懸垂をできない時期が断続的に発生してしまった。怪我をしないための体づくりや関節周りのストレッチを疎かにしていたツケが回ってきたのかもしれない。慢性的な痛みで常に満足な状態でトレーニングできる状態ではなかったし、種目自体できない時期が数カ月間あったので、この結果は仕方ないのかもしれない。来年は怪我をしにくい体づくりやストレッチ、ウォーミングアップをもう少し研究しながらうまく怪我と付き合いつつ記録を伸ばしていきたいと思う。
そして下半身のスクワットであるが、これがなかなか酷く、記録が伸びるどころか昨年や2年前と比較して緩やかに記録が落ちてきている。最近この原因を少し考えていたのだが、やはり外出自粛で外に出なくなったことが要因の一つとしてありそうだ。職場に通勤するためにも歩いたり階段を上ったりしていたが、在宅ワークになってからは起きて椅子に座りっぱなしという毎日だ。外に出て歩くこともしなかったので下半身の筋力が弱ってしまったのだと思う。そこで最近はほぼ毎日散歩を日課に取り入れるようにしている。歩くだけなのだが、椅子にずっと座っているよりは脚の筋力を使う。スクワットのトレーニング頻度を増やすことも考えたが、体への負担が大きく怪我のリスクが上がるのでやめておくことにした。
外出しないことによって脚の筋力が顕著に低下することを実感したのは新しい気付きでもあった。少しでも日常生活で脚を使う機会を増やし、記録更新につなげていきたい。

おわりに

今年は季節のイベントが中止されたり、毎日人と会わずに自宅で過ごしていたせいなのか、時間の経過が異常に速く、何も出来ずに一年があっという間に終わってしまったような感覚がある。来年の目標は明日以降書き出してみようと思っているが、引き続き新型コロ助に注意する年となるのだろう。来年一年も可能な限り良い年にしたいし、何よりも健康に気を付けて日々平和に生きていけたらこれ以上幸せなことはないだろう。

そして、来年も当ブログをよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。

 

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【お題】2020年に買って良かったもの

お題「#買って良かった2020

テレワーク用のディスプレイなど(7千円)

4月に緊急事態宣言が発出されるのとほぼ同時に、在宅ワークでもマルチディスプレイで作業をすべく購入した。本格的に毎日在宅ワークとなったのは3月以降であり、その前からも定期的に在宅ワークを行っていたのだが、自宅でマルチディスプレイを使用するという発想がなかなか浮かばなかった中で購入に踏み切った。

メインのノートPCを一台持っており、基本的にはその一台で仕事をするのだが、ディスプレイを購入する前まで在宅ワーク時はノートPC一台のみで作業をしていた。だが、ウェブ画面を参照しつつExcelに何か入力するような作業をするとき、画面が一つしかないとわざわざ表示切替を行うのがかなりストレスになるし、結果として作業効率がかなり悪くなることに気付いてしまったのである(PCとディスプレイを接続するためのVGAケーブルも一緒に購入した)。

2台のディスプレイで作業できるようになってからは作業で感じるストレスも減ったし、在宅ワークでの生産性もそれなりに上がってきたような気がしている。このように、メインのPCとは別にディスプレイを設置することで作業効率が良くなるので、在宅ワークをする上では重要なポイントだと思っている。

なお、ディスプレイのメーカーにそれほどこだわる必要はないと個人的には感じる。私が購入したのは名の知れていない中国っぽいメーカーのものであり、Amazonで購入したのだが、これまでずっと不具合なく動作している。

 

※イメージ。マルチディスプレイまたはデュアルディスプレイとも言う。

HDMI端子またはVGA端子があれば大体の機器で接続できると思う。

multiDisplay

 

自宅トレーニング用のハーフラックなど(約13万円)

緊急事態宣言に伴い、多くのジムが閉鎖となったことは世のトレーニーたちを震撼させた。私も通っていたジムが1カ月半ぐらい閉鎖となってしまい、その間にホームトレーニーを目指して可能な限りで自宅にジムを作ることを決めた。

ちょうどこの時期、自宅でのエクササイズなどの需要が高まり、Amazonなどではダンベルをはじめとするトレーニング用のアイテムが軒並み品切れになる状況となっていた。そのような状況で、少ない選択肢から価格が高すぎずそれなりに納得のいくアイテムを探すのは、かなり骨の折れる作業であった。

結果的に6畳ほどの部屋にラックやバーベルを無理やり押し込む形とはなったが、何とかサイズオーバーにもならずに納得できる使い方ができており、週2回ぐらいは家でのトレーニングも取り入れるようになっているので満足はしている。

当初は給付金の10万円で何とか納得いく形で完成させることを目標としたが、不足している部品などを買い足しているうちに総額で13万円弱かかってしまい、なかなか大きな買い物になってしまった。しかし、いつでもある程度のエクササイズが家で出来るというのは本当に心強いし、ジムに行けなくなる心配をしなくて良いことも心理的なメリットだと思う。

おわりに

その他にももちろん色々なものを購入した。主に室内で使うものばかりだが、新型コロ助が幅を利かす今の世の中ではある意味当たり前なのかもしれない。最近、コロ助の変異種が国内に流入したという報道もあり、早くも来年に向けて暗雲が立ち込めてきているような気もしている。

希望としては、これからどんどん明るい世の中になって欲しいが、まだ外出制限は一定期間続きそうな雰囲気なので、家の中での生活をより豊かにするための買い物は重要になるし、そのための出費は惜しまない姿勢を貫きたいと考えている。

 

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なぜ読書をすることが大切だと考えられているのか

子供の頃、親に「ゲームばっかりやらないで読書しなさい」とか「本読むのは大事なことだよ」と言われた覚えはあるだろうか。私は小学生ぐらいの頃、よく親からこのようなことを言われていた。今になると、本を読むことの大切さは身に染みて感じることが多くなったのだが、子供の頃にその重要性を理解するのは難しい。とりわけ、子供の頃や若い頃に本を読むことがなぜ重要なのだろうか。

子供の適応力は高い

人間は年齢が低ければ低いほど適応能力が高い生き物である。そして、年を重ねると高かった適応力が低下してくる。例えば、5歳前後からピアノを習っていた人と、30歳ぐらいに始めてピアノを触る人とでは上達スピードに大きな差が生まれる。年齢の低い5歳からピアノを弾き始めた人の方が難しい曲を早く弾けるようになっていく。だから、今活躍しているプロのピアニストの中で、初めてピアノを触ったのが20歳を過ぎてからという人はほぼ存在しない。幼い頃からその分野に尽力してきた人でなければその分野で上に行くことはできない。その中でも更に才能がある人が努力を続けてやっとプロになれるかどうかという世界なのだ。

特に年齢が低い時に本を読んでおくべき理由

読書について言うと、より適応力が高い=年齢が若いうちに多くの刺激を与えると、様々な価値観を理解する心を育てることができる。子供のうちであればまだ自我が確立されていないので、本を読んで感じたことがその後の人生に生かされやすくなる。しかし大人になればなるほど、自分の意見や考え方が確立されているため、本を読んでも子供の頃ほどの影響を与えることは難しくなる。意味がないとは思わないが、同じ一冊の本を読んで大人が一つ吸収するところを子供は五つぐらい吸収しているということは認識しなければならない。だから、多感な子供のうちにできるだけ多くの本を読み、物事の善悪を判断する力や道徳的な考え方を身に付けておくことは大切なことだといえる。

本でなくてはダメな理由

ここで「なぜ本でなくてはだめなのか、映画でもドラマでもゲームでも同じような刺激が得られるものはある」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。その意見は多くの人が思うところだと思うが、これらと読書の決定的な違いは、能動的であるか受動的であるかである。映画やドラマは適当に見ていても途中で寝てしまっても、映像は勝手に進んでいく。だが、読書は自分で活字を追って読んでいかなければ先に進むことはできない。そう考えると、取り組み姿勢や真剣度にも差があると思うし、読書の方がより理解するためにエネルギーを必要とするだろう。よって同じ内容でも映像で見るとの活字で読むのでは、読書の方がより自分の血肉となって成長の糧になるのではないかと思う。

さいごに

最近では少し減ってきたのかもしれないが、他人に無駄に因縁を付けたり、自分が正しいと思う価値観を他人に押し付ける人はまだまだ多くいる。私も偉そうには言えないが、そういう頑固な人たちには色々な本を読んでより多くの価値観や考え方を身に付けてほしい。意見が違うだけで喧嘩になるのではなく、「そういう考え方もあるね」とお互いをある程度受け入れ、程良い距離感で人間関係を築いていければ理想的だとつくづく思う。

 

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渡部さんの不倫問題への叩き方を見て思ったこと

なぜ他人の色恋沙汰にそこまで興味があるのか

つい先日、不倫問題で活動自粛していたアンジャッシュの渡部さんが謝罪会見を行った。私は会見を全てしっかり見たわけではないので確かなことは言えないのだが、この件に限らず芸能人等の不倫問題に対するバッシングの凄まじさは異常だと感じる。象徴的なのがヤフコメ民のコメントの多さである。ここ一週間ぐらいで渡部さんの記事が立て続けに投稿されていたが、各記事に対するコメントの多さが軒並み五千件を超える件数となっている。ヤフコメの多さだけを見て国民の関心度が高いと断定はできないが、他の記事よりも比較的多くのコメントがついているということは、少なくともそれだけ人々の関心度が高めであるということに間違いないだろう。

他にも、眞子さまの結婚問題についても記事が上がるたびに多くのコメントが付き、なんちゃって評論家の一般人がよく偉そうに意見を羅列しているのを目にする。もうお分かりかもしれないが、これら二つの事象に共通するのは大きなカテゴリとして恋愛が絡んでいるということである。もっと大きく言うと、特に他人の色恋沙汰が絡む事象に人々は関心や自分なりの意見を持っている人がとても多いということだ。

日本においては一夫一妻制度が基本的な考え方であるため、浮気や不倫をしてこの制度を破った人は特にバッシングの対象になりやすい。だが、外国では一夫多妻制が合法になっている国もあり、それらの国ではそもそも不倫という概念があるのかすら怪しい。そんなことを考えると、ここまで不貞行為を拒絶するというのも少し違和感がある。

確かに日本で不倫というは結婚に対する契約違反なので、手放しに許容されることではないが、今回の渡部さんの件はいくらなんでも叩かれすぎであると感じる。行為を行った場所が場所であったり、彼の妻が佐々木希という絶世の美女であるからよりメディア映えするというのも理由なのかもしれないが、そのような考え方が如何にもゲスい。当事者間である程度解決しているのであれば、あの会見は不要だったと思う。

直接会わない人に過度に関心を持たない心構え

また、誹謗中傷はダメだとあれだけ話題になったにも関わらず、不倫や薬物をやった人に対してなら人権を無視してバッシングしたり、全く配慮のない質問をして良いと考えている輩はやはり多いのだなと思った。人は正義を盾にすると相手の人格や人権などは無視し、徹底的に攻撃して叩き潰さないと気が済まないのだと痛感するし、やはりイジメやパワハラを無くすのは無理なのかもしれない。

他人に対して関心を持つのは良いことだが、これらのバッシングをしている人たちは関心を向ける方向を間違っている。本来は身近な人や普段顔を合わせる人に対して適度に関心を向けるべきなのに、テレビに出てくる一生直接会うこともないだろう有名人に対して無駄に関心を持ってしまっている。もっと自分や近くにいる人に対して関心を持つべきだし、そうすれば有名人のスキャンダルなんて「ふーんそうなんだ、だから何?」というスタンスで軽く受け流すことができる。どうでも良い人を気に掛ける時間が勿体ないとすら感じるだろう。直接話をすることもない人に対して関心を持ちすぎてしまうのは自分を見失うことにもつながるので、良くないと思うのだ。

 

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