rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

今週のお題「運動不足」

今週のお題「運動不足」

健康診断の血圧検査に引っかかった

私は特に運動不足を自覚していない。仕事が休みの日は大体ジムでしっかり汗を流しているし、マラソン大会だって参加しているし、趣味でボウリングを定期的にやったりもする。最近では格闘技に興味が出てきて道場やジムを探し始めているところだ。だから基本的には健康体だと思っている。

しかし、先日健康診断で高血圧と判定された(150/80)。食事も塩分を過剰摂取しているつもりはないし、睡眠だって最低限は取れているつもりだ。だけど血圧だけは高校生の頃ぐらいから高かった。17歳頃に人生で初めて測った血圧で上147をたたき出した記憶がある。私の父親も高血圧なので、それが遺伝したとしか考えられない。

現在私は20代後半だが、昼ご飯にゴマ麦茶を飲んだり会社の保健師との面談を行って現状や通院状態を報告したりと、定期的な管理を受けなければならいことに若干の戸惑いを感じている。

運動ってなんのためにやるの?

私は筋トレが好きで3年ぐらい前から続けている。そのおかげで体重も10k以上増加し、体温が0.5℃上昇し、冷え性の症状が和らぎ冬にしもやけになることがなくなった。本当に良かったし、この面では健康的になれたと思っている。

だけど、私は健康のために筋トレをやっているのではない。単純に筋トレが楽しいから筋トレを続けているに過ぎない。むしろ、筋トレをやるための健康ぐらいは保持していたいというスタンスだ。

多くの人は健康でいたいという目的があってそれを達成するために運動をするのだと思う。例え嫌々でも運動をすることが健康につながると思っているからだろう。適度な運動であれば定期的に運動をした方が健康でいられるし、体の不調が少なくなるというのは間違いないことだ。しかし、体を動かすことそのものがストレスの人たちにとって、それでも運動をした方が良いというは果たして正しい考えなのだろうかと疑問に思う。

最終的な目標が長生きすることであれば運動したほうが良いのだろうが、今を楽しく過ごすという目的により重きを置く人たちにとって、苦痛な運動を続けることが本当に意味のあることなのか。

運動するもしないも個人の自由じゃん?

世間の人間は定期的に運動しましょう、とかよく言ってくる。それが絶対的に正しいことのように。だけど、それが本当に自分にとって幸せにつながることなのかをしっかり考えた方が良い。健康でいたいなら軽い運動は定期的に行うに越したことはないが、それ自体がストレスになってしまうのは本末転倒だ。

ボディビルダーは日々激しい筋トレをしているが、彼らの食生活や運動内容は全く健康的とは言えない。むしろ、理想の体のために命を削りながら日々生きている。力士やラガーマンなど多くのアスリートでもそれはほぼ同じことだ。健康的でなくとも彼らはそれが好きだからそんなことができる。

だから、運動するしない、またどんな運動をするかには囚われすぎるのは良くない。本当に大事なのは、自分がどうしたいか・どうなりたいかということに尽きるのだと思う。

 

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今週のお題「夏を振り返る」

 

今週のお題「夏を振り返る」


8月が終わり、2019年令和最初の夏が終わった。今年の夏もほぼ例年と変わらずに過ごしていた。

夏だからと言って特別にすることもなく、普段通りの生活を送っていた。それは私にとってとても自然なことだ。

昨年に比べれば暑さはマシだったのか

今年の夏は梅雨明けがやけに遅く、7月の終わりあたりにようやく梅雨明けをしたという感じだったと思う。しかし、梅雨明けしたと同時に猛烈な暑さが襲い、それが8月の中旬まで続いた。

昨年は7月初旬に梅雨明けし、そこから7月いっぱい猛烈に暑いという状況だったが、今年はそれが少し遅くなったような感じだ。だが、暑さ自体は昨年ほどではなく、少し和らいだと思う。

それでも、40度を超える地域が複数出現するなど、年々確実に暑さが厳しくなっていることを思い知らされる夏でもあった。

このままあと何年か経てば、日本本土全体が温帯地域から熱帯地域になってしまうのではないかとすら思うし、今はその過渡期にあるのかもしれないと想像したりする。

真夏の旅行は北を目指すべきだと改めて反省する

今年の旅行は8月中旬の最も暑い季節に山口県下関市~福岡県を横断する旅行ルートを取った。途中で台風に遭遇してしまったのは不運であったが、それ以上に辛かったのは暑さだった。

ギラギラの太陽の下でのハイキングは多少なりとも命の危険を感じるぐらい多量の汗をかいたし、日焼けによって後日腕の皮が広範囲剥けてしまったりしたのはあまり心地良いものではなかった。

ハイキングの途中で、真夏にここに来たことを少し後悔したし、もう夏に南の方に行くのはやめようかなと本気で考えた。

国内であれば、夏はやはり北海道や東北の少し涼しい地域を目指べきなのかもしれないと感じた。

夏での楽しみを夏以外の季節にも

台風が通過した後、本日9/9もかなり暑くなった。2019年の夏は暦的には確かに終わってしまったが、まだまだ海は開いているし、ちょっと空気が良いところに行ってバーベキューだってまだできる。というか、やろうと思えばバーベキューなんて秋でも冬でも屋外で出来るではないか。3年前ぐらいに11月末にバーベキューをやったことを思い出しながら思う。
夏だからこそより楽しめることは確かにあるだろう。しかし、それらのうち大半は夏でなくてもできることだ。食材と火があればいつでもできるバーベキューなんかは良い例だ。

これからは秋がやって来る。読書の秋、食欲の秋、運動の秋などともいわれる。この夏にやりたくてできなかったことがある方も、秋ならではの楽しみを満喫したい方、これからやって来る素晴らしい秋という季節を存分に謳歌しよう。

 

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【下関福岡旅行記②】~関門海峡編~

本記事は下関福岡旅行記第2弾である。

関門海峡には人道トンネルがある

つい先日まで知らなかったのだが、関門海峡は列車でも車でもそして徒歩でも渡ることができる。それまでは列車が通っていることも知らなかったし、基本的には車で渡るものだと思っていた。徒歩で渡れるものであれば渡ってみたいと思い、今回の旅行で訪問することに決めた。

路線バスのバス停「御裳川」で降車すると関門トンネル人道入り口という看板がすぐそこにある。ちなみにこの近くには「壇ノ浦」というバス停もあり、壇ノ浦の戦いの戦場跡の広場もある。移動に余裕がなかったため、その写真は今回撮り逃してしまった。

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ここからエレベータに乗って地下55メートルに降りる。エレベーターは一般的な運搬用のエレベーターみたいな外見だった。(これも写真なし)。

エレベーターを降りる前に通行料金の支払いがあり、原付の場合は20円で徒歩の場合は無料だ。トンネル内では原付は手押ししなければならない。

エレベーターを降りて到着した広場が以下の写真。右のほうに下関のことが色々と説明されたボードがある。

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スタンプエリアがあり、下関側のスタンプを押すことができる。福岡に渡ったら福岡分の片割れのスタンプと合わせることでスタンプ全体が完成する仕組みになっている。私はこれに気付かずに別々にスタンプを押してしまった。

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トンネルの中を見つめる。長さは780メートル。いざ徒歩で本州を渡り福岡へ。

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トンネル内を進む。壁に魚の絵が描いてあったりして、少し涼しい感じがする。

また、お盆のシーズンで外が台風で暴風雨なのにも関わらず、地元の人がちらほらとランニングして汗を流す姿が目立つ。トンネル内は天候にも影響されないため、地元の人たちにとっては良いランニングコースなんだとか。東京で言えば皇居ランナーみたいなものか、とか考えながら歩き続ける。

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中間地点である福岡と山口の県境に到着。トンネル全長の780メートルの中の丁度半分の390メートル地点。そして地上からの深さが58メートルで歩き始めより3メートル下ったことになる。ここから福岡到着までもう半分歩き、再び3メートル上る。大きく一歩を踏み出しこの県境を超える。

余談ではあるが、海底の県境を徒歩で渡れるのは日本でもここだけらしい。

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福岡へ渡り、下関の入り口とほぼ同様の形で今度は地上へ向かう。そして地上に出た景色が以下の写真だ。

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海底を自分の足で歩き、先ほどまで海の向こうにあった陸地に到着できたことを感慨深く思う。そして、先ほどまで自分がいた海の向こうの陸地にも思いを馳せてみる。

しかし、地下を歩いている間に台風が接近したらしく外は大雨で風も強くなってきた。海が近いのでもしかしたら波が危険かもしれないと思い、足早にバス停に向かった。

その後、そして旅の感想

この後、目の前のバス停から門司港駅まで行き、門司港駅から鹿児島本線に乗って博多駅まで向かった。博多駅までの所要時間は大体90分ぐらいだっただろうか。台風で鹿児島本線が運休していたら移動手段がなく万事休すという状態だったが、本数制限ありで何とか動いていてくれて本当によかった。

普通の人からすればただトンネルを渡っただけで何が楽しいのか、と思うかもしれないが、到達目標にしてきた場所に実際に自分の足を運んで行けるというのは旅の醍醐味だ。また一つ日本を肌で知ることができたし、私にとっては価値ある旅になった。もう少し天候が良ければもっといろいろな景色が見られたと思うし、余裕もできて写真も撮れたかもしれない。残念といえばその点だが、何とか移動もできたし、トラブルに巻き込まれることもなく怪我することもなく無事に旅を終えられて良かったと思っている。

次の旅は和歌山の潮岬、または相島のリベンジ、あるいはトカラ列島の総なめ縦断、沖縄の与那国島八重山列島巡り、など色々行きたいところが尽きない。今から楽しみだ。

 

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【下関福岡旅行記①】~毘沙ノ鼻編~

サラリーマンの皆さんは今年の夏休みも佳境に差し掛かっていることと思う。私も例外ではない。

それはともかく、つい先日まで3泊ほど下関、福岡まで旅行に行ってきた。毎年恒例の一人旅だ。台風の影響で予定通りに目的地に到達できないなど多少の不満はあったが、概ね楽しい旅行ができたと思っているし、何より無事に帰ってこれてホッとしている。

旅のテーマ

今回の旅では以下の3つをテーマに掲げていた。

①本州最西端の毘沙ノ鼻を訪問する

関門海峡を徒歩で渡る

③相島で猫と戯れる

このうち①と②は達成できたのだが、③は台風の影響でフェリーが欠航していて断念せざるを得なかった。まあ、予定通りいかないからこそ旅は面白いという考え方もあるし、3つ目的をもって2つ達成できたのだから上出来といって良いと思う。

本記事では①の到着過程を紹介していく。

本州最西端の毘沙ノ鼻を訪問

前日に羽田空港山口宇部空港へ到着し、空港間バスで下関駅へ向かう。そしてカプセルホテルに1泊。

翌日、毘沙ノ鼻へ向かう。台風が来る直前の日だった。これから台風が来るというのが信じられないぐらいカンカン照りに晴れている。ちなみに、毘沙ノ鼻は下の地図あたりにある。

https://img.yaplog.jp/img/18/pc/s/h/i/shigekikou/0/422.jpg

今回はレンタカーを借りずに歩いていくと決めていたので、交通機関で行ける最寄りの吉母港というバス停まで向かった。

吉母港のバス停

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とにかく暑くて倒れそうな気分だ。そしてここから毘沙ノ鼻へ向けて一直線に歩き出した。片道約4キロの丁度いいぐらいのハイキングになりそうだ。

残り2.9キロ地点の看板

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田んぼと山の集落を越え、海沿いの道をずんずん歩く。汗で濡れたTシャツが絞れそうなぐらい汗が止まらない。

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海沿いの道を抜け、再び勾配のある山道へ。山道を少し上ったところで残り800メートルの看板が。このあたりで暑さでスマホが軽く故障してしまったのであまり多く写真を撮れなかった。また、真夏の一番暑い季節にこの地方を旅しようと思ったことを若干後悔しはじめたのがこの時だった。

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ようやく遊歩道の手前の駐車場まで到着。車で走れば一瞬だったのか。歩いてここまで来るのにペットボトル2本を飲み干した。替えのTシャツを持ってこなかったことを悔やんでいた。距離的には大したことないが、暑さと勾配のキツさにやられてしまった。

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遊歩道を渡り、ついに先端に到達。遮るものがなく焼けるような暑さだった。でもそれを振り払ってくれるぐらい最高の景色に出会うことができた。また一つ、先端を制覇した喜びを噛みしめる。

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所感

全体的な感想としては、先端までの道路がしっかり舗装された道なので、歩くのが困難などではないし、車で容易に駐車場まで行くこともできるので、到達難易度もそこまで高くないと思う。ただ、公共交通機関で行く場合、やはり吉母港のバス停から歩くことを強く勧める。鉄道の最寄り駅は梅ヶ峠という駅があるが、吉母港バス停の倍近い距離を歩かなければならないため、かなりハードになる。このルートを使っていたら私は途中でぶっ倒れていたかもしれない。また、真夏でなければ良いハイキングになると思うので、歩いていくこともおすすめだ。

 関門海峡については次の記事で紹介させていただく。

 

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今週のお題「人生最大の危機」

今週のお題「人生最大の危機」

膝の十字靭帯を断裂した

私がこれまでに体験した人生最大の危機は、高校生の時に右膝の前十字靭帯を断裂したことだ。
私は陸上競技部に所属していて、短距離走走り幅跳びを専門に競技に打ち込んでいた。しかし、高校2年の終わりの3月に行われた学校のサッカー大会で足を蹴られてしまい、それが十字靭帯断裂という残酷な結果をもたらしてしまった。この怪我は手術が必要で、完治して元の状態に戻るまでに1年ほどかかる大怪我だ。医者からそのような説明を受けたとき目の前が真っ暗になった。高校最後の3年のシーズンに大会に出ることも走ることもできないなんて、当時陸上に青春を捧げていた自分にとっては屈辱的な出来事だった。
また、その後の手術と入院生活を考えるだけで気持ちが萎えて生きる気力さえ失ってしまいそうな時期もあった。

健康でいられることはありがたいこと

私はこれも含めて過去に数度怪我をしているが、その度に実感するのは、五体満足で不自由なく生活できているということがとても幸せだということ。毎日の仕事や勉強が辛いとか、親や親戚に悪口を言われるのが嫌だとか、友達や同僚と人間関係がうまくいかないのが嫌でストレスだ、というような悩みは誰もが持っていると思う。でもそんな悩みを持っているほとんどの人は、自分の意志で方向を決めて歩くことができるし、日常生活を送るのに支障はない人であるだろう。
最近読んだ何かの本に書いてあったが、目を閉じた状態で自分の両腕が切り落とされてしまった状況を思い浮かべ、その状態で死ぬまで生活していかなければならない状況を想像してみてほしい。そうすると、今自分の目の前にある悩みなんてほぼ取るに足らないちっぽけなものに見えてくるだろう。
私の場合、半年ほど膝が不自由で松葉杖生活が続いたが、それでもかなり行動が制限されるし、自分の意志の通りに動けないことのストレスは計り知れなかった。そして、健康で普通に生活できるというありがたさは失ってみないと分からないものだと身をもって思い知ることとなった。

辛いことは時間が解決してくれるはず

多くの人は何かしらの悩みを抱えている。その辛さや重要度は本人にしかわからないし、そんなことで悩むなよ、とか単純に言うことは誰にもできないと思う。そんな中でも、少なくともあなたが五体満足でそれなりに健康体で自分の意志通りに生活出来ているのであれば、失明して両手両足が動かなくなった自分の状態を想像してほしい。きっと少しは気持ちが楽になると思う。
また、嫌なことというのは大概は時間がたつと忘れてしまうものだ。だから、今嫌なことやストレスになることがある場合も、時間が経てばどうにかなってしまうことの方が圧倒的に多いだろう。心配していることの7割や8割は実際には起こらないのである。

 

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【高校野球】佐々木投手の登板回避について思うこと

注目した背景

今年も高校野球が開幕する。7月中は全国各地で予選が行われていた。その中で1つ注目されていたのが、岩手県大船渡高校の佐々木朗希投手についての話題だ。高校生ながら160キロの剛速球を投げる怪物ぶりはやはり大谷翔平選手を彷彿とさせるものがあるし、当然のようにメディアやプロ球団などから注目される。そんな佐々木投手が岩手県大会の決勝で登板しなかったことにより、チームは負けて甲子園本大会に出場できないこととなってしまった。登板の回避は、準決勝までの佐々木投手の投球数を考慮した上での監督の指示によるものである。これに対して様々な意見が出ている。「なんで決勝で登板させないんだ」とか「甲子園の出場がかかった大事な試合で登板させないなどあり得ない」という意見がある一方、「将来を考えて怪我のリスクを回避するための適切な判断だ」などの意見もある。

ちなみに私は去年、ピッチャーの連投などに対する意見をブログに投稿している。

rk-baryo.hatenablog.com

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登板しなかったのは正解だと思う

私は決勝で登板させなかった監督の判断は正解だったと思う。理由は、怪我をしては元も子もないから、ということに尽きる。ヤフコメやTwitterでの投稿をランダムに見た限り、世間の過半数以上は私と同じ意見なのではないだろうか(そう信じたい)。だが、やはり意見の違う人は存在する。今日の朝たまたまTwitterで見かけた記事が非常に胸糞悪かった。

headlines.yahoo.co.jp

この記事によると張本氏は、「スポーツは怪我をするのが宿命。だからそこから逃げているようでは成長できない」というな主旨の意見を持っているようだ。ちょっと拡大解釈すると、「俺たちは苦労したんだから、お前らも苦労しろ」と苦労の押し売りをしているように聞こえなくもない。根本にある考え方がブラック企業と類似しているし、もはや老害としか言いようがない。本来怪我を回避させる責任を持つ指導者が怪我することを推奨してくるのは異常であると考える。
この記事で張本氏が主張している意見は昔ながらの根性論・精神論でしかない。あなたの時代はそれで活躍できたかもしれないが今はそういう時代でないこと、自分やあの人ができることはお前も誰でもできるでしょ?という価値観の押しつけであることが分からないのか。人によって骨格、筋力、腱の強さ、体の柔らかさ、怪我のしやすい部位などが全く異なるということすらも分かっていない。だから「お前も当然できるだろ?」という発言が出てくる。多様性がより重要視される中で時代からの逆行も甚だしいと私は思う。

批判ではなく理解し合う努力を

もちろん張本氏をはじめとする、「登板させるべき」という意見を全否定するつもりはない。それこそこちらの意見を押し付けることになってしまうから。大事なのは、色々な人がいればその数だけ考え方や行動方針などがあるということだ。そして、その全てが尊重されてしかるべきということだと思う。
だから、今回監督が下した大切な選手のこれからの選手生命を尊重したという判断を理解してあげるべきだと私は思っている。たとえ私が反対の意見を持っていたとしても、そうすべきだと思う。

 

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旅は心を自由にしてくれる 今週のお題「夏休み」

今週のお題「夏休み」

7月も終盤に差し掛かり、関東圏もようやく晴れる日が多くなってきた。6月中旬からは雨ばかりで通勤や外出が億劫になる日々だった。例年は7月1週目にニイニイゼミが鳴き始めるところ、今年は一週間遅れて鳴きだしたのだから、今年の梅雨はやはり長かったのだろう。そして私は今年の夏も毎年恒例の一人旅を敢行する。

毎年恒例の一人旅

私は夏休みを使って毎年国内一人旅を行っている。大体2泊か3泊で飛行機を使っていくことが多い。去年は失業中だったので就職先が決まった後9月に長崎~鹿児島の九州縦断旅行をした。

今年は下関~福岡に行く予定で、途中で本州最西端の毘沙ノ鼻に立ち寄ったり、関門海峡トンネルを徒歩で渡ったり、相島で猫と戯れたりする楽しみがある。
日常の煩わしさを忘れ、自分自身と向き合うには一人旅が一番だ。家でダラダラ過ごしたり誰かと過ごしていては決して味わうことのない感情が沸き上がって来るし、1年に一度ぐらいは日常から離れて自分自身としっかり向き合いたい。その時間を作るには旅が一番だと思っている。そのための一人旅だ。

正直、夏休みをずらして取得したい

今年は宿を予約するのに苦戦した。予約が遅かったせいか民宿はほとんど満室で、空いていても一人は断られる始末。ようやく予約できたのはカプセルホテルぐらいしかなかった。
皆が一斉にお盆休みで休暇を取得するので観光地は混んでしまって大変だろう。観光地だって一年のうち特定の何日かだけ大盛況して他の日は割と閑散としているのは良いことなのだろうか。休みが分散して取得できれば観光客にとっては混雑していない中で旅行を満喫できるだろう。観光地にとってもある程度一定の利益を継続的に確保し、安定した運営ができるようになるというメリットがあるはずだ。

旅行をする際にも、旅行先が観光地仕様になってしまっていては本来の姿というのは見えずらいというデメリットがある。人々の平日の日常生活の姿だったりその土地のありままの姿というのは観光シーズンでは見ることができないものだ。だからあまり旅行者が集中しないシーズンにこそ旅行をしたくなるし、そこでようやくその土地の本当の良さや本来の姿が見えてくるものだ。だから、皆が旅行をしないシーズンに休暇を取得して旅行できたらどんなに良いものかと感じる。

 

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残業するのか休出するのか

私は基本的に残業をはじめとする時間外労働が嫌いだ。しかし、仕事の都合上どうしても時間外労働を強いられる場面が出てくる。サラリーマンとして生きていれば時間外労働を全くしないで40年以上勤め上げるというのは至難の業だろう。
仕事が忙しいときに必ず避けられないのが残業や休日出勤だが、残業と休日出勤のどちらか一方を選択するとしたらあなたはどちらを選択するだろうか。私はこれまでどちらが良いかを考えたこともなかったが、最近時々残業するのでまた色々と考え始めてしまった。

休日出勤と残業のどちらを取るか

私が今まで関わってきた人たちの多くは、残業はしても休出は嫌がる傾向があるように感じる。私もちょっと前までは休日出勤なんてもってのほかだと思っていた。ただでさえ週に2日しかない大切な休日を通勤と仕事で潰されてしまうのはたまったものではないと思っていた。だから、前の会社にいた時には嫌々ながらも残業はしていたが、休日出勤だけは断固として断った。例え土曜日や日曜日に大した用事がなくても用事があるフリをして断っていた。時間外の手当てが全く支給されないのは残業でも休出でも一緒だったが、サービス休出するぐらいならサービス残業して土日はしっかり休みたいという気持ちの方が断然大きかった。
しかし、今の会社に入ってから少し考えが変わってきている。前職ではPCの持ち出しなどができず基本的にオフィスに来ないと仕事ができない状態だった。しかし、今の仕事は会社支給の持ち出し自由な自分用PCで行うため、ネットワーク環境さえあればどこでも仕事ができてしまう。休日にわざわざ会社まで出勤して作業するのは億劫だが、自宅で仕事できるのであればかなり気が楽だし、時間外手当だって支給される。まあ仕事とプライベートの境目が曖昧になってしまうことがデメリットなのかもしれないが、個人的にはあまり気にならない。

残業が苦手な人は休出優先で考えてみても良いかも

世の中のサラリーマンには2つのタイプがいると思っている。1つは残業が好きで得意な人、2つ目は残業が苦手な人だ。これまでの経験から、私は圧倒的に後者であることが分かってきた。
基本的に世の中のサラリーマンはマジメだ。たとえ定時を過ぎようが、成果物が完璧に仕上がっていないのであれば残業も厭わずにきっちりと仕様を満たした完璧に近いものを作ろうと作業を続ける。定時後にもそれだけの集中力を仕事にそそぐことができる体力がある優秀な社員だと思う。
だが、私は定時後になると集中力や作業効率がガタ落ちするし、何より早く帰りたい気持ちが先行して気持ちが落ち着かなくなる。自己中と言われればそれまでなのだが、こういう残業に向いてないタイプのサラリーマンは決して私だけではないはずだ。周りの人間が当然のように残業をしているのだから自分もできるようにならないといけないと思うかもしれない。その気持ちは私にもあるのだが、自分と他人は違う人間であり、疲労の感じ方や集中力の継続度など体力は異なるものだ。だから、周りがやっているから自分もできないといけないと考えるのはおかしなことだ。

どうしても残業または休出しなければならない状況に遭遇した時、自分が残業タイプなのか休出タイプなのかを知っておけば適切な行動ができ、より効率的に仕事を捌いて有益な時間を手にすることができるはずだ。 

 

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サラリーマンでいることも悪くないなと思うとき

私は当ブログで散々サラリーマンでいることの愚痴や常に雇われる身であることのリスクを述べてきた。最近よく読むビジネス本にサラリーマンはやめろ、というような指摘なりアドバイスが多くあることが原因だと思う。その思想に少なからず影響を受けているということだ。
たしかに、現代では自分で起業するハードルも一昔と比べれば驚くほど下がっているし、何らかの副業やスキルアップを行うことも自然と選択肢になる。大手企業の社員だから俺はこの先の将来も安泰だ、などと抜かしているようでは気付いた時には手遅れになる。その点に間違いはないと思う。
だけど最近思うのは、入る会社さえ間違わなければ、かつ自分自身に胡坐をかかなければサラリーマンというのは大きな武器になるものだとも思うようになった。そう思う理由を述べていきたい。なお、これは健全なホワイト企業で自分がある程度やりたい仕事ができていることが前提だ。ブラック企業に属している場合は前提から話にならないので、すぐに会社を辞めるなり転職するなりした方が良い。

給料をもらいながら勉強ができる

これはサラリーマンの特権だと思う。毎月一定の給料を貰いながら自分のスキルを磨くことができる。もちろん、会社の仕事だからやりたくないことや不要だと思うこともあるだろう。だが、それなりにやりたいことをやりながら最低限生活に困らないだけのお金を貰えるというのは本当に恵まれていることを自覚しなければならない。
私は最近クラウドワークスをやっていて思うのだが、はじめのうちは1,000円稼ぐのも本当に時間がかかるし簡単ではない。そう考えると会社で毎月数十万円貰いながらある程度やりたい仕事をやれるというのは素晴らしいことだと感じるようになった。
また、残業については嫌で自分のためにならない仕事であればなるべくやらない方が良いと思うが、本当に好きで自分のためになると思うならば惜しまずやるというのも一つの考え方だと思う。働いた時間分の残業代が支給されない会社であれば少し考えものだが、残業代が普通にもらえる会社でやりがいのある仕事をやっているのであれば、毎日納得いくまで仕事に時間を使うというのも悪くない。大事なのは、残業するもしないも本人の意思によって決定することであり、必要でもないのに他人から残業を強いるようなやり方をしてはいけないということ。

面倒な手続きを全て会社がやってくれる

私は一度会社を辞めたとき、税金や保険金の支払いがこんなにも面倒なものなのかと驚いた。そして、給料からこれらの支払分が天引きされていたことのありがたさを思い知ることとなった。

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大抵の会社には総務部や管理部といった部門があり、その人たちが社員一人ひとりの支払いや福利厚生を世話してくれる。煩雑な手続き等はその部門の人に任せることができるので、サラリーマンは自分の仕事に集中しやすい環境が整っているといえる。サラリーマンとして生活している人はこの当たり前と思われるメリットを忘れてはならない。

結論:良い会社に入ろう

身も蓋もない結論になるが、サラリーマンとして生きていくのであれば良い会社に入ろう。良い会社とは、単純に世間一般で言われる年収が高いとか残業が少ないとかそういうものではない。自分基準で考えた時に働きやすかったり、やりがいがある仕事ができていて毎日がそれなりに充実しているのであれば、それがあなたにとって良い会社である。他人の尺度で会社の良し悪しを決めることはできない。
どんなに残業を多くしていても毎日が楽しければそれはあなたにとって良い会社だし、どんなに早く帰れたり休暇がたくさん取れたとしても仕事自体が楽しくなくて毎日つまらないのであれば、それはあなたにとって良い会社ではない。

 

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今週のお題「わたしの好きな歌」

今週のお題「わたしの好きな歌」

好きな歌ということで、これまで私がどんな歌手の歌を聴いてきたのかを語ってみたい。

はじめは主に女性歌手が好きだった

私が中学生に進学する頃、携帯音楽プレーヤーが流行し、丁度その頃からイヤホンで音楽を聞くようになった。当時は手当たり次第に流行りの曲を色々聞いていた。ELTSMAP、V6、浜崎あゆみ、など。その時はどの歌手が好きだとかライブに行きたいとかカラオケで歌えるようになりたいとか、そういうことはあまり考えていなかった。特にカラオケは大嫌いだった。歌うの好きだったけど、女性歌手を鼻歌で歌うぐらいで満足していた。この傾向は高校卒業頃まで続いた。ちなみに高校生の頃最もハマったのは、jitterin'jinnだ。このバンドは私が高校生の頃は既に全盛期を過ぎていたが、「夏祭り」とか「自転車」といった淡い青春チックな歌詞を軽快なメロディにのせて刻むこのバンドに心を奪われた時期があった。今でもよく聴くし好きなバンドだ。

洋楽にハマったのは中学3年の頃

中学3年から英語の勉強にハマり始めた。それをきっかけにそれまで全く興味がなかった洋楽をたくさん聴くようになった。QUEENBeatles、マイケルジャクソン、マライアキャリー、ブルーススプリングスティーン、などちょっと古めの洋楽をたくさん聴いた。その中でも圧倒的にたくさん聴いて、ゆうに30曲以上は歌詞までほぼ丸暗記したのがBeatlesだ。Beatlesの歌詞は本当に簡単なものが多く、聞き取りやすいし、一つ一つの曲の長さが比較的短いのでキャッチーな印象だ。ちなみに私が一番好きなBeatlesの曲は、今も昔も変わらず「she loves you」だ。

大学でロックにハマる

高校生の頃までカラオケにもあまり行かなかったので、男性歌手に対してあまり興味が湧かなかったのかもしれない。だが、大学生になり良くカラオケに行くようになると高い声をどれだけ出せるかに拘るようになった。そのせいで始めは福山雅治やBUMPとかを歌っていたのが、だんだんB'z、GLAYラルクなど高音域で歌う歌手に興味がシフトしていき、よく聞くようになった。そして実際に自分で歌うようになってから思ったのは、歌手がどれだけ凄いかということ。ライブで飛んだり走ったりシャウトしたりしながら20曲や30曲近くをほぼミスなく歌い上げる。同じことを私がやろうとしたらカラオケですら全く話にならない。そのようなことからロックアーティストに対する尊敬や憧れが強くなり、XJAPANやB'zやラウドネスといった激しいロック調の曲を好んで聴くようになった。今でもB'zはもちろん好きだし、ライブに行ったりしたこともあった。最近はチケット運がなくてあまり行けていないけれど。

こちらもちなみに、B'zで一番好きなアルバムは「ACTION」。そして一番好きな曲はこのアルバムの2曲、「光芒」「黒い青春」だ。一位は多すぎてなかなか選べない。

音楽の趣味は変わるもの

今特にどっぷりハマっている音楽はない。歌というよりは最近はピアノとかギターを弾けたらカッコいいなと思う。中高生の頃はピアノなんてと思っていたが、XJAPANのyoshikiがロックと融合した綺麗なピアノを奏でるのに魅了されたりして、ピアノも良いなと思った。また、今はクラシックに興味ないけれど、そのうちクラシックから始まってオペラやミュージカルにハマる日が来るかもしれない。

最後になるが、歌を歌うのは本当に楽しい。ストレス発散にもなるし、自分の好きな歌がもしあるのであれば思いっきりカラオケで歌ってみるのも一つの趣味になるだろう。

 

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