rk-baryoのゆるっと日記

日常生活、ビジネス、旅などについてゆるく語るブログ

【下関福岡旅行記①】~毘沙ノ鼻編~

サラリーマンの皆さんは今年の夏休みも佳境に差し掛かっていることと思う。私も例外ではない。

それはともかく、つい先日まで3泊ほど下関、福岡まで旅行に行ってきた。毎年恒例の一人旅だ。台風の影響で予定通りに目的地に到達できないなど多少の不満はあったが、概ね楽しい旅行ができたと思っているし、何より無事に帰ってこれてホッとしている。

旅のテーマ

今回の旅では以下の3つをテーマに掲げていた。

①本州最西端の毘沙ノ鼻を訪問する

関門海峡を徒歩で渡る

③相島で猫と戯れる

このうち①と②は達成できたのだが、③は台風の影響でフェリーが欠航していて断念せざるを得なかった。まあ、予定通りいかないからこそ旅は面白いという考え方もあるし、3つ目的をもって2つ達成できたのだから上出来といって良いと思う。

本記事では①の到着過程を紹介していく。

本州最西端の毘沙ノ鼻を訪問

前日に羽田空港山口宇部空港へ到着し、空港間バスで下関駅へ向かう。そしてカプセルホテルに1泊。

翌日、毘沙ノ鼻へ向かう。台風が来る直前の日だった。これから台風が来るというのが信じられないぐらいカンカン照りに晴れている。ちなみに、毘沙ノ鼻は下の地図あたりにある。

https://img.yaplog.jp/img/18/pc/s/h/i/shigekikou/0/422.jpg

今回はレンタカーを借りずに歩いていくと決めていたので、交通機関で行ける最寄りの吉母港というバス停まで向かった。

吉母港のバス停

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とにかく暑くて倒れそうな気分だ。そしてここから毘沙ノ鼻へ向けて一直線に歩き出した。片道約4キロの丁度いいぐらいのハイキングになりそうだ。

残り2.9キロ地点の看板

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田んぼと山の集落を越え、海沿いの道をずんずん歩く。汗で濡れたTシャツが絞れそうなぐらい汗が止まらない。

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海沿いの道を抜け、再び勾配のある山道へ。山道を少し上ったところで残り800メートルの看板が。このあたりで暑さでスマホが軽く故障してしまったのであまり多く写真を撮れなかった。また、真夏の一番暑い季節にこの地方を旅しようと思ったことを若干後悔しはじめたのがこの時だった。

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ようやく遊歩道の手前の駐車場まで到着。車で走れば一瞬だったのか。歩いてここまで来るのにペットボトル2本を飲み干した。替えのTシャツを持ってこなかったことを悔やんでいた。距離的には大したことないが、暑さと勾配のキツさにやられてしまった。

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遊歩道を渡り、ついに先端に到達。遮るものがなく焼けるような暑さだった。でもそれを振り払ってくれるぐらい最高の景色に出会うことができた。また一つ、先端を制覇した喜びを噛みしめる。

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所感

全体的な感想としては、先端までの道路がしっかり舗装された道なので、歩くのが困難などではないし、車で容易に駐車場まで行くこともできるので、到達難易度もそこまで高くないと思う。ただ、公共交通機関で行く場合、やはり吉母港のバス停から歩くことを強く勧める。鉄道の最寄り駅は梅ヶ峠という駅があるが、吉母港バス停の倍近い距離を歩かなければならないため、かなりハードになる。このルートを使っていたら私は途中でぶっ倒れていたかもしれない。また、真夏でなければ良いハイキングになると思うので、歩いていくこともおすすめだ。

 関門海峡については次の記事で紹介させていただく。

 

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今週のお題「人生最大の危機」

今週のお題「人生最大の危機」

膝の十字靭帯を断裂した

私がこれまでに体験した人生最大の危機は、高校生の時に右膝の前十字靭帯を断裂したことだ。
私は陸上競技部に所属していて、短距離走走り幅跳びを専門に競技に打ち込んでいた。しかし、高校2年の終わりの3月に行われた学校のサッカー大会で足を蹴られてしまい、それが十字靭帯断裂という残酷な結果をもたらしてしまった。この怪我は手術が必要で、完治して元の状態に戻るまでに1年ほどかかる大怪我だ。医者からそのような説明を受けたとき目の前が真っ暗になった。高校最後の3年のシーズンに大会に出ることも走ることもできないなんて、当時陸上に青春を捧げていた自分にとっては屈辱的な出来事だった。
また、その後の手術と入院生活を考えるだけで気持ちが萎えて生きる気力さえ失ってしまいそうな時期もあった。

健康でいられることはありがたいこと

私はこれも含めて過去に数度怪我をしているが、その度に実感するのは、五体満足で不自由なく生活できているということがとても幸せだということ。毎日の仕事や勉強が辛いとか、親や親戚に悪口を言われるのが嫌だとか、友達や同僚と人間関係がうまくいかないのが嫌でストレスだ、というような悩みは誰もが持っていると思う。でもそんな悩みを持っているほとんどの人は、自分の意志で方向を決めて歩くことができるし、日常生活を送るのに支障はない人であるだろう。
最近読んだ何かの本に書いてあったが、目を閉じた状態で自分の両腕が切り落とされてしまった状況を思い浮かべ、その状態で死ぬまで生活していかなければならない状況を想像してみてほしい。そうすると、今自分の目の前にある悩みなんてほぼ取るに足らないちっぽけなものに見えてくるだろう。
私の場合、半年ほど膝が不自由で松葉杖生活が続いたが、それでもかなり行動が制限されるし、自分の意志の通りに動けないことのストレスは計り知れなかった。そして、健康で普通に生活できるというありがたさは失ってみないと分からないものだと身をもって思い知ることとなった。

辛いことは時間が解決してくれるはず

多くの人は何かしらの悩みを抱えている。その辛さや重要度は本人にしかわからないし、そんなことで悩むなよ、とか単純に言うことは誰にもできないと思う。そんな中でも、少なくともあなたが五体満足でそれなりに健康体で自分の意志通りに生活出来ているのであれば、失明して両手両足が動かなくなった自分の状態を想像してほしい。きっと少しは気持ちが楽になると思う。
また、嫌なことというのは大概は時間がたつと忘れてしまうものだ。だから、今嫌なことやストレスになることがある場合も、時間が経てばどうにかなってしまうことの方が圧倒的に多いだろう。心配していることの7割や8割は実際には起こらないのである。

 

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【高校野球】佐々木投手の登板回避について思うこと

注目した背景

今年も高校野球が開幕する。7月中は全国各地で予選が行われていた。その中で1つ注目されていたのが、岩手県大船渡高校の佐々木朗希投手についての話題だ。高校生ながら160キロの剛速球を投げる怪物ぶりはやはり大谷翔平選手を彷彿とさせるものがあるし、当然のようにメディアやプロ球団などから注目される。そんな佐々木投手が岩手県大会の決勝で登板しなかったことにより、チームは負けて甲子園本大会に出場できないこととなってしまった。登板の回避は、準決勝までの佐々木投手の投球数を考慮した上での監督の指示によるものである。これに対して様々な意見が出ている。「なんで決勝で登板させないんだ」とか「甲子園の出場がかかった大事な試合で登板させないなどあり得ない」という意見がある一方、「将来を考えて怪我のリスクを回避するための適切な判断だ」などの意見もある。

ちなみに私は去年、ピッチャーの連投などに対する意見をブログに投稿している。

rk-baryo.hatenablog.com

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登板しなかったのは正解だと思う

私は決勝で登板させなかった監督の判断は正解だったと思う。理由は、怪我をしては元も子もないから、ということに尽きる。ヤフコメやTwitterでの投稿をランダムに見た限り、世間の過半数以上は私と同じ意見なのではないだろうか(そう信じたい)。だが、やはり意見の違う人は存在する。今日の朝たまたまTwitterで見かけた記事が非常に胸糞悪かった。

headlines.yahoo.co.jp

この記事によると張本氏は、「スポーツは怪我をするのが宿命。だからそこから逃げているようでは成長できない」というな主旨の意見を持っているようだ。ちょっと拡大解釈すると、「俺たちは苦労したんだから、お前らも苦労しろ」と苦労の押し売りをしているように聞こえなくもない。根本にある考え方がブラック企業と類似しているし、もはや老害としか言いようがない。本来怪我を回避させる責任を持つ指導者が怪我することを推奨してくるのは異常であると考える。
この記事で張本氏が主張している意見は昔ながらの根性論・精神論でしかない。あなたの時代はそれで活躍できたかもしれないが今はそういう時代でないこと、自分やあの人ができることはお前も誰でもできるでしょ?という価値観の押しつけであることが分からないのか。人によって骨格、筋力、腱の強さ、体の柔らかさ、怪我のしやすい部位などが全く異なるということすらも分かっていない。だから「お前も当然できるだろ?」という発言が出てくる。多様性がより重要視される中で時代からの逆行も甚だしいと私は思う。

批判ではなく理解し合う努力を

もちろん張本氏をはじめとする、「登板させるべき」という意見を全否定するつもりはない。それこそこちらの意見を押し付けることになってしまうから。大事なのは、色々な人がいればその数だけ考え方や行動方針などがあるということだ。そして、その全てが尊重されてしかるべきということだと思う。
だから、今回監督が下した大切な選手のこれからの選手生命を尊重したという判断を理解してあげるべきだと私は思っている。たとえ私が反対の意見を持っていたとしても、そうすべきだと思う。

 

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旅は心を自由にしてくれる 今週のお題「夏休み」

今週のお題「夏休み」

7月も終盤に差し掛かり、関東圏もようやく晴れる日が多くなってきた。6月中旬からは雨ばかりで通勤や外出が億劫になる日々だった。例年は7月1週目にニイニイゼミが鳴き始めるところ、今年は一週間遅れて鳴きだしたのだから、今年の梅雨はやはり長かったのだろう。そして私は今年の夏も毎年恒例の一人旅を敢行する。

毎年恒例の一人旅

私は夏休みを使って毎年国内一人旅を行っている。大体2泊か3泊で飛行機を使っていくことが多い。去年は失業中だったので就職先が決まった後9月に長崎~鹿児島の九州縦断旅行をした。

今年は下関~福岡に行く予定で、途中で本州最西端の毘沙ノ鼻に立ち寄ったり、関門海峡トンネルを徒歩で渡ったり、相島で猫と戯れたりする楽しみがある。
日常の煩わしさを忘れ、自分自身と向き合うには一人旅が一番だ。家でダラダラ過ごしたり誰かと過ごしていては決して味わうことのない感情が沸き上がって来るし、1年に一度ぐらいは日常から離れて自分自身としっかり向き合いたい。その時間を作るには旅が一番だと思っている。そのための一人旅だ。

正直、夏休みをずらして取得したい

今年は宿を予約するのに苦戦した。予約が遅かったせいか民宿はほとんど満室で、空いていても一人は断られる始末。ようやく予約できたのはカプセルホテルぐらいしかなかった。
皆が一斉にお盆休みで休暇を取得するので観光地は混んでしまって大変だろう。観光地だって一年のうち特定の何日かだけ大盛況して他の日は割と閑散としているのは良いことなのだろうか。休みが分散して取得できれば観光客にとっては混雑していない中で旅行を満喫できるだろう。観光地にとってもある程度一定の利益を継続的に確保し、安定した運営ができるようになるというメリットがあるはずだ。

旅行をする際にも、旅行先が観光地仕様になってしまっていては本来の姿というのは見えずらいというデメリットがある。人々の平日の日常生活の姿だったりその土地のありままの姿というのは観光シーズンでは見ることができないものだ。だからあまり旅行者が集中しないシーズンにこそ旅行をしたくなるし、そこでようやくその土地の本当の良さや本来の姿が見えてくるものだ。だから、皆が旅行をしないシーズンに休暇を取得して旅行できたらどんなに良いものかと感じる。

 

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残業するのか休出するのか

私は基本的に残業をはじめとする時間外労働が嫌いだ。しかし、仕事の都合上どうしても時間外労働を強いられる場面が出てくる。サラリーマンとして生きていれば時間外労働を全くしないで40年以上勤め上げるというのは至難の業だろう。
仕事が忙しいときに必ず避けられないのが残業や休日出勤だが、残業と休日出勤のどちらか一方を選択するとしたらあなたはどちらを選択するだろうか。私はこれまでどちらが良いかを考えたこともなかったが、最近時々残業するのでまた色々と考え始めてしまった。

休日出勤と残業のどちらを取るか

私が今まで関わってきた人たちの多くは、残業はしても休出は嫌がる傾向があるように感じる。私もちょっと前までは休日出勤なんてもってのほかだと思っていた。ただでさえ週に2日しかない大切な休日を通勤と仕事で潰されてしまうのはたまったものではないと思っていた。だから、前の会社にいた時には嫌々ながらも残業はしていたが、休日出勤だけは断固として断った。例え土曜日や日曜日に大した用事がなくても用事があるフリをして断っていた。時間外の手当てが全く支給されないのは残業でも休出でも一緒だったが、サービス休出するぐらいならサービス残業して土日はしっかり休みたいという気持ちの方が断然大きかった。
しかし、今の会社に入ってから少し考えが変わってきている。前職ではPCの持ち出しなどができず基本的にオフィスに来ないと仕事ができない状態だった。しかし、今の仕事は会社支給の持ち出し自由な自分用PCで行うため、ネットワーク環境さえあればどこでも仕事ができてしまう。休日にわざわざ会社まで出勤して作業するのは億劫だが、自宅で仕事できるのであればかなり気が楽だし、時間外手当だって支給される。まあ仕事とプライベートの境目が曖昧になってしまうことがデメリットなのかもしれないが、個人的にはあまり気にならない。

残業が苦手な人は休出優先で考えてみても良いかも

世の中のサラリーマンには2つのタイプがいると思っている。1つは残業が好きで得意な人、2つ目は残業が苦手な人だ。これまでの経験から、私は圧倒的に後者であることが分かってきた。
基本的に世の中のサラリーマンはマジメだ。たとえ定時を過ぎようが、成果物が完璧に仕上がっていないのであれば残業も厭わずにきっちりと仕様を満たした完璧に近いものを作ろうと作業を続ける。定時後にもそれだけの集中力を仕事にそそぐことができる体力がある優秀な社員だと思う。
だが、私は定時後になると集中力や作業効率がガタ落ちするし、何より早く帰りたい気持ちが先行して気持ちが落ち着かなくなる。自己中と言われればそれまでなのだが、こういう残業に向いてないタイプのサラリーマンは決して私だけではないはずだ。周りの人間が当然のように残業をしているのだから自分もできるようにならないといけないと思うかもしれない。その気持ちは私にもあるのだが、自分と他人は違う人間であり、疲労の感じ方や集中力の継続度など体力は異なるものだ。だから、周りがやっているから自分もできないといけないと考えるのはおかしなことだ。

どうしても残業または休出しなければならない状況に遭遇した時、自分が残業タイプなのか休出タイプなのかを知っておけば適切な行動ができ、より効率的に仕事を捌いて有益な時間を手にすることができるはずだ。 

 

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サラリーマンでいることも悪くないなと思うとき

私は当ブログで散々サラリーマンでいることの愚痴や常に雇われる身であることのリスクを述べてきた。最近よく読むビジネス本にサラリーマンはやめろ、というような指摘なりアドバイスが多くあることが原因だと思う。その思想に少なからず影響を受けているということだ。
たしかに、現代では自分で起業するハードルも一昔と比べれば驚くほど下がっているし、何らかの副業やスキルアップを行うことも自然と選択肢になる。大手企業の社員だから俺はこの先の将来も安泰だ、などと抜かしているようでは気付いた時には手遅れになる。その点に間違いはないと思う。
だけど最近思うのは、入る会社さえ間違わなければ、かつ自分自身に胡坐をかかなければサラリーマンというのは大きな武器になるものだとも思うようになった。そう思う理由を述べていきたい。なお、これは健全なホワイト企業で自分がある程度やりたい仕事ができていることが前提だ。ブラック企業に属している場合は前提から話にならないので、すぐに会社を辞めるなり転職するなりした方が良い。

給料をもらいながら勉強ができる

これはサラリーマンの特権だと思う。毎月一定の給料を貰いながら自分のスキルを磨くことができる。もちろん、会社の仕事だからやりたくないことや不要だと思うこともあるだろう。だが、それなりにやりたいことをやりながら最低限生活に困らないだけのお金を貰えるというのは本当に恵まれていることを自覚しなければならない。
私は最近クラウドワークスをやっていて思うのだが、はじめのうちは1,000円稼ぐのも本当に時間がかかるし簡単ではない。そう考えると会社で毎月数十万円貰いながらある程度やりたい仕事をやれるというのは素晴らしいことだと感じるようになった。
また、残業については嫌で自分のためにならない仕事であればなるべくやらない方が良いと思うが、本当に好きで自分のためになると思うならば惜しまずやるというのも一つの考え方だと思う。働いた時間分の残業代が支給されない会社であれば少し考えものだが、残業代が普通にもらえる会社でやりがいのある仕事をやっているのであれば、毎日納得いくまで仕事に時間を使うというのも悪くない。大事なのは、残業するもしないも本人の意思によって決定することであり、必要でもないのに他人から残業を強いるようなやり方をしてはいけないということ。

面倒な手続きを全て会社がやってくれる

私は一度会社を辞めたとき、税金や保険金の支払いがこんなにも面倒なものなのかと驚いた。そして、給料からこれらの支払分が天引きされていたことのありがたさを思い知ることとなった。

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大抵の会社には総務部や管理部といった部門があり、その人たちが社員一人ひとりの支払いや福利厚生を世話してくれる。煩雑な手続き等はその部門の人に任せることができるので、サラリーマンは自分の仕事に集中しやすい環境が整っているといえる。サラリーマンとして生活している人はこの当たり前と思われるメリットを忘れてはならない。

結論:良い会社に入ろう

身も蓋もない結論になるが、サラリーマンとして生きていくのであれば良い会社に入ろう。良い会社とは、単純に世間一般で言われる年収が高いとか残業が少ないとかそういうものではない。自分基準で考えた時に働きやすかったり、やりがいがある仕事ができていて毎日がそれなりに充実しているのであれば、それがあなたにとって良い会社である。他人の尺度で会社の良し悪しを決めることはできない。
どんなに残業を多くしていても毎日が楽しければそれはあなたにとって良い会社だし、どんなに早く帰れたり休暇がたくさん取れたとしても仕事自体が楽しくなくて毎日つまらないのであれば、それはあなたにとって良い会社ではない。

 

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今週のお題「わたしの好きな歌」

今週のお題「わたしの好きな歌」

好きな歌ということで、これまで私がどんな歌手の歌を聴いてきたのかを語ってみたい。

はじめは主に女性歌手が好きだった

私が中学生に進学する頃、携帯音楽プレーヤーが流行し、丁度その頃からイヤホンで音楽を聞くようになった。当時は手当たり次第に流行りの曲を色々聞いていた。ELTSMAP、V6、浜崎あゆみ、など。その時はどの歌手が好きだとかライブに行きたいとかカラオケで歌えるようになりたいとか、そういうことはあまり考えていなかった。特にカラオケは大嫌いだった。歌うの好きだったけど、女性歌手を鼻歌で歌うぐらいで満足していた。この傾向は高校卒業頃まで続いた。ちなみに高校生の頃最もハマったのは、jitterin'jinnだ。このバンドは私が高校生の頃は既に全盛期を過ぎていたが、「夏祭り」とか「自転車」といった淡い青春チックな歌詞を軽快なメロディにのせて刻むこのバンドに心を奪われた時期があった。今でもよく聴くし好きなバンドだ。

洋楽にハマったのは中学3年の頃

中学3年から英語の勉強にハマり始めた。それをきっかけにそれまで全く興味がなかった洋楽をたくさん聴くようになった。QUEENBeatles、マイケルジャクソン、マライアキャリー、ブルーススプリングスティーン、などちょっと古めの洋楽をたくさん聴いた。その中でも圧倒的にたくさん聴いて、ゆうに30曲以上は歌詞までほぼ丸暗記したのがBeatlesだ。Beatlesの歌詞は本当に簡単なものが多く、聞き取りやすいし、一つ一つの曲の長さが比較的短いのでキャッチーな印象だ。ちなみに私が一番好きなBeatlesの曲は、今も昔も変わらず「she loves you」だ。

大学でロックにハマる

高校生の頃までカラオケにもあまり行かなかったので、男性歌手に対してあまり興味が湧かなかったのかもしれない。だが、大学生になり良くカラオケに行くようになると高い声をどれだけ出せるかに拘るようになった。そのせいで始めは福山雅治やBUMPとかを歌っていたのが、だんだんB'z、GLAYラルクなど高音域で歌う歌手に興味がシフトしていき、よく聞くようになった。そして実際に自分で歌うようになってから思ったのは、歌手がどれだけ凄いかということ。ライブで飛んだり走ったりシャウトしたりしながら20曲や30曲近くをほぼミスなく歌い上げる。同じことを私がやろうとしたらカラオケですら全く話にならない。そのようなことからロックアーティストに対する尊敬や憧れが強くなり、XJAPANやB'zやラウドネスといった激しいロック調の曲を好んで聴くようになった。今でもB'zはもちろん好きだし、ライブに行ったりしたこともあった。最近はチケット運がなくてあまり行けていないけれど。

こちらもちなみに、B'zで一番好きなアルバムは「ACTION」。そして一番好きな曲はこのアルバムの2曲、「光芒」「黒い青春」だ。一位は多すぎてなかなか選べない。

音楽の趣味は変わるもの

今特にどっぷりハマっている音楽はない。歌というよりは最近はピアノとかギターを弾けたらカッコいいなと思う。中高生の頃はピアノなんてと思っていたが、XJAPANのyoshikiがロックと融合した綺麗なピアノを奏でるのに魅了されたりして、ピアノも良いなと思った。また、今はクラシックに興味ないけれど、そのうちクラシックから始まってオペラやミュージカルにハマる日が来るかもしれない。

最後になるが、歌を歌うのは本当に楽しい。ストレス発散にもなるし、自分の好きな歌がもしあるのであれば思いっきりカラオケで歌ってみるのも一つの趣味になるだろう。

 

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内定辞退はメールで行うのが良い

来年の新卒の採用が進んでいる。選考自体は6月から始まったようだが、既に内定を持っている人も多くいることだろう。中には、6月前半で既に内定を複数持っているなんて猛者もいたらしい。複数内定を持った時、どうしても1社以外は入社を辞退しなければならないが、この際に企業との間で揉め事が発生することもあるという。そこで、内定辞退に対する私の意見を述べていきたい。

私の過去の就活の場合

私は2社内定をもらって1社は電話で断った。電話で断っても先方からは特に文句を言われることはなく、「そうですか、そちらの会社で是非頑張ってくださいね。」と言ってくれてとても好印象だったのをよく覚えている。でも結局2社しか内定もらえなったので断ったのは1社だけ。その1社がたまたま良い会社だったというだけで、電話で断ることに嫌悪感を示す会社もあるかもしれない。でも当時はそんなことは全く考えず、自分が一番やりやすくて最低限失礼でない手段として電話を選択したと記憶している。

企業と応募者は対等の関係ということは

余談になるが、面接とか企業説明会の時に企業はよく次のようなことをいう。「企業と学生(応募者)は平等な関係です。だからなんでも聞きたいことをおっしゃってください」と。でもその言葉の裏には「ただし常識の範囲内で」という枕詞が隠されていることを忘れてはならない。常識の範囲を超えて聞きたいことを聞くと企業はあからさまに嫌悪感を示し、容赦なく一次面接でお祈りメールを送りつけてくる。だが、そもそもその常識というのは誰かが考えた主観的な価値観であり、それと自分の価値観が合わないのであればこちらから願い下げというものだ。だから全く気にすることはない。仮に入社できたとしてもどうせ合わなくて辞めることになるだろう。

企業と対等の立場で行う内定辞退とは

企業はお祈りメール一本入れるだけで応募者を落選させることができるのに、応募者がメールで内定辞退をできないとは一体どういうことなのか。企業と応募者が真に対等の立場であるならば、メールでの内定辞退も許されなくてはならない。なぜなら、企業は同じことを応募者に対してやっているから。もしそれが許せないというのであれば、はじめから「企業と応募者は対等の関係である」などという文句を謳うべきではない。
もちろん一部例外はあると思うが、基本的にどの企業も落選通知はメールが普通だと思う。であれば、応募者の方から内定辞退する場合もメールで問題ない、というのが私の主張だ。対面や電話というのは双方の時間を拘束するという点で損失だと考えることもできる。しかし、メールのような非同期通信であれば自分らの好きなタイミングで情報を取得することができる。メールでの内定辞退連絡はこのように少しの時間でも節約できる点から見ても有益な手段だと思う。対面厨の人たちにはもう少し文明の利器を賢く活用してもらいたいものだ。

 

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今週のお題「2019年上半期」

今週のお題「2019年上半期」

今年も上半期が過ぎた。6月も始まったばかりかと思ったらもう7月が目の前だ。2019年の上半期を個人的な視点で振り返ってみたい。

新しく始めたこと・やめたこと

色々な人のブログや本を読む中で、それまでの自分の中の当たり前を壊してみようと思った。世の中には様々な常識といわれるものがあるが、それら数々を自分なりに吟味し、本当に必要だと思うものだけ実行するように視点を変えた。

無駄な残業をやめた

4月から所属部署と業務内容が変わり、それをきっかけに残業を止めることを自分に課した。それまで残業をしないということは全く考えていなかったが、これまでの当たり前を疑った結果、真っ先に削るべきがこの残業だと気が付いた。もちろん、やむを得ず残業する場合はあるが、今までのように周りの人の視線を気にして残業するのは一切やめた。心も体も身軽になったし、健康にもなった気がする。

スキマ時間に読書を始めた

通勤に毎日往復で3時間近くかかる。それまで、通勤時間は特に何もせずにボーっと過ごしていたが、この貴重なスキマ時間にできることを考えた。その結果、読書をするという結論にたどり着いた。本を読むだけで人生が変わるわけではないが、読んで感じたことを実行に移せば驚くほど生活が変化する。

ヤフオクを始めた

ヤフオク自体は何年か前から使っていた、主に落札者の立場で。今度は自分で売ってみようと思った。読書のために本を買って読み終わったらそれをヤフオクで売る、という具合に有効活用できることを知った。読み終わった本を家の中にあまり残さないように、すぐに売る。欲しくなったらまた買えばいい。それぐらいの心持でやっている。

クラウドワークスを始めた

個人で手軽に仕事ができるということで、クラウドワークスも始めた。ゆるーくやっている。報酬額自体は大きなものではないが、少しずつ実績を作って報酬を増やしていければ良いと思う。例え明日会社をクビになっても、ここである程度実績を作っておけばそんなに怖くない。収入源が複数あることは心強いことなのだ。

今目の前に全力を注ぎたい

今後どのように生きていくのかとか、下半期の目標とかは全く考えていない。今できることを全力でやりきる、ということに注力したいと思うからだ。今に焦点を当てて生きていれば未来は自然に作られていく。だから、余計なことは一切考えないようにしている。とにかく、今目の前にあるものに全力で取り組むということをモットーにこれからも過ごしていきたい。

 

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在宅ワークをしてみて思ったこと

仕事ができる環境が整っているのであればという条件で、在宅ワークを積極的に推進する企業が増えている。私が所属する会社も働き方改革として在宅ワークを推す動きが出てきている。そして私も今月から少しずつ在宅ワークをし始めている。そこで、実際にやってみて思ったことやメリット・デメリットを見ていきたい。

 

在宅ワークのメリット

通勤電車に乗らなくてよい

通勤時間が丸ごとなくなるというのは非常に大きい。私の場合、往復ドアtoドアで3時間近く通勤に費やしている。その時間を別のことに使えれば、1日にやれることは格段に多くなる。また、私は朝が苦手なので朝起きるのが遅くても大丈夫なことは精神的な余裕にもつながる。通勤時間という一般的には非効率的な時間を無くすことで一日の時間が長くなり、色々なことをできるようになるメリットは大きいと思う。

周りの雑音を気にせずに集中して仕事ができる

職場のオフィスというのは雑音が多い。基本的には個々のデスクが仕切られておらず、他の人の話し声や無駄にうるさいキーボードの打鍵音などに気を散らされ、自分の作業に集中できないことが本当に多い。しかし、家で在宅ワークをすれば少なくとも職場よりは静かな環境で作業ができる。仮に家族がいて多少のノイズがあっても、一人になれる場所を探して耳栓やヘッドホンをすれば静寂な空間を作ることはできる。やる前までは集中できないのではないかと心配していたが、やってみると意外と集中して作業できたと感じる。このように、自分が集中しやすい環境を作りやすいというのが在宅ワークのもう一つのメリットだ。

嫌な人と顔を合わせなくて済む

一緒に仕事をするメンバーの中に、誰しもどうしても性格や価値観が合わなくて会話したくない人がいるだろう。私はそんな人と毎日一日中顔を突き合わせて仕事するなんて御免だ。でも自宅であれば顔を合わせることはまずないし、あったとしてもウェブ会議などをしている少しの時間で済む。関わりたくない人との関係をできるだけシャットアウトできるのも在宅ワークの大きな魅力である。

在宅ワークのデメリット

意思疎通がうまくいかないことがある

ウェブ会議を行うにしてもリモート通信で行うため、どうしてもノンバーバルな部分でリアルで会うよりも伝えられる情報量が少なくなる。私はまだ経験がないが、ウェブ会議だからこそ起こるコミュニケーションの弊害などももしかしたらあるのかもしれない。また、通信環境が不安定だと全く使い物にならない。やはり、リアルで会って行うコミュニケーションに勝るものはない。

だらけて仕事にならない可能性もある

家というのは自分の居住空間だ。誰しもが自分の欲望のままに家のカスタマイズをしている。そんな環境で仕事をするのだから、相当しっかり気持ちを切り替えないと誘惑に負けてだらけてしまう可能性もある。私もこれを心配していたが、私用PCを開かずにその上に会社のノートPCを乗せればまず私用PCで遊ぶことはできなくなるので、これを実践している。このように自分が遊んでしまいそうな何かをお持ちの方は、それを絶対に使えないようにする工夫が必要になる。

そもそも在宅ワークできる仕事ではない

私はたまたまシステム系の仕事で家にPCを持って帰れば仕事ができるが、そうではない人が世の中にたくさんいることも知っている。営業であれば外回りをして客先に赴かなければならないし、銀行であれば窓口業務だってあるし、そういう人たちが在宅ワークを目指すのは、産業構造上難しいのかもしれない。

まとめ

今の職場が在宅ワークできる環境ならば、積極的に試してみるべきだ。1回か2回試してみてどうしても職場で仕事するより効率が落ちるようならば、以降はやらなければいい。やる前からどうせ在宅ワークなんてダメだ、と思い込むのはちょっと違う。何事もまずはやってみることから始まる。

そして、今在宅ワークができない環境の人でも、今の仕事にやりがいや楽しさを見出しているのであれば、在宅ワークしたいからという安易な理由で今の仕事を辞めるべきではない。ただ、もし今の仕事に不満があるのであれば、在宅ワーク可能な職場へ転職するか、クラウドワークスなどで手軽に在宅ワークを始めてみるのも一つの手かもしれない。

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